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第三次南北戦争勃発

世界大戦よりもこっちが重要だったりします。ただ、うまく書けるか不安ではありますが。それにどう決着をつけるべきか苦慮中。基本的には出来上がっているのですが、それ以外にないものか検討中です。

 それらの異変を最初に感知したのは聨合艦隊の第六艦隊隷下の第六および第七潜水戦隊であった。両潜水戦隊とも「おやしお」型潜水艦を有し、この世界でももっとも優れた部隊であった。第六潜水戦隊はギルバート諸島のマキンを根拠地に東方面の、第七潜水戦隊はツバルのフナフティを根拠地に南西方面のそれぞれ哨戒任務についていた。第六艦隊のもうひとつ、第五潜水戦隊はパラオのコロールを根拠地にフィリピン方面の哨戒任務についていた。


 この頃、米連合国の水上部隊がフィリピン方面、あるいはハワイ方面に向かうには、皇国の植民地域を通過しなければならなかった。むろん、これは英国の思惑であることは皇国は理解していたが、あえてそれに乗ったのが皇国政府であった。もっとも、米連合国にしても米合衆国にしても、軍艦の航行は各島の至近を通過することはなかった。少なくとも六〇海里は離れた地域を通過している。ただし、貨物船やタンカーなどの民間船においてはその限りではなかった。多くは一五海里前後の海域を通過することが多かった。


 最初にその艦隊を発見したのは、第七潜水戦隊の伊598(旧『やえしお』)であった。ツバルとソロモン諸島のほぼ中央を北西に向かっているのをソナーで探知したのである。ご存知のように、「おやしお」型はそれまでのソナーシステムと異なるコンフォーマル・ソナーを装備しているため、それ以前の潜水艦に比べて追跡能力が向上している。これまで本国潜水戦隊の採取した音紋により、「エセックス」型航空母艦二隻を含む五〇隻の艦隊であると判明したのである。


 同艦は追跡を続け、ニューアイルランド島沖で第五潜水戦隊の伊589(旧『あさしお』)へと交代していた。「はるしお」型潜水艦は「おやしお」型の前型であり、皇国海軍最後の涙滴型潜水艦であるが、第六艦隊に編入される際、徹底的に改装され、「おやしお」型と同じ戦闘情報処理システムを搭載、コンフォーマル・ソナーに近いソナーシステムも装備していた。伊589は追跡を続け、西ニューギニアのソロンに入港したのを確認している。


 ここは世界大戦中、皇国が開発し、スマトラ島を維持していた皇国が終戦直前に、オランダに引き渡していた。大きくはないがそれなりに整った設備を持つ港であった。これで米連合国がオランダの要請において部隊を派遣した真の理由が見えてくることとなった。つまりは、フィリピン攻略の後方基地とするためであったと考えられるのである。


 こうして、第五潜水戦隊の七隻の潜水艦は交代で米連合国艦隊を監視する任務に就くこととなった。吸音タイルを張り巡らした「はるしお」型潜水艦は、米連合国駆逐艦に探知される危険は少なかったが、それでも危険な任務であったといえる。ちなみに、この頃の潜水艦の潜航深度は、ドイツ海軍Uボートで一八〇mから二〇〇mであり、潜航深度が二五〇mを超える潜水艦はまだ存在しなかった。皇国海軍潜水艦の潜航深度は三〇〇mが可能であったとされている。


 他方、第六潜水戦隊はフェニックス諸島とライン諸島の間の海域の哨戒を強化していた。この世界のライン諸島はすべてキリバス領とされており、史実では米国領であったパルミラ環礁も含まれている。パルミラ環礁には、一〇〇〇人ほどの住民が移住していた。ここはハワイ攻略の後方基地としては最適であり、米連合国に占領される危険があったからである。


 第六戦水戦隊の伊591(旧『みちしお』)が遭遇したのは、米連合国の潜水艦『バラクーダ』であった。潜望鏡深度でライン諸島に向かっていたとき、深度一六〇m付近を北に向かって航行する同潜水艦を探知したのである。幸いにして相手には感知されることはなく、追跡することに成功した。『バラクーダ』はドイツ海軍の二五〇〇トン型Uボートを参考にして建造された新鋭艦であった。


 そうして、かの潜水艦はミッドウェー島に至り、一週間にわたって偵察を行っていた。この世界でも、ミッドウェー島は要塞化されていた。これは、皇国に対するものであり、米連合国に対するものではなかった。そうして、件の潜水艦は帰途に就くこととなった。むろん、途中でパルミラやライン諸島の情報収集も行っていることは確認されたのである。


 こうして、東南アジア方面および北太平洋での緊張が増すこととなった。とはいえ、皇国として水上艦隊を派遣することは不可能であった。なぜなら、米連合国に比べて良好といえる米合衆国との関係が悪化する恐れがあったからである。皇国側としてもっとも恐れていたのが、対皇国戦において両米国が同盟を結ぶことであったといえる。


 しかし、戦いは皇国が予想もしなかったところから始まった。米連合国機動艦隊によるロサンゼルス奇襲である。そして、一日遅れてフィリピン各地への空爆も実施され、とりわけ、執拗に行われたのがレイテ島であり、上陸部隊の侵攻が始まった。時に移転暦一〇年一二月八日のことであった。とはいえ、ロサンゼルス攻撃は一度きり、史実の大日本帝国による真珠湾奇襲と同様であった。ただし、宣戦布告は一時間前に米合衆国側に提出されていた。


 このときの両米国の主な軍人を見てみよう。米合衆国陸軍参謀総長はドワイト・アイゼンハワー大将、米合衆国ハワイ艦隊司令長官はチェスター・ニミッツ大将、部下にアーレイ・バーク少将、米合衆国フィリピン派遣軍司令官はジョナサン・ウェインライト大将、米連合国太平洋方面陸軍司令官はダグラス・マッカーサー大将、米連合国太平洋艦隊司令長官はウイリアム・ハルゼー大将、米連合国大西洋艦隊司令長官はアーネスト・キング大将である。ニミッツ大将はドイツ系であるため、彼の祖父が米合衆国側に着いていたといわれている。それ以外は概ね出身地による。


 この太平洋での戦乱発生において、皇国は戦争停止に動こうとした。しかし、周辺の状況がそれを許さなかったのである。ソ連が動きだしたからである。モンゴル人民共和国および中華人民共和国(終戦後にソ連が国連において独立国と認めさせた)国境紛争、大韓帝国への関与、、ウクライナやベラルーシへの増軍、イランなど中東への関与が公然と行われたのである。皇国としては動くに動けなかったといえた。


 欧州諸国は未だ戦乱の傷が癒えず、かろうじて軍を動員できたのは英国だけであった。しかし、英国としても、東南アジアやインド、中東へと軍を派遣しているため、欧州では動くことができなかった。ましてや、東欧や欧州東部に皇国軍があった以上、急に動く必要もないと判断していたともいえる。結局、東アジアや太平洋地域では皇国に沈静化と対応を要請していた。それはフランスにもいえた。そして、オランダは皇国が動くことを歓迎しなかった。


 このあたりにも、英国の思惑が見えるといえた。英国は先に述べた大井と同じ結論を得ていたといえた。太平洋で両米国による戦乱発生、東南アジアでの紛争発生、ソ連の周辺国家への関与と見事に読んでいたといえた。だからこそ、東南アジアおよび南太平洋の植民地を放棄したと思われた。少なくとも、北米大陸だけの戦争とは考えていなかったようである。この時点で、皇国政府および軍は英国の考えを読めたといえた。そして、英国にも相当に切れる者がいるようだ、とは山本や山口が大井にいった言葉であった。


 対して、大井が返した言葉に二人は沈黙させられることとなった。今回のソ連の動きは、米連合国との連携であろう、としたからである。おそらくは、皇国の動きを封じるためのものではないか、とも付け加えていた。それが可能だったのは、大戦中に米連合国がソ連に対して行っていた支援があったからだろう、そう結論付けたのである。


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