事件発生
「長官、どうしても扶桑に行かれるのですか?中津島ではだめなのでしょうか?」
「おいおい、大井大佐(昨年四月昇進)、わしはもう長官ではないよ。それに多くの皇国領を見て回りたいのだよ。米合衆国や米連合国、ハワイにも行ってみたかったが、戦乱が発生したいまはそれは叶うまい」スーツ姿の山本五十六が苦笑を浮かべながらいう。
前年、移転暦一○年六月、山本五十六大将は大戦終結に伴い、聨合艦隊司令長官の職を辞し、国内遊説の旅に出ていたが、この年、二月に旧南洋領である各国を歴訪するの旅に出るという。そして、皇国本土や移転後多くを過ごした中津島ではなく、扶桑と名づけられた新領土、ニューブリテン島に移住するというのである。
「心残りはない。あるとすれば、後任の聨合艦隊司令長官だろうな。山口君や角田君、そして君にいわれた人物を推すことをしなかった、その一点だけだ」
山本の辞任により、後任には高須中将を推す現場に対して、海軍作戦本部は南雲中将を指名してきたのである。山本は大戦が終わったのだからかまわない、と判断したのである。山本としては両米国の開戦は三年はないだろう、とし、日ソ開戦はあっても海軍よりも陸空の戦いであろうから、との判断で、本部の提案を受け入れたことをいっていた。結果として、海兵(海軍兵学校)三六期以前の将官は軒並み海軍を去ることとなったのである。これは史実でもよくあったことだとされている。
今次大戦は皇国にとってあらゆる意味で変革をもたらすものであったといえた。特に、軍備あるいは軍の運用、特に海軍艦艇の運用を根本的に見直させるものであったといわれる。そういった戦後の反省も含めた軍の再改革に入ろうとしていた矢先の第三次南北戦争の勃発であった。このため、近海艦隊はともかくとして、聨合艦隊の編成は旧来のままとされていた。変わったのは指揮官ぐらいであった。多くの将兵が昇進し、旧部署から新部署に移っていたが、同じ組織内のことであった。
「近藤中将も高須中将も中津島を去ると聞いております。それに、今後は六五歳定年が適用されますから、南雲新長官も長くはありませんし」
「それは仕方があるまいよ。わしがこの世界で長く聨合艦隊司令長官でいられたのも戦争のためだろう。しかし、三年はないと思っていたが、そうではなかった。大佐はどう考えていた?」
「はっ、二年はないと考えておりました。世界大戦で使用されたドイツの進んだ兵器を英米仏が配備できるまではそれくらいの期間が必要だ、と考えていました」
「うむ、米連合国がドイツから何か入手したのかも知れんな。特に兵器や人など入手したか受け入れたかも知れん」
「わが国や英国がドイツに最初に入りましたから、それはないと思いますが、調べてみます」
「そうだな。とにかく、一段落したら尋ねてきてくれ。夏以降にはメール送受信が可能になると聞いている。また知らせるよ」
はっ!お体にお気をつけください」
「ああ、君もな」そういって、山本五十六は空港へと向かっていった。
後に判明するのであるが、米連合国にはフォン・ブラウンを含めた数人のドイツのロケット技術者が入国していたのである。史実とは異なり、彼らが開発していた現物は米連合国に持ち込むことはできなかったが、図面は持ち込まれており、わずか半年足らずで、ジュピターと呼ばれる弾道誘導弾を完成させていたのである。さらに、大戦中期に南米に向かおうとしたドイツ海軍潜水艦を二隻拿捕し、その技術を得ていたのである。しかし、この時点ではそれらは皇国の誰もが知ることはなかった。
この頃、駐アメリカ連合共和国大使の三原毅は国務長官のコーデル・ハルとの会談を終え、コロンビア特別区の皇国大使館に戻ってきたところであった。南北戦争が始まってから二度ほど呼び出されていた。一度目は戦争への不介入の徹底であり、二度目は皇国政府発表の真意を問われたのである。この日は、フィリピンへの補給途上の米合衆国艦艇をグアム島に寄港することを受け入れたことに対しての苦言であった。いわく、日本皇国は米連合国と戦端を開くつもりなのか?戦略物資を供与しているのではないのか?というものであった。
これに対して三原は、医薬品や日常生活用品の売却である、武器弾薬の売却や供与は一切ないと説明していたのである。また、米連合国が望むのであれば、キリバス共和国経由で同じものを売却しても良い、としてもいた。事実、その通りであった。仮に弾薬の売却があったとしても、米合衆国とは規格が異なることを告げてもいた。そして、戦闘の停止と対話による解決を望む、としていた。
他方、駐アメリカ合衆国大使である鈴木信治は、大統領であるジョン・N・ガーナーとの会談を終え、シアトルの日本皇国大使館へと戻っていた。南北戦争が始まってから五度目の会談であった。これまでの会談とは異なり、この日は武器弾薬の売却あるいは供与という、戦争に大いに影響のある内容であった。さらに、艦艇の売却の話まで出ていたとされる。米合衆国は艦艇建造技術で日英に比べて劣っていることを認めていたのである。
これは何も米合衆国だけの問題ではなかった。南北戦争が続いている、あるいは長い間の対立から、陸空兵器はそれなりの発達をみせていたが、直接戦闘にかかわることが少ない海軍装備は、双方ともに遅れていたのである。否、パナマ運河を支配下におき、東サモアを持つ米連合国が若干の優勢を持っていたといえる。米連合国から欧州は近いため、それなりの技術導入は可能であったが、米合衆国から欧州は遠く、近隣には先進国といえる国はこれまでなかったといえるからである。
移転後、皇国と接触するまでは、自らが先進国であると認識していたのである。それまでは、ほぼ同等の技術を持つ瑞穂日本帝国(現皇国瑞穂州)がもっとも進んでいた国であったからである。さらに、ガーナー大統領は、武器弾薬および艦艇の提供に対して、太平洋の領地のいくつかを割譲してもよい、とさえ言明したのである。むろん、これはハワイではなく、おそらくはフィリピンのことであろうと思われたが、それでも大きく譲歩した提案であった、といえるだろう。
そんなときであった。グアム島南方一八浬で中津島海運所属の客船『サザンクロスシティ』が米連合国潜水艦『アーチャーフィッシュ』の放った魚雷に触雷、乗員乗客五〇〇名のうち、駆けつけた米合衆国駆逐艦に救助されたのはわずかに五○名であった。『サザンクロスシティ』が触雷する一〇分前、米合衆国輸送船団とすれ違っていたこと、『アーチャーフィッシュ』がソナーのみで米合衆国輸送船団に攻撃を仕掛けたことが直接の原因であった。『アーチャーフィッシュ』は米合衆国駆逐艦の攻撃により、損傷して浮上、後に沈没している。
『アーチャーフィッシュ』の艦長以下乗員は皇国に引き渡され、皇国による審問を受けることとなった。結果、原因が上記のものと判明したのである。皇国は米連合国に強く抗議し、賠償を求めた。米連合国側は謝罪はしたものの、乗員の引渡しと詳しい調査の結果が出るまで賠償には応じられないとした。これに対して、皇国は調査のための人員は受け入れるが、多量虐殺犯を引き渡すことはできないとした。
皇国がここまで強気であったのは、国際連盟(国際連合は未だ設立準備段階であった)において領海が二〇浬(史実では一二浬)と定められており、自国領海内(マリアナ連邦共和国は正式にはまだ独立していない)であったこと、犠牲者の中に近藤信竹元海軍中将がいたからに他ならない。だからこそ米連合国も謝罪したといえる。なお、米合衆国の武器使用については、犯罪者を捕らえるための警察権だとした。これが原因で皇国と米連合国間は急速に悪化していく事となった。
この世界ではあまり出番のなかった山本五十六が退場しました。前作とは異なり、歳を重ねていくこの世界では仕方がないといえるでしょう。また、将官も亡くなりましたが、戦死ではあの方一人です。べつに他意はありません。戦艦も半数以上は沈める予定ですが、どうやるのか思案のしどころですね。ミサイルが出てくるため、『プリンス・オブ・ウェールズ』のようにはいきませんしね。では。