表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/81

大戦後の皇国軍

 皇国は世界大戦中、陸軍は六〇個師団九〇万人、一〇個機甲師団二〇万人、他一〇万人の合わせて一二〇万人、いずれも充足率一〇〇パーセントの部隊を動員していた。空軍は二五個戦闘飛行団、六個警戒飛行隊、六個輸送飛行隊、その他で二〇万人を動員していた。海軍は聨合艦隊を含めて四〇万人を動員していた。総数一八〇万人に及ぶのである。大戦終結により、欧州派遣軍を除いて皇国軍の削減に動いていた。


 戦後一〇年間の皇国軍を陸軍は総数四五万人、常設二五個師団および六個機甲師団、欧州派遣軍一五個師団三〇万人の充足率一〇〇パーセントの部隊に、空軍は総数一二万人、二〇個戦闘飛行団、六個警戒飛行隊、六個輸送飛行隊と各地のレーダーサイト、欧州派遣軍三個戦闘飛行団、一個輸送飛行団一万人に、海軍は総数二三万人、欧州派遣軍一〇万人にそれぞれ減員される予定であった。


 しかし、太平洋での戦乱発生、ソ連軍の動きにより、軍縮は一時棚上げとされた。満州国や大韓帝国、中華人民共和国、モンゴル人民共和国と、これまでの欧州よりも自国に近いわけで、安全保障上見逃すことはできなかったのである。さらに、旅客輸送の多くを船舶に頼っている影響国があり、遠洋漁業が広く行われている太平洋での安全保障上、むやみと自国の都合で軍縮に走るわけにかいかなかったのである。


 敵対国同士の間に対話の意思がない場合、自国に対して明確に侵略の意思を持つ国に対しては対話が成り立たないことは、祖国統一戦争や世界大戦で明らかであり、一方的に軍縮を実施すれば、自国の安全保障ができないということになりかねないのである。これが、戦後何年かを経過していれば、また違ったかも知れないが、現状では、明らかに対話に応じない国、さらに他国間の戦争に巻き込まれる可能性が高いこともあり、軍備は現状維持とされることとなった。ただし、大戦中に実施されていた新規軍の編成などは中止されていた。


 このとき、もっとも危険とされたのが東アジア方面であった。両米国による戦闘はあくまでも地域戦争であって、すぐに皇国に害をなすとは考えられなかったからである。しかし、ソ連は別であった。直接的には皇国に敵対していない(事実、カムチャッカ半島への増軍は行われていない)が、第三国を通じて害をもたらす可能性が非常に高かった。その裏にあるのは、皇国領への侵攻ではなく、周辺国への侵攻による皇国への浸透であろうと思われた。事実として、未だ国会に残る共産党議員への接近が見られていたのである。


 むろん、皇国政府や軍上層部は両米国による戦争が起こることやソ連が動くだろう、ということは聞いていたが、こんなに早く起こるとは考えてはいなかっただろう。もっとも、一部軍人は、将官であれ佐官であれ、年内に起こるであろうことは知っていたといわれる。また、一部商船乗りの間においても、可能性がささやかれていた。多くは中津島海運の乗務員であったが、やはり、現代の人間とは違う感覚を持っていたのかもしれない。


 戦争の発生に伴い、皇国軍が取った行動、ツバルのフナフティ島、パラオのコロール島への艦艇派遣、ソロモン諸島ガダルカナル島への陸軍派遣であった。さらに、これまで、船会社がとっていた航路、南シナ海航路の一部利用停止令であり、南西太平洋航路の使用を命じたことであろう。空軍は動くことはなかったが、海軍基地航空隊、対潜哨戒機部隊のパラオおよびトラックへの派遣が行われている。さらに、第六艦隊隷下の潜水艦による近海哨戒と情報収集であった。また、東アジア各地の軍および欧州派遣軍に情報収集をも命じていた。


 このとき、聨合艦隊は潜水艦部隊、第六艦隊と修理中の艦以外の艦艇はすべて中津島にあった。つまり、欧州にある機動部隊は本国艦隊からの派遣であった。「翔鶴」型航空母艦が四隻とも欧州にあり、「飛龍」型航空母艦四隻が本国にあったに過ぎない。近日中に第一航空戦隊は横須賀に、第二航空戦隊は佐世保にそれぞれ移動の予定であった。さらに、「雲龍」型航空母艦四隻が建造されていたが、大戦終結によって建造が中止されていた。進捗率八〇パーセントのところであった。しかし、この太平洋での戦争勃発で改めて建造が再開された。


 この時点で、誰もが皇国が戦争に再び参戦することはないと考えていた。少なくとも米米戦争には参戦することはないとされていたのである。しかし、もうひとつの戦いは起こりうるかもしれない、とされていた。そう、第二次日ソ戦争は起こりうる、と一部の軍人や政府要員の間では予想されていた。また、別の意味で起こりえない、とするものも多くいた。マダガスカル島の軍を除いても一三個師団、空母四隻が欧州に展開しており、その攻撃力はソ連が有する空軍をはるかに凌駕するからであった。


 つまるところ、陸軍や空軍は現有部隊でまかなわれ、海軍のみ、一部艦艇が増強されるということになったのである。仮に、米合衆国に対して戦端を開くにしても、米連合国に対して戦端を開くにしても、あるいはソ連に対して戦端を開くにしても海があるわけで、それなりの戦力が必要と考えられたといえるだろう。もっとも、皇国ではこれら三国と戦端を開くつもりはなく、自国領土防衛のために必要であると考えていた。さらに、先ごろ独立(準備)政府を樹立した旧南洋領や旧英国領を防衛するためにも、それなりの戦力が必要であったのである。これが、移転前の領土しか有していなければ、ここまでの戦力は必要なかったであろう。


 台湾州、大連準州、瑞穂州、山城州、沿海州および欧州派遣軍のデフコンレベルは常にオレンジに上げられ、即応体制をとっていた。欧州派遣軍が攻撃を受けたならウラジオストックとハバロフスク、カムチャッカ半島攻略、千島列島や満州国権益が攻撃を受ければ、欧州派遣軍が国境を越える、そういう体制をとりつつあったのである。太平洋の自国領が攻撃をを受ければ、躊躇なく戦端を開くことを皇国は国連で表明していたのである。


 ここまで皇国が明確に宣言したのには当然として理由があった。東ニューギニアの含有する資源を知っていたからである。これら資源は皇国を更なる経済発展へと結びつくことを政府および軍は理解していたといえた。しかも、移転前とは異なり、皇国が他国を気にすることなく、自由に開発できることにあったからである。つまり、これら地域への関与方法を誤らなければ、将来的に皇国の有望な輸出入国足りえたからである。


 だからこそ、ツバルやパラオ、ソロモン諸島といった地域を軍事的にも重要視したといえる。さらに、戦時中の東部ニューギニアへの関与が西ニューギニアの独立、その後のニューギニア統一へと結びつくこととなったといえた。ちなみに、ツバルのフナフティ島、ミクロネシアのトラック島と同じくパラオのバベルダオブ島の面積は史実のほぼ倍の六○○平方kmあり、史実とは異なる。


 しかし、事態は皇国の予想外の方向へと進むこととなる。米合衆国からの燃料油、医薬品などの支援要請、補給路途中のグアムへの寄港許可を求めてきたことであった。フィリピンへの直接補給が困難であった米合衆国がそれを要請してきたのである。英仏が不介入を表明、皇国が先に発表した、自国に被害が及んだ場合の参入により、米合衆国が動いたのである。むろん、米合衆国による皇国の取り込みであろうと思われた。少なくとも、この時点では米合衆国は皇国との対話を進めており、米連合国は逆に対話を遠ざけていることによる影響が皇国内にあったといえる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ