新作戦発動
「マダガスカル島占領ですか?!」大井が声を上げる。
「そうだ。インド洋の制海権を確保するためにはインド洋のどこかに根拠地が必要なのだ。当初、英国からディエゴガルシア島を使用させてもらう方向で話を進めていた。が、ジャカルタ占領確保があまりにも鮮やかだったため、断ってきたのだよ。自分たちで何とかできるだろう、とね」そういったのは聨合艦隊参謀長に就任した村田治夫海軍少将であった。
ここは中津島軍港を見下ろす小高い丘に作られた聨合艦隊司令部、その五階にある会議室であった。司令部は六階建てのビルであり、実働部隊のほかに、基地要員が多くいた。艦艇から余剰人員として降りた兵士たちである。むろん、適性検査と本人の希望によるが、一○○人ほどいた。それ以外にも、国防省からの出向組や一般職員がいたのである。
司令部ビルから少し離れたところには、一〇万人の将兵のための居住施設も建設されている。半分ほどは既に仮設住宅を引き払い、新しい居住地、多くはワンルームマンションであったが、移動していた。むろん、それだけではなく、一つの町を形成するための、諸施設も作られている。スーパーや食堂、理容、公衆浴場、郵便局、銀行といった設備も完成しつつあった。
その司令部の会議室、司令部内では二番目に小さい、でジャカルタおよびバレンバン確保任務についていた第一機動艦隊および第一艦隊、揚陸部隊の主だった将が集められ、海軍本部と聨合艦隊とで共同して立てられた次期作戦についての会議が行われており、そこで議題を説明された後の反応が冒頭の発言であった。
「しかし、艦隊戦力はともかくとして補給はどうなるんです?未だ、インド洋の独潜水艦の活動が続いていると聞いています。護衛艦艇が少なすぎます」
「大井少佐、それには対応策が練られている。本土の第一および第三艦隊が進出する予定だ」
「横須賀と舞鶴から?近海はがら空きになるのではありませんか?参謀長」
「いや、諸州に配備の艦隊が各海峡警備に当たるから、大丈夫だと判断している。それに、聨合艦隊だけに働かせるわけにはいかん、という意見も多くあるんだ」
「ではS作戦は延期ですか?
「いや、第二機動艦隊と第三艦隊が行う予定である」ここで初めて聨合艦隊司令長官の山本が発言する。
「ですが、長官、陸戦部隊はどうなるのですか?S作戦にも陸戦部隊は必要です」
「うん、実は陸戦隊は大幅に増強されているんだ。艦艇から移動した兵もいるが、志願が多くあったようで、都合七〇〇〇人ほどになる。さらにいえば、一木連隊も同規模になる」
「そうはいっても、訓練もなしには投入できないのではありませんか?」
「いや、陸軍歩兵経験者がほとんどだよ。それで、編成も改められて、二個海兵旅団とされたのだ。一木連隊も正式に海兵団所属となる」
「それで双方に投入するわけですか?たしかに、われわれの歴史では八〇〇〇人ほどしかマダガスカル島守備隊はいなかったとされていますが、この世界ではもっと多い可能性があります」
「いや、海兵団はマダガスカル島占領作戦に就くんだ」
「えっ、ではS作戦にはどこの部隊が?」
「秋津から一個師団を投入する。マダガスカル島占領後は沿海州と由古丹州から合わせて二個師団、本土から第一機甲師団および一個施設旅団が投入される予定になっている」村田参謀長が答える。
「フランスとは話がついているんでしょうか?ヴィシー側についているとはいえ、フランスの植民地でしょう?」
「話はついている。一時的な占領ということでね」
こうして会議が続けられ、ジャカルタ開放作戦についた部隊がマダガスカル島占領作戦に就くこととなった。第一機動艦隊と第一艦隊、揚陸部隊、輸送部隊、第一護衛艦隊および第三護衛艦隊(聨合艦隊と紛らわしいため、本土からの艦隊は護衛艦隊とされた)、さらに、補給部隊と二万トン型タンカーが各部隊に随伴することとなったのである。作戦発動は八月一七日とされたが、本土から出撃する部隊は五日前の一二日とされた。
東南アジア地域のドイツ軍には航空部隊は配備されていなかったが、インド洋には多くはないにしても配備されている可能性があった。また、ドイツ海軍自慢の空母(「グラーフ・ツェッペリン」型とされている)が二隻、インド洋に進出していることも確認されていたのである。
「グラーフ・ツェッペリン」型航空母艦の諸元は次のようになっていた。基準排水量四万一三○○トン、全長二五○m、全幅水線/甲板三二m/三○.五m、 吃水八.五m、主機スチームタービン×四基、四軸推進、出力一八万馬力、搭載機戦闘機二四機、攻撃機二○機、油圧カタパルト二基、エレベーター三基、武装一〇連装対空誘導弾発射機二基、二〇mm三連装機銃一六基、最大速力三三kt、乗員定数三○○○名というものである。
史実では空母『赤城』を参考にしたとされているが、この世界でも、ドイツの造船官たちは改装前の『赤城』を参考にしていた。大戦勃発前には皇国側も欧米に公開していたからである。もっとも、ドイツにとって空母は初めて建造する艦種であり、どちらかといえば、航空機輸送に使われることが多かったとされている。
ともあれ、マダガスカル島攻撃は九月一五日とされ、部隊は準備されることとなった。トラック島の艦艇は一度中津島に帰還すべきでは、との案が山口中将から出されたが、村田参謀長は時間がないこと、余裕を持って攻撃をするということから却下されている。その分、トラック島での整備を入念に行うとされた。なお、第一機動艦隊の新しい参謀長については、山口長官が、いまさら新人事では士気にかかわるとして固辞、聞き入れられないなら司令職を辞する覚悟である、として退けていた。結局、第一機動艦隊の司令部人事は現状のままとされた。
三日後、一行はトラック島に向かう旅客機の中にいた。この機体は三菱重工の製造したMRJ70型であり、今のところ、国内主要空港間、満州、台湾、サイパン、グアム、トラック間が運行されていた。一般客の多くは台湾やグアム、サイパン、小笠原に向かうことが多く、それら地域は観光地として開発され、多くの観光客が訪れていたといわれる。
「主席参謀はあまり乗り気じゃないのかね?マダガスカル島攻略は」
「長官、そうではありません。早過ぎると思ったのです。東南アジアとソロモン諸島を確保してからでも十分ではないか、そう思っていたのです」
「なるほどね。それでおかしいと?」
「ええ、欧州で何かあったのかと考えました。艦艇勤務では情報収集が限られますから」
「たしかに艦艇勤務では与えられる情報は限られているが、勤務の都合上、ある程度は仕方がないだろうな」
「『白根』に戻ったら少し調べてみます」
このころ、欧州ではドイツ軍の新型誘導弾により、被害が続出していたとされる。マッハ二.○以上の対艦誘導弾により、英国艦艇の損失が相次いでいたのである。また、対艦攻撃だけではなく、対地攻撃誘導弾および対空誘導弾も新型の誘導弾の登場により、被害が増えていた。それがため、皇国の欧州進出が急がれたということが判明する。このころの多くの誘導弾はマッハ一程度であり、高速の誘導弾には対処できない、といわれていた。