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第20話


彼女は一体何を勘違いしているのだろう。

俺は加奈の友人と、そういう関係になりたいなどとは思わない。

そもそも、浮気をしたせいでこうなったのに、また同じ過ちを繰り返すはずがない。


「妻との関係を少しでも改善したいと思って相談したんだ。けれど、もし君が体の関係に持ち込もうとしているのなら、今後君とは会わない。加奈の親友だろう?友人の夫を誘惑してどうするんだ?」


佳乃の顔色が瞬時に変わった。


彼女は持っていたグラスを強く握りしめ、俺をじっと睨みつける。


「……あなた、一体どういうつもりなの?」


「……え?」


「加奈はあなたと結婚して苦しんでいる。私の大事な親友を裏切ったのは、あなたでしょう?今さら夫婦としてやり直そうなんて甘い考え、捨てなさい!」


「な……何……?」


目の前の佳乃の勢いに、思わず肩がびくっとなった。

俺はただ、加奈の親友だから相談しただけで、ここまで厳しく言われるとは思ってもみなかった。


「離婚しろって言っているの、わかる?加奈は踏み切れない。だから、あなたが決断して慰謝料を払えばいいのよ。それが加奈のためなんだ。彼女を本当に大切に思うなら、そんな惨めな夫婦生活から解放させてあげなさい」


佳乃の視線は鋭く、夫婦関係を容赦なく断ち切ろうとしている。


「離婚しろって……そんな簡単に言うなよ……」


彼女の攻撃的な言葉に戸惑い、声がかすれる。


「加奈はあなたのことなんて、とうに見限っているわよ! 無駄よ」


佳乃は残されたわずかな望みを打ち砕き、追い詰めてくる。


言葉の一つ一つが、俺の心臓に刺さる。でも同時に、何かが俺の中に引っかかる。


……おかしいんじゃないか?

佳乃は、加奈に友情以上の何かを……?


彼女の声には怒りが滲み、憎しみがこもると同時に……葛藤も見え隠れしている。

その強い感情に圧倒され、背中に冷たい汗が流れる。


俺は何を間違えた……?


そう思った瞬間、佳乃の表情が揺らぎ、震える声が漏れた。


「浮気したのはあなたよ、加奈じゃない。あの子は何も悪くないの。私が何度も離婚を勧めているのに、なんで夫婦の関係に縛られるの? 教えてよ、どうして親友の私より、浮気男のあなたを大事にするの?」


何なんだ……いったい彼女は何を言っている?


「……それは、どういう……?」


俺は混乱しながら答える。

彼女の睨みつける目には怒りだけじゃなく、もっと深い感情が見て取れる。

俺よりも加奈を幸せにできる……その言葉が意味するものは……


佳乃の声は震えていた。


彼女は手を握りしめている。その仕草ひとつで、どれほど必死なのかが伝わる。

俺は息を呑む。


これは単なる友情や絆の話ではない。


佳乃にとって加奈は、ただの親友では……ない。

彼女の人生の中心にいるべき存在で、愛する人だ。


「私だけが知っているの……加奈の本当の気持ちを」


佳乃の声は震えている。


彼女は何度も加奈を支えてきた。涙を拭い、笑顔を取り戻させてきたのは自分だと信じている。

それなのに、俺という男に加奈を奪われてしまった。


結婚という切り札を使い、契約という形で加奈を縛り付けた……そう言いたいのだろう。

そして、加奈がなぜ夫婦という関係にこだわるのか、その理由が理解できないと。


俺は彼女の言葉に何も返せなかった。


確かに、俺は大した男じゃない。

だけど……それでも、だ。


「佳乃ちゃんは、加奈に対して、友情以上の感情を持っているんだよね?」


「……」


彼女は沈黙した。

でも、その答えはもうわかっている。

間違いない。


「君が加奈のことを好きだとしても、だからといって、加奈をどうこう言える権利はない」


俺はできるだけゆっくり、冷静に続けた。


「少なくとも、君が加奈に友情以上の感情を持っているなら、今後、俺たちの夫婦の問題に口出ししないでほしい」


「あなたは、夫という肩書きで彼女を縛り付けている。同性の私には到底できないような契約で……」


「それは、男性だからとか女性だからとかいう問題じゃない」


「あなたなんて、最低の夫じゃない……」


「そうだな、最低の夫だ。でも、それでも加奈の夫なんだ」


「私は別に、加奈が幸せならそれでいい。でも、今のあなたは加奈を幸せにしていない」


「ああ……そうだな」


返す言葉が見つからなかった。

彼女は俺を責めながらも、必死で、辛そうで、苦しそうだった。


そして、俺はその想いにどう応えればいいのか、わからなかった。


俺は佳乃と別れてかなり疲労感を抱えながら、マンションへ向かって歩いた。

世の中は、多様な価値観が受け入れられる風潮になっている。

愛の形は人それぞれであり、誰とどのような関係を築くかは、個人の自由だ。


しかし、佳乃の恋愛感情は一方的なものだろう。


「彼女はずっと、加奈を恋愛対象として見ていたのだろうか……」


思わず口に出た言葉は、踏切の遮断機の音にかき消されていった。


加奈は彼女に対して、友情以上の感情はないはずだ。

佳乃の行動は、加奈を手に入れようとするものなのか、それとも本当に加奈の幸せを願うものなのか……

その境界線は、危うく、とても不確かなものに思えた。



***



加奈が休日に一人で出かけることが増えた。

それと同時に、俺の中で夫婦仲の再構築という課題以上に、もっと根深い問題が生じていた。


佳乃を加奈に近づけてはならない。

だが、その理由を加奈に伝えることはできない。


「佳乃が加奈に恋心を抱いている」そんな断言は、あまりに踏み込みすぎている気がした。

「狙われている」なんて言葉も、口にできない。


それでも、佳乃は俺たち夫婦の問題に深く介入し、自分の意見を押し付けようとしている。

俺は加奈に、それとなく尋ねてみることにした。


「最近、佳乃ちゃんに会っている?」


その瞬間、妻の顔が凍りついた。

どうした?……まさか、もう佳乃から何か言われたのか?


「最近は会っていないわ。この間、少し言い合いになったの。彼女は、結構自分の意見をしっかり持っているでしょう?……まあ、あなたは好きに会えばいいのよ」


「いや、俺が会うはずないだろう……」


加奈は何かを言いたげだったが、結局言葉にはせず、ただ眉をひそめた。


もしかすると、もうすでに佳乃が加奈に告白した?

いや、それはないだろう。今までずっと恋心を隠し続けてきた佳乃が、その想いを打ち明けるとは思えない。


希望的観測だが、多分、一生心の中に秘めたままなのだろう。


加奈はマイノリティ的な考えを持っているわけではない。それは佳乃も理解しているはずだ。

だから彼女がそんな無謀なチャレンジをすることはない。

ましてや、この状況で告白などすれば、混乱を招くだけだ。


加奈は、良くも悪くも平凡で穏やかな生活に幸せを感じるタイプだ。

俺は安堵の息を吐き、そっと肩の力を抜いた。


佳乃の気持ちを知って、俺はなぜか加奈を佳乃に奪われたくないと感じた。


今まで、妻が俺を見限ることはあっても、誰かに妻を奪われるなど考えたこともなかった。

なぜなら、彼女は何事にも誠実で、軽率な行動とは無縁。

その姿勢は、一貫して変わることはなかった。


けれど……


もしかしたら、誰かを傷つけることを恐れるあまり、情に流され、相手の想いに飲み込まれてしまうかもしれない。


そう思うと、急に不安になった。


もし、彼女の心に俺以外の誰かが入り込むとしたら……


考えるだけで、息が詰まりそうだった。


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