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第9話

佳乃のマンションは部屋数もあって私が泊まっても問題ないくらい広い。

その空間に身を置きながら、私はどこか安心している自分を感じた。         


「それはそうと、浮気を問い詰めるためには証拠が必要よ。ほら、このサイトにも書いてあるけど。旦那に知られないようにこっそり調査しなくちゃ駄目みたい」


佳乃はスマホの画面を見せながら、淡々と話す。


「……そうよね」


証拠。

それがなければ、ただの言いがかりになってしまう。

私は自分の夫の裏切りを「疑い」から「事実」に変えるための材料を集めなければならないのか。

一応いろんなサイトや弁護士のホームページを見て私もそれは知っていた。 けれど、離婚するなら届を出すだけでいい。簡単にスッキリ時短で終わらせたい。



「慰謝料請求とか、離婚訴訟とか、そういうのは望んでないの。言い合いもしたくないし、面倒なことを長引かせるくらいなら、斗真さんからは何ももらわなくていい」


私の声は静かだった。

怒りや悲しみはあるけれど、とにかく今は疲労感の方が大きい。


「まぁ、加奈のことだからそう言うでしょうね。仕返しとか、喧嘩とか嫌だもんね。そんなことに時間をとられるくらいなら、次の人生を早めに始める方がいいわよね」


問題は、すべてを静かに終わらせようとしても、浮気相手の女が私に直接絡んできたことで、揉めずに終わらせることができそうにないことだ。



「話し合った方がいいのかもしれないわね。林優香が突撃してきて迷惑だったって、斗真さんに言ってみる?」


「そうよね……さすがに彼も、それを聞いたらどうにかしなくちゃって思うわよね」


「加奈が離婚しますって言ったら、応じてくれるかしら?まぁ、山上さんが原因なんだから、応じるしかないでしょうけど」


「でも、すぐに家を出て行くのは無理だわ、住む場所も決まっていないし、いろいろややこしい手続きもしなくちゃいけないし」


「やっぱり引っ越し費用とか、それくらいは山上さんに出してもらったら?先立つ物は必要よ。お金はいくらあっても邪魔にはならないでしょう?」


確かにそうだ。


「私の知り合いが不倫で離婚したんだけど、相手の女は仕事辞めてて、女の実家も関わりたくないって言ってるから、慰謝料は払えません。お金がありませんって言われてそれで終わり」


佳乃が現実はそういうものだと話してくれた。 彼女の職場は離婚率が高いという。

いろんな話が彼女の耳に入ってくるのだろう。


「お金のない人からお金を取ることはできないね」


「そう、貧乏こそ無敵だわ。ない袖は振れないってね」


「結局、弁護士を立てて手続きをして戦っても、何も得られない。ただ労力が無駄になるだけね」


「うん、そう。待ち伏せして相手に嫌がらせをしたり、近所に言いふらしたり、相手の会社まで行って掛け合ったりとか?面倒で手間がかかる上に、お金もかかるわ」


「サレた側は泣き寝入り……下手をすれば、夫の方が不倫相手の分の慰謝料まで支払って、離婚しなければ、結局家計に響く」


自分がその真っ最中なのに、まるで他人事のように話している。 近所のゴシップ好きな主婦みたいな気分だ。


「妻側の選択肢は、何もせずに夫のお金をできるだけ巻き上げて離婚届にサインさせるか、浮気したことを一生ぐちぐち言い続けながら、離婚せずに旦那を尻に敷くか。この二択しかないのよ。妻に突撃してくるおバカな浮気女なんだから、揉めそうだし」


「そうよね……それに、心のこもっていない上辺だけの謝罪なんて意味がない」



離婚……するのか……

その言葉が、私の胸に鈍い痛みを残す。


私は情に流されず、論理的に物事を考えるタイプだ。

どんな状況でも慌てず、余裕を持って対応できるのが自慢で、その性格は仕事でも役立っている。


今まで感情を表に出して、泣き叫ぶことも、激しく喜ぶこともしたことがなかった。

もともと喜怒哀楽が人より少ないタイプなのだと自分では思っている。


林優香は私とは真逆で、極端に喜んだり怒ったりする、衝動的な人なんだろう。そこが魅力的で親しみやすいのかもしれない。


私がもっと感情表現が豊かで、可愛げのある妻だったなら、こんな状況にはならなかったのかもしれない。


そう思った瞬間、胸の奥がずしりと重くなった。


今夜は、学生の頃のように佳乃と語りながら眠りについた。

でも、心は昔のように軽くはなかった。


今日はとりあえずコンビニで下着だけ買って、服は佳乃に借りた。

明日の出勤はそれでなんとかするけれど、一度家に帰って荷物を取ってきたい。


***





翌朝、私は佳乃のマンションから出勤した。


急ではあったが、上司に午後から半日休暇をもらった。斗真さんが帰宅する前に自宅マンションへ荷物を取りに戻ることにした。


佳乃に言われた通り、途中で電気屋に寄り、ICレコーダーを購入した。

4センチ×3センチ、厚さ9ミリという、まるでチョコレートの欠片のような超小型サイズの録音機だ。

軽量で50時間連続録音が可能で、遠距離録音もできるらしい。


私はリビングと脱衣所にそれを仕掛けた。


そして私の部屋に、充電器型の隠しカメラを取り付けた。

これは買うつもりはなかったが、まさかの三千円という安さだったので、試しに買ってみた。

スパイカメラというらしい、なんだか推理小説の中の探偵になった気分だった。


マンションの部屋を確認すると、特に普段と変わりはなかった。

食器は洗ってあり、部屋も片付いている。 私が帰ってきたときに散らかったままだと悪いと思ったのかもしれない。

冷蔵庫を開けると、料理を斗真さんが自分で作った形跡はない。

けれど、コンビニのスイーツが冷やしてあった。


「私の好きなチーズケーキね……」


私が帰ってくるかもしれないと思って買ってくれたのだろう。

それが嬉しいのか、嫌なのかわからない。微妙な気持ちになった。


彼の夕食を準備しようかとも思ったが、泊まると言っていたので、帰りに外食してくるかもしれない。

無駄になる可能性の方が高いので、何もしないことにした。


自分の通帳や現金を持ってくるようにと言われたので、貴重品をまとめて鞄に入れた。

PCも持って行くことにした。


斗真さん、変だなって思うかしら……


さすがに斗真さんだって、いくら友人が怪我をしたからといっても、妻が何日も家を空けるのはおかしいと思うだろう。


そもそも通える距離なんだから、世話をするとしても泊まる必要まではないと気付くはずだ。




夕方、斗真さんからメッセージが届いた。


『佳乃ちゃんの調子はどう?加奈、今日は家に戻ってきたんだな』


『加奈の部屋に入ったんだけど、なんか荷物がずいぶん減っていてびっくりしたよ』


『いつぐらいに帰ってこれる?』


彼からのメッセージにはまとめて返信しようと既読スルーした。

今までは、必ずすぐに返信していたけれど、待たせても問題ない内容だと判断する。


少しくらい焦ればいい……そんな意地悪な考えも少しだけ頭をよぎった。


何かがおかしいと思ったのだろう。


私たちはお互いの個人の部屋にあまり入らないようにしていた。

けれど、彼は私の部屋を確認したらしい。


私の部屋はもともと荷物は少なかったけれど、書籍を処分したから、今はもっとスッキリしている。

なのに夫は、1ヶ月もそれに気づかなかった。

妙な話だと苦笑いしながら、その事実を受け止める。



デパ地下で二人分の総菜を買い、佳乃の台所を借りてご飯を炊いた。

まるで佳乃の奥さんのようだなと思いながら掃除もした。


「いや、もうさ、一生うちに住んでくれていいわ~!助かる~!」


佳乃は帰ってきて、大喜びしてくれた。

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