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護衛部隊英国本土へ

 皇国海軍護衛部隊による本格的な英国本土への船団護衛任務は、移転暦九年二月に始まったといわれている。その最初の船団は輸送船三五隻、タンカー一五隻、そして、修理を終えたばかりの二隻の空母が含まれていた。これに対して護衛は、皇国海軍護衛部隊空母五隻、駆逐艦一二隻、英海軍護衛部隊駆逐艦八隻の計二〇隻であった。


 この輸送船には皇国から英国へと向かう東南アジアからの資源、アスロックなどの対潜兵装を含めた武器弾薬、「飛龍」型航空母艦の部品、艦載機である<シーライトニング>の部品などが満載されていた。タンカーには中東からの原油が搭載されており、二隻の空母には稼動状態である<シーライトニング>が満載されていたのである。いずれにしても、今の英国には欠かせないものであった。


 この皇国海軍護衛部隊は聨合艦隊所属ではなく、本国艦隊に属する部隊であった。当然として、その指揮官も本国艦隊に所属する人間であった。というよりも、旧日本国海上自衛隊から皇国海軍に移籍した将兵からなっていたといえる。そう、この部隊には統一戦争以後、皇国に加わった諸州の人間は含まれていない。なぜなら、対潜護衛、という任務に最も適していたのが、旧海上自衛隊所属将兵であったからである。


 いずれにしても、皇国海軍所属部隊としては初の地中海戦線あるいは北大西洋戦線への参入であったといえる。そして、彼らの任務は船団護衛という地味ではあるが、もっとも重要な任務であった。この任務如何では今後の皇国海軍の方向が決まるといえた。仮に予想以上の被害を出すようでは艦隊の存在意義が問われるであろうし、主要連合国での皇国の位置が取りざたされることになるからである。


 この時期の連合軍加盟国は英国およびその英連邦構成国、西欧各国、北欧各国であり、アジア域からは皇国と満州国、中華民国だけであった。さらにこれら諸国で軍を派遣しているのは、英国とフランスを除けば、実質的に皇国だけであったからである。つまり、戦後の欧州体制に大きくかかわってくることになるといえた。欧州諸国に対する影響力を有するためには、今後幾度か行われるであろう輸送船団護衛任務を最小の被害で成し遂げる必要があったといえたのである。


 ちなみに、先に参入していた旧陸上自衛隊を含む陸軍は、犠牲を出したとはいえ、それなりの存在感を示していたといえる。バルカン半島の治安維持と対独および対ソ戦への備えとして、現地軍を含めて再配備中であった。聨合艦隊遣欧艦隊の主力となっている第一機動艦隊は黒海からアドリア海へ移動、アドリア海に展開していた第一〇機動部隊は黒海へと移動していた。


 この移動は、イタリアへの圧力をかけるためであり、空爆を含めた作戦に備えてのものであった。この頃、イタリアには英国軍一個師団とインド兵二個師団、ANZAC軍一個師団が上陸しており、イタリア国内を北上していた。第一機動艦隊からは偵察ポッドを装着した機体とその護衛の<流星>がイタリア軍機が上がってこないのをいいことに我が物顔で飛び回っていたといわれる。


「長官、イタリアはもはや枢軸軍から脱落直前といえます。一般国民に被害を与える空爆はできるだけ避けたいと考えています」

「主席参謀もそう思うか?」山口はそう問う。

「はっ、できれば政府施設だけに攻撃を加え、降伏に追い込むのが良いと思われます。一般国民に被害が及べば、戦後に何かと遺恨を残すことになりかねません。ここは親独政府のみへの攻撃を進言します」

「わしとて一般国民を戦闘に巻き込みたくはない。問題は現場を知らない上がどう判断するかだよ。命令に従わないわけにはいかんしな」


 イタリアはまさに陥落直前であり、北部イタリアに移動した政府は国民の反発心を抑えられないでいたといわれる。ドイツにとっては、イタリア政府など必要なく、自らの命令に従う軍さえあれば良いといえた。しかし、多くのイタリア兵は政府から離反し、命令に従うことはなくなっていたとされている。イタリア政府内でも、ムッソリーニ首相は孤立しており、従うのは数名の側近だけだという情報も入っていた。


 連合軍に加担しているとはいえ、遣欧艦隊に対する命令権は英国にはなく、聨合艦隊司令部あるいはその上の皇国政府からの命令にしか従わないことは英仏も判っており、あくまでも依頼という形でいってくることになっていた。それを山口や三川中将が自らの権限内であると判断すれば動くし、そうでなければ、聨合艦隊司令部に指示を仰ぐことになっていた。幸いにして、これまでそのようなケースはなく、現場指揮官である山口や三川で判断できることばかりであった。しかし、いま英国軍上層部で検討されているという作戦、北部イタリアに対する空爆は、それを超える可能性があった。


 いくら猛将といわれる山口であっても、一般国民に対する攻撃を行うほど愚かな将官ではない。軍艦や航空機、軍事施設などに対する攻撃には躊躇しないが、一般国民に被害が及ぶ攻撃には躊躇することもあったのだ。特に今回の標的とされる一都市に対する無差別空爆にはあまり乗り気ではなかったといわれる。


 ともあれ、移転暦九年三月二日、遣欧護衛部隊に護衛された輸送船団はポートサイトを出港し、ジブラルタルを経由して英本土へと向かった。一応安全海とされている地中海であったが、護衛部隊は気を抜くことはなかったとされる。結果として、途中、不審潜水艦と遭遇するも被害なく、六日後にジブラルタルに到着している。ここで三日間の休息と補給を済ませた後、北大西洋へと乗り出し、英本国へと向かったのである。


 護衛部隊は二四機の対潜哨戒機を四交代で二四時間の対潜哨戒を行いつつ、北大西洋を北上することとなった。彼らがもっとも注意していたのは、潜水艦発射式対艦誘導弾であった。第二機動艦隊が攻撃を受け、空母四隻が一度に損傷したことからもっとも恐れていたのである。もっとも、移転前にも、潜水艦発射式対艦誘導弾であるハープーン対艦誘導弾、○四式対艦誘導弾を装備していたことから必要以上に恐れてはいなかったとされている。


 しかし、このときのドイツ軍の潜水艦発射式対艦誘導弾は、ハープーン対艦誘導弾や○四式対艦誘導弾とは異なり、打ちっぱなしというわけではなかったことが後に判明する。空中に飛び出してからは一度は発射母艦からのレーダー照射が必要であったとされる。その証拠に、潜望鏡に搭載されたレーダーが発信されることがわかったのである。


 もっとも、この世界の諸国では未だ航空機の夜間運用は行われておらず、かつ、二四時間常に対潜哨戒を飛ばすことなど考えられておらず、皇国の護衛部隊の運用方法に驚く軍人が多くいたとされ、この船団に属していた空母の乗員たちからいくつかの意見具申が英海軍上層部になされたといわれている。大戦中期以降には航空機による夜間哨戒が行われるようになったが、そのきっかけがこの護衛艦隊の行動にあったといわれている。


 一週間をかけて英本国に辿り着いたとき、当然ながら被害は皆無であったが、戦果のほうは、一〇隻のUボートの撃沈破とヴィシーフランス海軍のフリゲート二隻を撃沈していた。このときは幸いにして航空攻撃はなかったとされ、もし多数の航空機による攻撃を受けていれば、無事ではすまなかったのではないか、というのが英海軍の見解であったといわれる。


 しかし、皇国海軍としては、ドイツ軍機の及ばない海域-陸地から八○○km離れた海域を航行しており、攻撃を受けることはないと判断していた。ちなみに、この頃の欧州の航空機の戦闘行動半径は、戦闘機で五〇〇から六〇〇km、爆撃機で一四○○kmとされており、それ以上離れていれば、攻撃を受けることはないとされていた。爆撃機の場合は可能であるが、航空機動が鈍重であるため、対空誘導弾で容易に迎撃可能であったといわれていた。


 こうして皇国海軍護衛部隊による護衛を受けて、月に一度、多いときで二度の英国本土への戦略物資の輸送が行われ、英国の継戦能力の向上につれ、逆にドイツ海軍の勢力は失われつつあった。戦後よくいわれることであるが、英国本土を攻略できなかったこと、皇国軍の能力を低く見積もったことがドイツ敗北の原因であった。英国本土が攻略できていれば、あるいは皇国が参戦しなかったら歴史は違っていただろう、といわれるのは的を得ていたとされる。


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