世界大戦終結
「長官、陸軍の栗林大将からの通信が入っています。二番です」大沢通信参謀が艦橋に入ってきて山口に告げる。
「陸軍遣欧部隊総司令官から?わかった」そういって山口は受話器を取り上げた。
「山口です。いかがなされました?ソ連軍の反撃が始まったのですか?」
「いや、ソ連軍は何とか押さえ込んでいます。しかし、ドイツ国内北部での抵抗が強いため、英国から皇国軍で東から攻めてほしいといわれてね。われわれの目的はあくまでもソ連軍の封じ込めにありますから、簡単には動かせない。そこで海軍航空隊で航空攻撃をかけていただけないか、と思いましてね」
「航空攻撃だけなら可能ですが、それだけでドイツ軍は降伏することはしないでしょう?」
「何か方法はないだろうか?」
「港湾の警備に一個連隊をまわしていただけますか?それなら、現在、港湾警備についている海兵旅団による上陸戦を実施します」
「既に作戦計画でもあったのですか?」
「ええ、先月にうちの主席参謀が作戦案を提出しています。ただし、一ヶ月が限度ということです。時期的にそれ以上は不可能だというんですよ。部隊の支援があればもう少し長期戦は可能だというのです」
「判りました。検討してみましょう」
そうして、移転暦一〇年一月、前年からバルト海に面したグダニスク、グディニャ港にあった遣欧艦隊がついに動くこととなった。占領地である港湾の警備についている第一海兵旅団によるキール軍港への上陸占領作戦である。航空攻撃による空爆、戦艦の艦砲射撃による面制圧、海兵旅団による上陸占領作戦であった。
航空攻撃はこれまでと同じく、対レーダー誘導弾によるドイツ軍レーダー施設の破壊と空対地誘導弾による軍施設への攻撃空始まった。そして、「金剛」型戦艦四隻の艦砲射撃へと移り、海兵旅団の敵前上陸が行われることとなった。この海兵旅団の上陸には、各戦艦に搭載のヘリコプターが重機を搭載して支援に当たることとなった。「扶桑」型や「伊勢」型強襲揚陸艦であれば、上陸支援のためのスーパースタリオンを搭載しているのであるが、今回は帯同していないため、艦艇に搭載されている汎用ヘリコプターに一二.七mm重機関砲を搭載しての支援となった。
ドイツの最大の軍港であるだけに、航空攻撃だけではその反撃を抑えることはできなかったが、三五.六cm主砲の釣瓶打ちの後には反撃も大きく減じられることとなった。そして、軍港から半径五kmを占領することに成功している。もっといえば、面制圧は半径三〇kmに及んだといわれる。これは、戦艦の主砲の射程距離をあらわしていた。これ以降、国外への脱出の徒を消失したため、ドイツ国内での抵抗は急速に沈静化することとなった。
二月一四日、ロンメル大将ら反ヒトラー派が蜂起、ヒトラーおよびゲッペルスら首脳陣を拘束し、ベルリンを掌握、暫定首班となったデーニッツ元帥が全軍に対して戦闘停止を呼びかけることとなった。移転暦一〇年三月八日、ドイツ暫定首班デーニッツ元帥の意を受けたカイデル元帥が無条件降伏文書にサインし、ここに五年九月一日のポーランド侵攻から始まった世界大戦は終結することとなったのである。
狂信的なヒトラー派軍、多くはSS軍のであった、がオーストリアで戦闘を継続していた。また、ドイツ降伏とドイツ軍の戦闘停止を知ったソ連軍はバルト三国、フィンランドへと侵攻、さらにポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバへと侵攻を始めた。しかし、ことあるを予想していた皇国軍および東欧軍との間で激しい戦闘が発生することとなった。
オーストリア領内で戦闘を継続していたドイツ軍の戦闘停止は四月八日のことであった。そして、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバへと侵攻を図っていたソ連軍が戦闘を停止したのは五月に入ってすぐのことであった。この欄外の戦闘を継続したことで、東欧や西欧でソ連に対する評価は一変することとなった。特にポーランドやハンガリー、チェコスロバキアの共産主義者が共産主義離れを起こしたのである。
講和会議において、ドイツは軍備を大幅に制限され、多くの国に対する賠償金支払いを命ぜられることとなった。しかし、史実のように東西に分割されることはなく、ドイツ連邦共和国として再出発することとなった。ソ連に求められた領土割譲には多くの連合国が反対、賠償金のみとされた。皇国は賠償を求めず、逆に連合国に賠償額を減らすよう提案してもいた。ソロモン諸島は皇国の占領下(実際は異なっていたが)にあったため、皇国領とされた。
ソ連が求めたポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、バルカン半島への治安維持部隊派遣については、既に皇国がその任についているとして却下された。連合国各国とも、無条件降伏後に戦闘を継続したソ連に危機感を抱いていたといえるだろう。皇国は一〇年間の治安維持軍の駐留を求め、承認されていた。さらに、共産主義国家となるか資本主義国家となるかは治安維持駐留部隊の撤退時に国民選挙をもって決定すると公表していた。
英国は戦時中に皇国と結んだ条約により、太平洋における植民地を皇国に割譲すると初めて公表した。また、インドや東南アジア地域の英国植民地は今後五年以内に独立させることも合わせて公表している。フランスも、仏領インドシナを今後五年以内に独立させることを表明、マダガスカル島においては、今後一〇年間の皇国の駐留を認め、以後は独立かそうでないかを島民選挙によって決定すると公表した。
結局のところ、ソ連は戦前の状態に戻り、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナなどの影響力を認められるだけとなった。それ以外はほぼ史実通りであるが、当然として樺太や千島列島は手に入れることができていない。一時期、樺太に油田があることから自国領土であると主張していたが、この世界では樺太はもともと存在しない島であった。そのため、皇国が開発していたことからその主張は取り消していた。
ちなみに、ソ連に支援を行っていた米連合国が代価として求めていたのが、マガダン州であったといわれている。チュクチ自治共和国では米合衆国のアラスカに近すぎるため、直接攻撃を受けない地域を欲していたといわれる。しかし、スターリンも莫迦ではなく、チュクチ自治共和国の一部が約束されていたとされたが、結局、その約束は果たされなかったといわれている。
ともあれ、こうして戦後の秩序は決定されたのである。また、国際連盟に変わってあらたに設けられようとしていた国際連合には、常任理事国として英仏日三国に米連合国と米合衆国、ソ連が加わり、六ヶ国とされた。皇国は奇数の方がよいのではないか、と提案したが、該当する国がないとして却下されている。そして、皇国の領土も国際的に認定されることとなった。
もっとも、皇国は新たに得た南太平洋の領土を除き、委任統治領である南洋領を一年以内に独立、新たに得た地域においても一〇年以内の独立をさせると公表している。また、大連州や上海租借地においても、できるだけ早い時期の返還を目指すとしていた。
海に囲まれた太平洋の島々からなる地域と異なり、大陸にある大連や上海は、永久に領土としておくのは不可能であるし、ましてや国共内戦が続いている以上は危険であると判断されていた。史実のマカオや香港の例もあるため、早期の返還がベターであろうとする意見が多かったのである。問題となっているのは、その返還先であった。大連は満州国に、上海租借地は中華連邦共和国にするのが皇国の考えであったが、そこまでは言及されなかった。
それは両国とも未だ国際的には承認されておらず、中華民国の一地域という認識であったからである。特に、中華民国への支援を行っていた英米仏が承認していない以上、皇国としても強く推し進めることはできなかったのである。これらの問題は戦後の課題として残されたのである。この対応次第では、米米仏との関係が悪化することになるだろうと思われた。




