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第一部 文化祭編

第四章「異空間の密談、守れない約束」

宝田明夫が「話をしよう」と言った瞬間、僕が知っている「現実」は、まるでテレビの電源を切った時のように、音もなく歪んだ。

「――な……!?」

暖炉の炎が、ありえない紫色に変わる。

ソファの革張りが、水面のように波打つ。

窓の外の景色が、油絵の具を混ぜ合わせたかのように、混沌とした色彩に溶けていく。

ここは、明夫の家(と僕が思っていた場所)ではない。

奴が「作り出した異空間」だ。

(……すごい)

これが、本物の「魔法」か。

僕が左腕に宿ると信じていた「ブラッティ・レイン」とは、次元が違う。

本物の「力」がもたらす、絶対的な支配の空気。

僕は、嫉妬や怒りを通り越して、純粋な「畏怖」を感じていた。

「カオル君には、LOADに代表される魔術マフィアや、七帝を擁する魔術協会の真の目的を理解してもらうんだが……」

明夫は、先程までの陽気なゲーマーの顔を完全に消し、冷徹な「仕事人」の顔で、河合さんに視線を送った。

「そのための前準備には、彼にとって何が必要だと思う? 河合」

河合さんは、僕と明夫の間に立ち、小さく震えていた。

彼女は、僕に守られるように、僕の背中(ベッドの上)に後ずさる。

「ばぶ……?」

彼女は、いつもの幼児退行のすっとぼけで、この張り詰めた空気を切り抜けようとした。

それを見かねたのだろうか?

明夫は、河合さんの頭を……

僕の目の前で、ポンポンと撫でやがったのだ。

偽りではあるけど、いちおう河合さんの彼氏ということで名の知れてる僕の目の前で。

「……おい」

僕が、嫉妬よりも先に、その無礼な行動を咎めようとした時。

明夫は、僕ではなく、河合さんにだけ聞こえるような、優しい(だが僕にとっては残酷な)声で言った。

「なあ、河合。やっぱり、お前……あの先天性の病気、治ってないんだな」

……?

先天性の……病気……?

何のことだ……??

「あの。河合さ……」

その病気のことを反射的に、彼女に聞こうとした、僕の声が止まってしまう。

僕は、見てしまったのだ。

幼馴染の明夫に対して、少しだけ含みのある笑顔で微笑む、河合さんの切ない表情を。

それは、僕には一度も見せたことのない、弱々しく、助けを求めるような……

いや、違う。

諦めと、悲しみに満ちた顔だった。

「ううん。明夫君。治すつもりないよ」

河合さんは、下をうつむきながら、小声で話す。彼女の瞳に、光はなかった。

「だって、私、この精神年齢でも、LOADの二重スパイとして、上手くやれてるよ」

……二重スパイ?

精神年齢?

「私、演技の天才だから、年相応の話し方もわかるし、二重スパイとしての人格も上手く演じれてる。だって、私……知能指数が普通の人より圧倒的に高いし」

「……河合さん? 何を……」

「それで、私の素を出せる場所で、私の素を出すのじゃ、駄目かな?」

彼女は、必死に、懇願するように明夫を見上げる。

「最近、モールス信号を私のおぎゃぱぶ語で表現する手法も思いついたし……!!」

(……!)

あの時の「SOS」は、やっぱり……!

彼女は、あの「幼児退行」ですら、監視を欺くための「暗号モールス」として利用していたのか。

この、小さくて、か弱い少女が。

たった一人で。

二重スパイとして?

しかし、明夫は……

突然、人が変わったかのように、必死に説得しようとする河合さんの腕を掴み、冷酷な言葉を告げる。

「駄目だ」

「……っ!」

「任務に私情を挟むな。特に『おぎゃぱぶ語』は、非合理的すぎる。敵に解読されるリスクを考えろ」

「……明夫君。なんで? いいや。大丈夫。私、大体、分かってるから」

彼女は、そう言って、涙をこらえて前を向いた。

「任務のためだからだよね。実用的でなくて、無意味なことは辞めるべきだよね。ごめんね。明夫……」

(……もう、見てられない)

「やめろよ。明夫」

今度は、僕が明夫の手を掴む。

「は?」

「その手を、彼女から離せ……!」

僕は、ベッドから立ち上がり、明夫の前に立ちはだかる。

「邪魔だ。河合さんにとって、お前のその論理は、苦痛でしかないんだ!」

そうだ。

この男は、何も分かっていない。

河合さんが、あの部室で、どれだけ怯えていたか。

どれだけ、助けを求めていたか。

彼女の「SOS」は、合理的とか非合理的とか、そんなものじゃない。

彼女の、魂の叫びだ。

すると、明夫は僕の胸ぐらを掴んできやがった。

「……カオル君。その態度、自分の立場を分かっていないようだね?」

異空間が、彼の怒りに呼応するように、ギシギシと音を立てる。

「俺は君のことなど、殺そうと思えば、いつでも殺せる。世界の平和の邪魔をするやつは、必ず殺す」

「……!」

「たとえそれが、僕にとって大切な河合さんの大切な人であっても」

しかし、僕はその脅迫めいた言葉に、啖呵を切る。

母さんの「一人のために尽くしなさい」という言葉が、僕の背中を押していた。

「……やってみろよ。宝田明夫」

「……何?」

「僕は、死なないぞ」

僕は、僕の背後で震えている、たった一人の少女を守るために。

この異空間のあるじを、睨みつけた。


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