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異世界

今回も焼き直しです。大幅に加筆修正はしておりますが。

 西暦二○XX年一二月八日、日本国は建国以来の重大な危機に直面していた。つまり、日本国は新たな世界に出現していたのである。その出来事は誰もが知らない間に起こった。最初に気づいたのは為替相場を監視していた人たち、そして投資家であったといえた。まず、海外との連絡が一切取れなくなったこと。そして電波の途絶。夜が明けるころには日本国中が騒然となった。


 夜が明けてからはさらに混乱が広がることとなった。携帯電話の使用不能および回復、これが混乱の始まりであり、そして収拾の始まりでもあった。それほどに携帯電話の占める役割は重要であったと気づかされる出来事でもあった。五年前の電波法改定により、携帯電話は地上波を使用できなくなり、PHS以外の携帯電話はすべて衛星局経由のものであった。つまり、専用通信衛星経由での通信方式に改められていたからこそ、通信衛星が消滅したとたんにすべての通信が途絶えたのである。


 もうひとつ、それまで当たり前のように使えていた携帯電話や車載ナビのGPS機能が使用できなくなっていた。それだけではなく、携帯電話による海外への連絡が不可能となっていたのである。そうして、一日が過ぎる頃には国内での通信は一部問題があるとしても確保されていることが判明する。しかし、海外との連絡は一切不可能であった。


 この非常事態において、当時の民主党政府は何の手も打てず、混乱はさらに増すと思われた。このとき立ち上がったのが、当時の東京都都知事をはじめとする地方の政治家であった。党政府ではなく、挙国一致内閣を樹立すべし、という提案であった。こうして初めて国民投票による超党派政府が樹立することとなった。内閣総理大臣は件の都知事であり、それまで乱立していたいわゆる新党から多くの閣僚が指名されていた。要するに、アメリカ合衆国型政治を目指したが、政府と議会の完全分離は行い得なかった、ということになる。もっとも、閣僚になった議員は議会での決議権を消失しているため、若干なりとも議会との分離は成されていたと見るべきかもしれない。


 その中で目を引いたのは外務大臣にかって金権政治で知られていた政治家の娘が二度目として、防衛大臣には民主党との連立で一躍名をあげた女性党首が就いていたことであった。挙国一致内閣とはいえ、政党的バランスを考えなければ成立しなかったところに、日本の政治の脆弱さが伺える。しかし、この防衛大臣起用は更なる混乱を招くこととなった原因であったといえた。ともあれ、新政府が発足したのは事態発生から三ヶ月後のことであった。


 この混乱のおり、すばやく動いたのが、国民や一部の党に白い目で見られることの多かった自衛隊統合幕僚監部であり、現場の自衛隊であったといわれている。まず海上自衛隊隷下にあったすべての対潜哨戒機群を発進させ、日本国周辺の調査、さらには航空自衛隊偵察部隊を発進させ、当時、最重要問題となっていた朝鮮半島や中国の偵察を命じている。しかし、この時、彼らは衛星を利用したすべての機能が使えなくなっている事を知ることになった。


 そうして新政府により、国民に知らされたのは、地球の異なる時代へのタイムスリップ、もしくは地球と同じ環境の異なる世界への移転というものであった。そのとき公開されたのが航空写真であった。航空機による写真ではあったが、日本の周辺は明瞭に写されていた。それは国民だけではなく、政府にすら衝撃的なものであった。少なくとも移転前とは異なる世界であることは間違いなかった。そこに写っていたのは、以前の日本国周辺ではなかったのである。まるっきり異なるかといえば、そうでもなかった。


 その後、種子島の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に出された依頼、移転前にあっては翌年二月に打ち上げ予定であった気象衛星の打ち上げ(予定を延期し、打ち上げの事前調査を行っていた)により、視覚的にも事態は一気に氷解することになった。これがパニックにいたらなかったのは、この当時、日本に蔓延していた無関心という心理状態であったとされている。


 すでにこの時には宇宙に多数存在する筈の各種人工衛星がない事、自衛隊をはじめ警察、海上保安庁といった電波監視機能を持つ組織からの電波状況が報告されており、ある程度の推測情報が流されていたことも影響していたと考えられている。しかし、時が経るにつれて経済的なことに関連してくると、混乱はますます大きくなり、治安の悪化を招く事態へと進むことになった。


 石油、である。これが問題であった。現代日本において石油がなくなることは生活の基盤が揺らぐことといっていいからだ。メタンハイドレードなどの代替エネルギーの供給はまだ進んでいなかったし、国の基盤を守るほどには市場は成熟しておらず、いまだに化石燃料といわれる石油に頼らざるを得なかったのである。政府は石油を配給制にし、備蓄分を何とか減らさないようにするしかなかったといわれる。


 だが、石油問題についてはあっさりと解決されることになった。備蓄分を使い果たそうとしていた五月初め、北海道稚内岬沖三〇kmにある島、移転前の樺太島とそっくり同じ、の偵察に飛んでいた海上自衛隊の対潜水艦哨戒機P3C<オライオン>が天候の急変と触雷により、島の最北部に不時着した際、露呈産出している石油と油田とおぼしい地域を発見したのである。


 さらに、後の調査により、原住民ともいうべきアイヌ系住民が三○万人ほど居住していることが確認されている。彼らは定住しているわけではなく、季節により、島内を移動して暮らしていた。石油資源については、あまり多くはないが日本が使う分を一〇〇年ほどはまかなえるだけの埋蔵量が確認され、その他にチタン鉱脈、半導体に必要なシリコン鉱脈などが発見されている。これにより、一部エネルギー問題は解決されることになった。


 ではあるが、日本は元々資源の無い国であり、いまだに不足している資源は数え切れぬほどあったのである。石油が供給され、外地への渡航が許されれば、以前と同じように資源を求めて出て行くはずであり、渡航先で問題が生じる可能性が高いと思われ、それを避けたい政府はいまだに国外への渡航許可は出さないでいた。可能なのは樺太島のみであった。


 ここで、この時点で判っている範囲で日本の周辺を挙げてみよう。ただし、樺太島を除くすべてが上空からの確認であって、実際にそこを調査したわけではない。そう、政府は自衛隊にすら上陸は許可していなかったのである。自民党を飛び出したもののその手腕を買われて再び厚生労働大臣に就任していた人物が、未知の病原菌を国内に持ち込む恐れがある、として反対していたのである。後にこの決断が日本を更なる混乱から救うこととなる。


 まず北方を見てみると、そこには移転前と同じ形をした樺太島が存在し、位置的にも移転前と同じであった。既に、陸上自衛隊北部方面隊第二師団から抽出の一個連隊が進出し、警備任務についていた。北部方面総監部は二個連隊の進出を上申しているが、防衛大臣はそれを許可していない。海上自衛隊からは一個航空隊(対潜哨戒機部隊)が進出していた。第五師団から抽出の一個連隊は千島列島に進出し同様に警備任務についていた。移転前には北方領土問題として問題になっていた地域を確保していることになる。いずれも無人であることを確認していた。


 千島列島最東端の占守島しゅむしゅとうの至近にはカムチャッカ半島が存在していた。そして移転前と同じように東西に大陸が伸びているが、樺太島とは五〇kmほど離れていた。北方で大陸と最も近いのが占守島とカムチャッカ半島であると思われたが、今のところ、半島の住民とは接触しておらず、特に問題は発生していなかった。


 樺太島最南端の西側二〇kmにはそこを起点にした日本とは逆の弧状列島が存在していたが、多くが環礁で、両端のみに居住可能な島が存在していた。樺太島に近い方は四国ほどの大きさで、もう一端は九州ほどの大きさであった。いずれの島でも住民は確認されておらず、無人であると思われた。これら弧状列島の最北端から一〇〇kmほど北にはカムチャッカから続く大陸ががあった。


 その弧状列島の最西端は位置的には対馬の北二〇kmあたりで終わり、そこから二〇kmほどの海峡を挟んで、北東から南西に伸びる楕円形の北海道ほどもある島が存在していた。対馬との距離は二〇kmほどであった。上空からの偵察による限りでは住民は確認されていなかった。その島から一〇〇kmほど離れたところに、移転前には何かと問題になっていた朝鮮半島がそっくりな形で存在しており、そちらには多くの住民が確認されていた。


 南東には北海道根室半島の東南五〇kmのところを起点にして弧状列島が延びており、最西端は紀伊半島沖一〇〇kmほどのところで終わっていた。こちらも北の弧状列島と同じように多くが環礁で、人が居住できるのは根室半島沖の四国ほどの大きさの島と紀伊半島沖の九州ほどの大きさの島、ほぼ中央の淡路島ほどの大きさの島だけであった。いずれも無人島であると考えられていた。


 そう、日本は北と南を環礁に囲まれた環礁湖の中にあるといえた。南の弧状列島の外側にある小笠原諸島とは連絡が取れており、さらに南の南鳥島とも連絡は取れていたが、政府は南鳥島の放棄を決定、小笠原あるいは本土への移動を命じることとなった。沖縄とも通信は可能であり、南西諸島とも連絡が取れていたのは幸いであったといえる。南西航空混成団によれば、台湾の位置が変わっており、五〇kmほど西に移動しているとの情報であった。


 いずれにしても、移転前には日本の領土とされていた地域はそのまま現れていることに安堵したのは政府であった。そして、移転前には多くの地域に存在していた米軍基地や施設が消滅し、国防はすべてにおいて自前で行わなければならなくなったといえた。そうして、米軍がいた頃に倍する費用がかかることを国民は知ることとなった。そして、件の防衛大臣はこれ幸いと防衛費削減に走ることとなった。しかし、この後、発生した事件において、彼女は自らの意思ではなく、内閣総理大臣から進退を問うことなく、その地位を退かなければならなかったとされている。


 そして移転から一年後の一二月、通信衛星と放送衛星、公表はされなかったが偵察衛星が相次いで打ち上げられ、通信環境(携帯電話が以前のように使用できるようになったことも含めて)は一気に改善された。さらに、偵察衛星(表向きは観測衛星とされていた)による情報収集の結果は公表されることはなかった。いずれにしても、移転後の混乱は若干ではあるが、収拾されるかに思われた。


 日本の周辺以外では特に移転前と変わることはなかった。しかし、それら地域では戦争あるいは紛争が多発しているようであった。それは通信傍受において明確であったといわれている。このあたりの情報があったればこそ、日本政府は一般国民の樺太島以外への進出を許可しなかったといえる。特に、中国大陸においては史実でも発生した国共内戦が起こっていたとされる。


 移転前の日本は貿易国家であった。日本の経済は貿易によって成り立っていたのである。それが完全に途絶えたといってよかった。そうした経済の冷え込みが深刻化し、政府はその対応を迫られることとなった。そうした中で政府が打ち出したのが、内需拡大と貿易開発であった。内需拡大とはいえ、多くの製品を輸入に頼っていた日本にとって難しいといえた。さらに、貿易開発とはいっても周辺の情勢がわからなければそれも難しいといえた。


 しかし、衛星から見れば、朝鮮半島や中国東北部、中国大陸中央には多くの人が住んでいることが判っていた。海上自衛隊のEP-3型電子情報収集(ELINT)機やOP-3C型遠距離(広域)画像情報収集機、航空自衛隊のRF-4EJ型偵察機、E-767などの情報によっても、それなりの文明を持っていることがわかっていた。


 当面、日本の交易相手となるのは東アジア、中国大陸や朝鮮半島といえたかもしれない。。政府の方針としては、穏やかなる浸透が望ましいことはわかっていた。国会議員の中にはタカ派といわれる議員もいたが、現在の自衛隊の戦力では占領政策など不可能なことである。それこそ微兵制でも導入し、大幅に戦力増強をしなければならない。しかし、誰もが微兵制導入とは言わない。微兵制と言う言葉を出した時、その議員の政治生命は失われることになるのは判っていたからである。


 だからこそ、移転前の国策そのままに、専守防衛が覆されることは無かった。そのため、自衛隊が外地に出ることは無かった。政府は沿岸警備においても海上自衛隊を動かすことは避け、変わって矢面に立ったのは海上保安庁であった。本来、政府の不手際で軍を動かすことはあってはならない、誰もがそう考えていたとき、不幸な事件が起こることとなった。


何か無理ある設定になってしまいました。海流の影響を受けるだろうし、北海道とか東北の気象状況がどう変わるか書いてみたかったのだけど、知識がないのでパスしました、

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