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ポートサイトにて

 移転暦八年四月二五日、ポートサイト、スエズ運河の地中海側のこの港には平時であれば、東南アジア植民地に向かう英仏蘭の貨物船や客船、皇国から欧州へと向かう客船などでごった返していたはずであるが、戦時の今では数えるほどであり、見かける船の多くは大なり小なり損傷していた。中でも、巡洋艦や駆逐艦といった軍用艦には無傷のものがほとんどなかったといえる。


 地中海の制海権が枢軸側にあるため、ジブラルタルや英国本土に向かう船は稀であり、その多くは船団を組んで多くの護衛艦艇がが付いて向かうこととなる。しかし、無傷でたどり着ける船は多くはない。約半数が沈没するか損傷を受ける。とりわけ、ドイツ空軍が新型の対艦誘導弾を投入した前年九月以降、一〇〇隻以上の艦船が撃沈破されている。


 そのポートサイトに、久しぶりに大艦隊が入港していた。いずれも旭日旗を艦尾に掲げており、中でも目を引くのが八隻の航空母艦と四隻の戦艦であろう。特に、航空母艦はこれまで見たこともない形をしている、と港の英仏蘭海軍の軍人たちは思ったという。そして、四隻の戦艦を見るなり、時代錯誤もいいところだ、と考える軍人が多くいたという。この世界では、一〇年前に誘導弾が普及し始めると戦艦は急速に廃れていったからである。戦艦の主砲はたかだか三〇km、しかも無誘導で命中率が低いのに対して、艦対艦誘導弾は八〇km、しかも、妨害を受けなければ命中率は高いからである。


 当然ではあったが、この皇国艦隊が地中海に入ったことはドイツ海軍の知るところとなった。ポートサイトには多くの現地住民がおり、中にはドイツ軍のスパイとなっていたものも多くいたからである。むろん、遣欧艦隊司令部や遥か彼方の聨合艦隊司令部や皇国軍上層部もそれは承知していた。それゆえ、作戦行動は別として、港では特に艦隊を秘匿することはしなかったといえる。


 遣欧艦隊は三群に分かれていた。ひとつは第一機動艦隊、ひとつは第二機動艦隊、ひとつは戦艦部隊である。


戦艦部隊

旗艦『鞍馬』

司令長官 三川軍一中将

第二戦隊

戦艦『金剛』『比叡』

第三戦隊

戦艦『榛名』『霧島』

第四戦隊

重巡『愛宕』『鳥海』

第一水雷戦隊

軽巡『阿武隈』

駆逐艦『若葉』『子の日』『初春』『初霜』『響』『暁』

第二水雷戦隊

軽巡『神通』

駆逐艦『嵐』『雪風』『天津風』『時津風』『秋雲』『磯風』

第三水雷戦隊

軽巡『川内』

駆逐艦『舞風』『浦風』『初風』『浜風』『谷風』『萩風』

第六水雷戦隊

軽巡『長良』

駆逐艦『陽炎』『不知火』『野分』『早潮』『親潮』『黒潮』

第二六駆逐隊

駆逐艦『海風』『山風』『江風』『涼風』『時雨』『有明』


第一機動艦隊

旗艦『白根』

司令長官 山口多聞中将

第一航空戦隊

空母『飛龍』『蒼龍』

第二航空戦隊

空母『隼鷹』『飛鷹』

第七戦隊

重巡『熊野』『鈴谷』

第八戦隊

重巡『利根』『筑摩』

第四水雷戦隊

軽巡『由良』

駆逐艦『朝雲』『峯雲』『夏雲』『朝潮』『荒潮』

第五水雷戦隊

軽巡『大井』

駆逐艦『風雲』『夕雲』『巻雲』『霰』『霞』

第一六駆逐隊

駆逐艦『松』『竹』『梅』『桃』『桑』『桐』

第一八駆逐隊

駆逐艦『杉』『槇』『樅』『樫』『榧』『楢』


第二機動艦隊

旗艦『榛名』

司令長官 角田覚治少将

第三航空戦隊

空母『大鷹』『冲鷹』

第四航空戦隊

空母『赤城』『加賀』

第五戦隊

重巡『妙高』『羽黒』

第六戦隊

重巡『高雄』『摩耶』

第七水雷戦隊

軽巡『北上』

駆逐艦『三日月』『電』『雷』『曙』『潮』『漣』

第八水雷戦隊

軽巡『木曾』

駆逐艦『帆風』『夕風』『霜月』『冬月』『春月』『宵月』

第二○駆逐隊

駆逐艦『吹雪』『白雪』『初雪』『叢雲』『磯波』『浦波』

第二四駆逐隊

駆逐艦『敷波』『綾波』『朝霧』『夕霧』『白雲』『天霧』


 戦艦部隊の指揮官に近藤中将の三期下の三川中将が指名されたのは、近藤中将は軍令部勤務が長かったため、現場勤務の豊富な三川中将が選ばれたといえる。この世界では年功序列はないとされていたが、それが実践されているということであろう。さらにいえば、遣欧艦隊司令官は置かれておらず、機動部隊群は山口中将が、戦艦部隊群は三川中将がそれぞれ指揮を執り、二人は聨合艦隊司令部からの命令で動くこととされていた。もっとも、地中海において厳密に二群に分かれて行動することはなく、二人は同じ命令書を受け取り、それを実行することとされていた。


 一説によると、聨合艦隊司令長官山本五十六海軍大将が自ら出向く、という話もあった(実際に志願した)が、皇国海軍本部がそれを認めなかったという。結局、指揮官二人制となったが、皇国海軍本部はどちらかといえば、戦艦部隊よりも機動部隊に重きを置いていた節がみられる。艦載機がジェット化されており、各種誘導弾が実用化されているこの世界では仕方がないことかも知れなった。


 しかし、英仏軍の皇国軍に対する評価は低いものであった。東南アジア地域の英仏蘭軍の評価とはまったく異なっていたのである。そのため、出撃予定が遅れていたといえる。最初の共同作戦として予定されていたのは、北アフリカにあるチュニスの枢軸軍(そのほとんどがイタリア軍であった)の撃破にあった。この作戦において、英仏軍は正規兵一個旅団および植民地兵一個師団ずつ、合わせて二個旅団と二個師団の投入を予定していたといわれる。植民地兵はともかく、指揮を執るのは英仏軍の正規兵であり、彼らが上陸戦を渋っていた、というのがその実情であった。


「英陸軍の皇国に対する認識はあんなものかな。ちょっと感情的になってしまうよ」ポートサイトでの会議を終えて乗艦である『白根』に戻る途中、山口が後ろを歩く大井にいった。

「はぁ、私もまさかあそこまで頑固だとは思いませんでした。海軍のほうはある程度はわれわれの情報が入っているようですが」

「東洋艦隊とは東南アジアで二度ほど共同作戦を行っているが、陸軍とは共同作戦は行っておらんしな」

「ですが、ジャカルタ占領作戦やバレンバン占領作戦の情報は入っているはずですが・・・・」

「バーナード・モントゴメリー大将個人の問題だろうか」

「私もそのように考えます。しかし、困りました。これではこの先においても共同作戦は望めないと考えたほうがいいかもしれません」

「仕方があるまい。ただし、これで「転封作戦」はやりやすいと考えられる」

「はぁ、おっしゃるとおりです」

「で、だ。何か手がないか考えてくれ。可能性のある作戦なら、わしが上に話して通す。モントゴメリーには何も言わせん」

「はっ!」


 結局、皇国は別任務に就く予定でマダガスカル島入りしていた第二海兵旅団とで、チュニス上陸作戦を実施することとなった。第一機動艦隊と「扶桑」型強襲揚陸艦、「おおすみ」型輸送艦一〇隻による敵前上陸および橋頭堡の確保までを実施、以降は英仏軍による反攻作戦を行うとされたのである。むろん、橋頭堡を確保し、英仏軍が上陸すればさっさと引き上げる予定であった。


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