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新国家誕生

 移転暦三年三月、戦争当事国との講和会議の終了と条約調印の結果、新国家たる日本皇国が成立することとなった。憲法改定は八月をめどに行われ、一〇月公布、来年四月施行というスケジュールが決定したのである。その前に戦争当事国を詳しく見てみよう。


・日本国

 大和民族構成国としては最大の領土(移転前の領土がそのまま出現)と技術力、工業力を誇る、立憲君主制議会民主国家であった。名目元首は天皇であり、内閣総理大臣が政務をつかさどる。人口一億人(何らかの理由により、この地に現れることのなかった国民がいたと思われる)。移転前に存在した在日米軍は基地はおろか、人員は一人も出現していない。滞在外国人も出現しておらず、特異な環境であった在日韓国人および朝鮮人も出現はしていない。ただし、日本国籍を有する外国人(在日韓国人および朝鮮人含む)は出現している。


・日本民主共和国

 根室半島の東南五〇kmの地点から南に向かって伸びる細長い島であり、大きさは四国ほど、島の名を由古丹島ゆこたんとうという。元首は共産党書記長が勤めていた。共産党一党独裁国家として再出発して一〇年、それ以前は全体主義国家たる大日本帝国の一地域であった。第二次世界大戦敗北後、ソ連による支配下に置かれるが、国際連盟通達により、二年後に独立する。しかし、政治的にも軍事的にもソ連の影響下にあった。人口三〇〇〇万人を数えるが、移転前に多数存在したロシア軍基地、ロシア人は出現していない。彼らの世界の一九五八年から移転した。


・日本人民共和国

 樺太島最南端の西側二〇kmの地点から真西に伸びる北緯五〇度以北の樺太島に似た形をした島で、大きさは四国ほど、島の名を沿海島という。元首は首相が勤める。共産党一党しか存在しないが、首相は議員選挙により選出される。任期は一〇年とされていた。日露戦争に敗れた日本が清帝国から手に入れていた同島をロシアに割譲した。ロシア革命後、ソ連による直接支配を受けるが、第二次世界大戦において極東地域で日本帝国に敗北したソ連が返還した。緩やかな資本主義への移行をしており、改革は進みつつあった。人口二五〇〇万人を数えるが、混血以外のロシア人は出現していない。彼らの世界の一九五五年から移転した。


・山城帝国

 対馬の北東二〇kmから北東に伸びる淡路島に似た形をした島で、大きさは九州ほど、島の名を山城島という。元首は山城家嫡男が勤めていた。幕末当時、明治帝に従えることを良しとしなかった大名山城泰司が城主を勤めた山城藩が主体となって続いた国であった。明治日本国家と異なる近代化を遂げ、米国や英国ではなく、フランスの影響を受けた立憲君主制国家であった。直接統治による国家であった。至近にあった大日本帝国とは異なる近代化を遂げていた。人口は三五〇〇万人を超えるが、フランス人との混血は少ない。彼らの時代では一九五九年の時代から移転した。


・瑞穂日本帝国

 対馬の北西二〇kmから南西に伸びる楕円形をした島で、大きさは北海道ほど、島の名を瑞穂島という。二〇kmほどの海峡を挟んで、東に山城帝国が存在していた。元首は明治帝の甥にあたる大成帝であった。大正帝の時代に明治日本と袂を分かちあった。英国追従の国策を取っており、英国とは同盟関係にあり、立憲君主制議会民主国家であった。第二次世界大戦の時期は連合国側について戦い、国際連合常任理事国の一国であったが、移転時期には軍部がクーデターを起こし、政権を掌握していた。他に台湾島全土および中国東北部(日本でいえば満州国)、南洋領の権益とも移転していた。人口は五〇〇〇万人を数えるが、移転前に多数存在した英国人は移転していない。彼らの時代では一九五六年の時代から移転した。


・秋津国

 紀伊半島潮岬沖一〇〇kmの位置から北東に伸びる細長い択捉島に似た島で、大きさは九州ほど、島の名を秋津島という。ほぼ日本の沖縄と同じ経路をたどっていた。第二次世界大戦に敗北した大日本帝国は秋津島を手離さざるを得なかった。しかし、戦後一〇年、日本に返還されることとなったが、それに反対する軍部がクーデターを起こした時期に移転してしまったのである。移転前には本土との関係が元に戻りつつあった。人口は四〇〇〇万人を数えるが、米国軍基地、米国人は移転していない。彼らの時代では一九五六年の時代から移転した。


 講和会議は紛糾したといえるだろう。日本国は戦争に勝利したが、敗戦国たる彼らを直接支配するつもりはなかった。それどころか、同じ日本人であり、技術的にアドバンテージを持つ日本は格好の輸出先を見つけたと判断、これまで低迷していた経済を一気に活性化できると判断した。だからこそ、日本としてはよき隣人でいてくれる限り、支配下に置くつもりはなかったのである。彼らを支配下に置くということは、自らの首を絞めることになる、という意見が圧倒的多数であった。しかし、敗戦国たる彼らの考えは異なっていた。


 日本民主共和国にとっては、東に存在する米国を気にしており、もしかして侵攻を受けるのではないか、と恐れた。技術的に優れた日本の庇護下に入ることにより、その問題は解決できると考えた。さらに、停滞している経済の救世主になるかもしれないと考えてもいた。だからこそ、日本から突き放されることに恐怖を感じていたといえる。


 日本人民共和国においてはもっと深刻であったといえる。移転前よりは距離があるとはいえ、大国ソ連とは海を隔てて国境を接していることは間違いはなかった。移転前であれば、対話のあったそれであるし、日本に返還されてもいたため、安心感はあった。しかし、この世界のソ連が果たして自分たちを認めるか、といえば大きな不安があった。技術的にも進んでいる日本の庇護下であれば、国民のそういった不安は解消できると思われた。だからこそ、ここで日本から突き放されることはどうしても避けなければならないことであった。また、同じ日本人である彼らにできて、自らにできないことではないと考えたのである。


 山城帝国にとっても、技術的にはもっとも進んでると思っていたが、そうではなかった。ましてや、この移転後の世界ではどんなことが起こるかわからなかった。自らより進んだ技術を持つ大国や隣国が新たに出現する可能性は高いと考えられた。事実、隣国たる瑞穂日本帝国は若干ではあるが、自分たちより進んだ技術を有しており、日本国にいたっては想像できない技術力を有していたのである。このままでは技術を吸収することはかなわず、経済的も行き詰ることは目に見えて明らかであった。少なくとも、自らの技術力が向上しなければ、この新しい世界でやっていくことは困難であると思われたのである。


 瑞穂日本帝国においては深刻な問題があった。移転前の領土たる台湾や南洋領が現れたのはいいが、移転先たるこの世界でかっての世界と同じように領地維持ができるかといえば、難しいといえた。自らの技術力ではどうしてもタイムラグが生じてしまい、即応体制が不十分であると考えざるを得なかった。その点、三〇〇〇kmも離れた北と南で情報がリアルタイムで共有できる日本国の技術力は魅力であった。さらに、軍事的にもその庇護下にあれば、それなりに対応できると考えられた。


 秋津島においても同様であった。移転前の米国とはよい関係であったが、この世界の米国が果たして自分たちと同じ世界からやってきた米国であるという確信は持てなかった。また、以前と同じことを繰り返す可能性もあった。米国が進駐してきてからの数年間にあった諸問題は解決の方向に向かってはいたが、この世界でもうまくいくとは限らなかった。日本国の持つ技術力は自分たちにとってプラスになることはあっても、マイナスになることは考えられなかった。仮に袂を分かつこととなってもそれは今ではないと考えられたのである。


 そうした思惑もあり、会議はなかなか進まなかった。そんな中、日本政府は、否、元都知事は身内たる息子の友人である自衛隊員の話を目にすることとなった。かっての友邦たる米国あるいは英国に倣うべきであろう、というのである。それは簡単に言えば、連邦国家制あるいは英国連邦であった。そうすることにより、各地の経済的格差や技術的格差、思考的格差を内包したままでも一個の共生体としてやっていくことは可能であるというのである。


 そして、これまでの議会政治ではなく、新しい政治を目指すべきである、という意見もあった。政府と議会の切り離しであった。移転前のアメリカ合衆国のように、政府(内閣と官僚)と議会(国会議員)を分離することにあった。政府案を議会に提出し、議会の承認後に実行される、というものである。現状政治とは明らかに異なるのはあえて説明の必要はないだろう。つまるところ、政府が何かをやろうとした場合、議会に提出(この時点ですべてが国民に公表される)し、議会の承認を得なければならない。そうすることにより、これまで多くあった密室政治をなくそう、というのである。


 そして、日本国は今回の戦争により、多くの問題を提起した憲法第九条、それを改訂すべし、との声も多くあった。今回の一連の戦争において、自国領土に短期間とはいえ、他国の軍隊が占領していたのである。さらに終結のために必要であったとはいえ、侵攻作戦すら実施していたのである。世界情勢が移転前とは異なり、不安定であること、今次戦争のようなことが再び起こる可能性が高いこと、専守防衛であっても防衛範囲が大幅に広くなることにより、現行法では対応できないというのである。


 これから先、日本人が外地に出ることが多くなると予想され、彼らに起こるであろう疫害から守るためにも見直しが必要だとされたのである。極端な話、現行法では国民に被害が及んでからでなければ、自衛隊員は行動を起こせないといえた。被害がおよぶ前に対処できるようにすべし、という意見も多くあったのである。


 また、異時代あるいは異世界から現れた日本人がおり、主義や主張も異なる日本人が一つになるには我々自身も主義を押し付けるばかりではなく、逆に受け入れることも必要であろうと思われた。かっての大東亜共栄圏のような自己中心的なものではリーダーとして相応しいとはいえない、この先、どのような形であれ、日本人たちが一つになるには日本国も変わるべきであろう、という意見が多く出たのである。


 結果として、日本国を中心に各国が加わる連邦制国家として出発することとされた。構成国は日本国(北海道州、東北州、北関東州、南関東州、東海州、関西州、中国州、四国州、九州、琉球州に分類される)由古丹州(日本民主共和国)、沿海州(日本人民共和国)、山城州(山城帝国)、瑞穂州(瑞穂日本帝国)、秋津州(秋津国)から構成され、準州として樺太州、台湾州、南洋州、大連州(中国東北部の租借地で旧関東州)が存在することとなった。準州としたのは人口が希薄であること、日本人以外の住民が多数存在すること、純然たる領土でないことが理由とされた。


 国法たる憲法は日本国憲法を基本として改訂して公布することとされた。そして、新たなる国号は、日本皇国、とされたのである。名目元首はこれまでどおり天皇とされ、皇国政府は地方州から選出された内閣総理大臣が就き、皇国議会がそれを審議することとされた。内閣総理大臣の任期は四年とされ、二期以上の継続は認められないものとされた。皇国議会は衆議院および参議院の二院制とされ、衆院議員の任期は四年、参院議員は八年とされた。その他は多くが旧日本国憲法に準じるとされたが、軍備についての項目は刷新され、第九条は廃棄された。軍備に関係する項目は旧日本国以外の諸州が強い反発をしたためであった。彼らにとっては、自らの居住する地域の安全性を強く求めたに過ぎないといわれている。


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