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第一章 「鼻血を出さない少女」

僕、尾形カオルの朝は、テレビの音で始まる。

居間から聞こえるそれは、決まって一人の男の声だ。

「――よって、謎のマフィア組織『LOAD』の脅威について、政府は断固たる措置を取る所存であります」

スピーカー越しでも分かる、張りのある声。

内閣総理大臣である俺の父親だ。

俺はベッドから起き上がることなく、自室の小さなモニターでその討論会を見ていた。

『LOAD……? 魔法使いのマフィア……?』

また始まった。一国の総理大臣が、何を本気で言っているんだか。

父親の執務室で「魔法」や「LOAD」に関する機密資料を盗み見たことがある、筋金入りの厨二病であるこの僕ですら、それは陰謀論にしか聞こえない。

どうせ支持率稼ぎのパフォーマンスだ。

昔は、もっと優しい目をしていた気もするが。

「……つまらない」

僕はリモコンでテレビの電源を切った。

暗転した画面に、自分の顔が映る。

我ながら、うんざりするほどの造形だ。

この顔のせいで、俺の日常は「日常」と呼べないものになっている。

……で、僕は誰かって?

僕の名前は、尾形カオル。

この国では、総理の息子としてよりも、別の二つ名で有名だ。

『歩く鼻血製造機』

『ブラッディ・ハナジ・プリンス』

ふざけた名前だ。だが、事実だ。

僕は、モテモテのイケメンだ。

その度合いが、常軌を逸しているらしい。

僕は歩くだけで、女子がキャーキャー言いながら、鼻血を出しながら、倒れる。

比喩でもなんでもなく、物理的に。

俺が登校する日の保健室は、輸血用の血液パックが切れる寸前になる。俺が通った後の廊下は、マジで血まみれだ。

だから、俺は刺激を求めていた。

そう……この顔を見ても誰も興奮しない、誰も俺を特別扱いしない世界。

そんな刺激を。

「こんな生活は、つまらないから」

俺は、この人生に飽きた。

僕はモテモテすぎない人生を送りたい。

だから、決めた。

父親の意思に逆らい、この国を出る。

部屋の隅には、荷造りを終えたダンボールが積まれている。

行き先は、自由の国アメリカ。

本場の風俗で働き、もっとすごい男の中の男や女の中の女に出会い、僕なんか相手にされないぐらいになってから、藻掻いてナンバーワンを目指したい。

この顔の価値がゼロになる場所で、自分をリセットしたい。

父親との口論はひどいものだったが、今はもう険悪なままでいい。

どうせ、明日には旅立つのだから。

時は無情にも過ぎ去り、アメリカへ旅立つ日の朝になった。

フライトは午後だ。

俺は、このつまらない日常の象徴である、このバカでかい日本家屋の空気を最後に吸っておこうと、皮肉な気分で庭に出た。

だが、そんな時に出会ってしまった。

僕の顔や、シャツの隙間から微かに見える割れた腹筋を見ても、鼻血を出さない人間に。

まあ、そんな人間はめっちゃ稀にいると思うが……少なくとも、僕の周りではあまり見たことがない。

…ゴホン。話を戻そう。

まあ、その女子は僕の家の庭で寝ていた。

(こんな所まで入り込むとは、熱心なストーカーか、あるいはLOADの刺客か?)

厨二的な思考でそう冷ややかに観察していると、少女が、ゆっくりと目を開けた。

真っ直ぐに、俺の顔を見る。

(――さあ、来るぞ)

俺は身構えた。

どうせ、次の瞬間だ。

「キャッ」と悲鳴を上げ、鼻を押さえて失神する。

カウントダウンだ。

3、2、1……

少女は、僕のイケメンな顔を見た途端に顔を赤らめた。

(――ああ、ダメか。遅効性のタイプか)

俺が失望しかけた、その時だ。

「ばぶうばぶううおぎゃばぶおぎばぶおぎゃおぎゃ! ばぶおぎゃばぶうおぎゃおぎゃばぶうおぎゃあ! ばぶう!」

……は?

鼻血は?

倒れるのは?

なんだ、そのリアクションは。

俺のデータベースに、その反応は存在しない。

俺の顔を見て、鼻血以外のリアクションをした、初めての人間だ。

僕は感動のあまり、涙を禁じ得なかった。

いや、感動のあまり! 嗚咽した!!

アメリカ行きを即刻中止してもいい。この出会いは、それほどの衝撃だ。

「すごい!!! すごいよおおおおおお!!!!」

「おぎゃああ! おにいちゃんのかお! すごい!!」

僕は涙した!

僕の涙が無限に落ちる!!

まるで! この出会いが運命かのように!!!

「すごい!!! わたしの!!!」

僕が、この運命の少女に名前を尋ねようとした、その時。

少女は、赤らんでいた顔をフッと真顔に戻し、はっきりとこう言った。

「タイプじゃない」

「……は?」

「今なんて?」

「だから私のタイプじゃない」

涙が、ピタリと止まった。

……なんだ、この女。

最高じゃないか。

アメリカ行きは、中止だ。

これが実は河合さんと僕の初めての出会いだった。

そして、この時の僕は気づかなかった。

彼女には秘密があることを。

そして、僕のいる今の家で、僕ら二人を……

顔の知らぬ誰かに見られていたことを。

翌日。

アメリカ行きをキャンセルした俺は、通常通り(?)学校に向かった。

もちろん、俺が歩いた後の廊下は、鼻血で赤く染まっている。

教室のドアを開ける。

「キャーー!」

「尾形くん、今日も素敵ィィ!」

「グフッ!(鼻血)」

いつもの日常。いつもの惨状。

だが、俺の心は昨日と違った。

(フッ、貴様ら有象無象とは違う存在を、俺は知っている)

心の中でそう呟き、自分の席に着く。

\キンコンカンコーン/

担任が入ってくる。

「皆さん! 席をついて〜!! 今日は転校生の紹介です! さあ、入って!」

転校生? この時期に?

カラリ、と教室のドアが開く。

入ってきた人物を見て、俺は硬直した。

「みんなよろしく〜!! 河合モエカです♡ピチピチの17歳JKです!! 趣味はタピカツとクレープ巡りです!!! よろしくね♡」

昨日、俺の家の庭で「ばぶう」と叫んでいた少女が、完璧な笑顔で猫をかぶっている。

クラスの男子は「うおおお!」と色めき立ち、女子も「かわいー!」と歓迎ムードだ。

……ゴホン。

一僕の名前は尾形カオル。

まあ、自分で言うのもイキってるみたいで嫌だし恥ずかしいけど、僕は誰もが認める空前絶後の、見る者全ての鼻と服が弾け飛ぶほどの超絶イケメンらしいわけなんだが…

僕には一人だけ…

対抗心を燃やしているやつがいる。

それは…

あの河合モエカとかいう幼児退行する女の子だ。

あの子なら、僕は、素の自分を出せそうだ……

俺は、昨日とは違う意味で、高鳴る鼓動を感じていた。

――その時。

河合さんと目が合った。

彼女は「あ」という顔をしたが、すぐにニコッと完璧な笑顔を向けてくる。

(……演技アクトか)

面白い。面白くなってきた。

そして、放課後。

河合さんが義理義理学校ここのこうこうに転校してきて二日目。

俺は、どうやって彼女に話しかけようか、タイミングを伺っていた。

(昨日の「タイプじゃない」発言の真意を問いたださねば……)

そう考えていると、河合さんの方から、まっすぐ俺の席に向かってきた。

教室中の視線が、一気に俺たちに集まる。

「……何の用だ、河合さん」

俺が小声で言うと、河合さんは俺の耳元に口を寄せ、柔らかい声で、しかし冷たくこう言った。

本当に、突然に。

「お前。私と……デートしろ」

……???

なんで、いきなり??

「へ?」

俺が聞き返すと、河合さんは「チッ」と舌打ちしたように見えたが、次の瞬間、180度態度を変えた。

「だあから!!」

彼女は、クラス中に響き渡る声で、俺の腕に絡みついてきた。

「カオル君♡私とデートして……ねっ?」

は?

え?

どうして?

どうしてそこまで発展した?

教室が、爆発した。

「キャーキャー!!2人!! デートするの? 付き合っちゃうの?」

「私も聞きたい!!」

「え、尾形くん、彼女いたの!?」

俺がパニックになっていると、河合さんはとどめを刺した。

「はい♡私達!!」

「もう付き合ってるもん……ね?」

「それじゃあ!! 私達デートの約束があるから〜! みんな〜♡さようなら〜!!」

こうして、河合さんは男子の僕の身体を左腕だけで持ち上げて、教室を後にした。

(……いや、腕力どうなってんだ!?)

「……うーん。なんで?」

俺は、父さんが日本に誘致した近くの巨大ショッピングモールの、人気のない非常階段に連行されていた。

河合さんは、俺を壁にドン、と(男女逆で)押し付ける。

「ちなみに〜! カオルくんに!! お願いがあるの〜!!」

……今度は、なんだ?

お前も、僕のこと、本当は好きなんだろ?

お前も、結局……変わらないのか?

俺を崇める有象無象な女子たちと。

「な…… なにかな?」

俺が落胆しかけていると、河合さんは、その可愛い顔に似合わない、冷酷な笑みを浮かべた。

「私達が本当は付き合ってないってこと〜」

「勝手にバラしたら殺すわよ♡」

僕はブルブルしながら、頷いた。

……だが。

正直、嬉しい。

やはり、君は僕のことを好きじゃない。

僕は、君みたいな正直で誠実な(?)女性を求めていた。

君を僕が攻略することを考えると、ますますワクワクしてきたよ……!!

「まずは新宿にクレープ食べに行くわよ〜」

「うん。僕がリードする……」

「そう言うの、良いから。行くわよ」

彼女の冷たい視線が、僕に突き刺さる。

やはり、これだ。

彼女だ。

彼女こそ、僕がアメリカにまで行って、欲しかった女性だ!!

これは絶好の機会だ!! 彼女の心を絶対に僕が、盗んでやる!!

絶対に!!

何はともあれ、こうして、僕と河合さんの奇妙な「偽装デート」は始まった。

河合さんは、非常階段を出る直前、一瞬だけ、隅にある防犯カメラを、冷たい目で見上げた気がした。

「かわいいいい!!! このクレープ!!! しかもおいしいよおおお♡初めて食べるよおおお!!!」

さっきまでの冷酷な司令官はどこへやら、河合さんはクレープを前にして、年相応にはしゃいでいる。

「満足してくれたなら良かった」

まあ、このクレープはもちろん僕の奢りだ。

フッ、当然だ。イケメンたるもの、顔だけでなく心もイケメンでないといけないからな。

それにしても……

(……どこかから、視線が感じるような……)

僕は辺りを見渡す。

誰もいない……よな?

まあ、気のせい……だな。


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