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ジャカルタ開放作戦

「長官、第一艦隊より入電です」通信参謀の大沢浩孝海軍中佐が山口の前にやってきて告げる。

「読んでくれ」

「はっ、我、セレベス海に入れり、一四二五、以上です」

「ごくろう、変わったことがあればすぐに知らせてくれ」

「はっ」

「長官、二航戦の草鹿司令より電話が入っています。二番です」

「判った」そういって長官席の右側にある受話器を取り上げる。

「山口です。どうかしましたか?」

「はっ、上空の機体の交代時に空母の対潜ヘリを上げたいのですが許可をいただきたいと思いまして」と草鹿龍之介海軍少将がいう。

「ああ、そろそろだね、許可する。『隼鷹』『飛鷹』からヘリを上げて対潜哨戒につけてくれ」そういって受話器を置いて大井のほうを見る。

「長官、『飛龍』『蒼龍』には通達しました。直ちに取り掛かるとのことです」

「うむ、しかし、あの蒸気カタパルトは凄いな。全備で二〇トンもの機体を軽々と、しかも艦自体の速度を変更することもなく発艦させるのだから」

「はっ、われわれには戦後、空母の運用経験はありませんし、建造経験もありませんでした。しかし、在日米軍の艦艇整備に関わっていたことが技術として蓄積されておりましたので建造できた、ともいえます」


 事実、日本の企業の多くは在日米軍の艦艇整備に関わっていた。第七艦隊空母の母港である横須賀にはそうした技術を持つ企業が集結していた、といえるだろう。逆をいえば、日本で整備できていたからこそ、米軍艦艇は問題なく稼動していたといえるのである。


 空母から飛び立った攻撃隊は順調に飛行し、ジャカルタまで五〇kmに達していた。既に各機はドイツ軍のレーダーに探知されていることはわかっていたが、基地からの攻撃はまだなかった。そして、このとき、淵田機と僚機は○四式誘導弾を一発ずつ発射していた。発射して数秒後、独軍基地から迎撃誘導弾が発射され、さらに数秒後、機関砲が打ち上げられるのが確認できた。しかし、マッハ二で飛ぶ誘導弾を打ち落とすのは並大抵ではできない。そして、○四式は二箇所のレーダーに命中したのである。


 一瞬にして操縦席でがなり立てていた警報音は止まることとなった。破壊したレーダー施設の上空を飛ぶ二機に対しては機関砲の攻撃はあったものの、迎撃誘導弾による攻撃はなかった。つまり、独軍の迎撃誘導弾の射程外から攻撃したことによるレーダー施設破壊により、以後の迎撃誘導弾発射ができなくなったのであろうと思われた。


 対地攻撃を行う各機を上空から見ていた淵田機の操縦席で再び警報音がなり始めたのは、『飛龍』および『蒼龍』から発艦した編隊の攻撃が終わったときであった。続こうとした『隼鷹』および『飛鷹』の攻撃隊には待機命令を発し、乗機のパイロットに再び攻撃を伝える。


「主席参謀の言った通り、予備のレーダー施設があったようだ。何箇所から出ているか判るか?」

「一箇所です」

「よし、こちらが攻撃を行う。遅れると誘導弾が発射されるぞ」

「了解!」


 そうして、再び○四式対レーダー誘導弾が発射される。攻撃を終えて上昇に移った機体に向かって地上から誘導弾が発射されたが、先に○四式が命中した。そのため、発射された誘導弾はそのまま飛び続け、味方機に向かってコースを変えることはなかった。


 そうして、待機していた二二機が攻撃に移る。目標は誘導弾発射施設と思われるところに集中することとなった。結果として、ジャカルタとバレンバンの独軍基地は壊滅することとなった。航空隊の攻撃はこれで終わることとなり、後は上陸部隊による地上戦となる。


「長官、淵田機から入電、我、攻撃に成功せり、第二次攻撃隊の要なし、であります」

「判った、淵田はうまくやったようだね。よし、攻撃隊を収容したら合流点にむかう。なお、各艦には対潜哨戒を厳になすよう通達」

「はっ」

「長官、明日早朝の上陸前に今一度、各艦四機ずつの攻撃隊を編成して攻撃を行うことを進言します」

「うん?何か不審な点でもあるのか?主席参謀」

「はっ、マカッサルで攻撃されたような大型誘導弾、たぶん、対艦誘導弾と思われますが、片付いているか不明です。それに、高速で飛行するジェット機から地上を観察するのも至難の技です。それと、潜水艦が港湾に帰港しているかもしれません」

「うむ、たしかにな。よかろう、計画を立てて一八○○までに提出してくれ」

「はっ、ありがとうございます」


 翌○五三○時、「おおすみ」型輸送艦四隻による陸戦隊の上陸を前に再び航空攻撃が実行された。第一艦隊の『大和』がスンダ海峡を抜けた南側、その反対側に『長門』『陸奥』が海峡を塞ぐような位置に付くと、陸戦隊を乗せた四隻の輸送艦がジャカルタに向かった。途中幾度か砲撃を受けたため、『長門』の第一砲塔の一門がが発砲する。四○.六cm砲弾の威力は航空攻撃の比ではなかった。その後、斉射に移ったが、三斉射で抵抗がなくなり、以後攻撃はなかった。


 上陸には、『扶桑』と『山城』に搭載されていたH-53Jスーパースタリオン二機が支援任務についていた。上陸した陸戦隊に対する反撃はなく、ジャカルタの確保は後続の一木連隊の上陸もあって一日で終了していた。翌日にはスマトラ島東部に上陸、こちらもさしたる抵抗もなく、バレンバンの確保まで三日で終えている。オランダ現地司令官との協議により、皇国軍はスマトラ島東部の維持任務に当たることとなり、陸軍一個師団が皇国から派遣されることになった。


 本国からの派遣軍が到着するまで バンダールランブンやシンガポールでの休息後、ジャワ海やスンダ海峡、マラッカ海峡の哨戒任務についていた第一機動艦隊および第一艦隊は次にティモ-ル島へと向かった。しかし、ここには独軍は進出しておらず、スマトラ島の師団から一個連隊を分派、維持任務に就くこととなった。


 次いで向かったのが西イリアン(西ニューギニア島北部のソロンであったが、ここにも独軍は進出しておらず、スマトラ島から一個連隊を分派し、維持任務にあたることとなった。これら地域には本土から施設隊が派遣され、わずか一ヶ月で二〇〇〇mの滑走路を持つ仮設基地が設営され、対潜哨戒機部隊が派遣されることになった。むろん、これはジャワ海やバンダ海、アラフラ海の哨戒につくためであった。欧州からソロモン諸島までは、インド洋を通過し、マラッカ海峡やスンダ海峡、ロンボク海峡などを通るしかないからである。オーストラリアとニューギニア島東部のトレス海峡を通る方法もあるが、ここは浅く、狭く、暗礁が多いため、通行は難しいとされていた。潜行しての通過はまず不可能だからである。それに、オーストラリア軍の監視も厳しい。


 第一機動艦隊および第一艦隊、上陸作戦に参加した揚陸艦部隊がトラックに帰還したのは七月も終わろうかという三○日のことであった。艦艇部隊や海軍陸戦隊、一木連隊は休息を取ることとなったが、第一機動艦隊や第一艦隊の司令部要員は、運行され始めたばかりの航空路で中津島の聨合艦隊司令部へと向かうこととなった。


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