秋風カフェ
仕事帰り、オフィス街の並木道に秋色した葉っぱが舞っていた。
落ち葉を踏むと、「サクッ、サクッ」音がやけに軽やかで、つい、落ち葉の集まった場所を歩いていた。
「水野さん、楽しそうですね」
背後から声がして、慌てて踏むのをやめた。
振り返ると、同じ部署の佐伯さん。
ワイシャツの袖を少しだけまくり、仕事のときとは違う表情で微笑んでいた。
「あっ、見てました?」
「はい、落ち葉を踏んで遊んでる人、珍しいなと思って」
少しからかうような口調で、でも不思議と嫌じゃない柔らかさがあった。
それから帰り道で一緒になることが増えた。
最初は偶然だと思っていたけれど、いつからか、人混みに彼を探すようになっていた。
彼も何となく合わせてくれているように思えた。
偶然なのか必然なのか、並木道を一緒に歩くことが増えた。
いつも、たわいもない話ばかり。
だけど楽しかった。
いつの間にか、一緒に帰るのが当たり前みたいに思えてた。
「もしかして…これって…始まり?」なんて、勝手に思ってた。
いつも通る、並木道のそばにある「秋風カフェ」今度、誘ってみようかな?なんて、考える時間が楽しかった。
ある日、会社で立ち話をしている社員の話を耳にした。「佐伯さん、今度の新しいプロジェクトの案を任されているみたいで、大変そうね」
知らなかった。いつも笑ってて、大変なそぶりなんて見せなかった。
佐伯さん大変なとき…私一人浮かれた。
帰り道、気がついたら、いつもと違う道を帰ってた。
落ち葉がない道。
彼にも合わない道。
歩く人の数は変わらない。
腕をくんで楽しそうに笑う恋人同士。
なぜだろう、いつもの道より風が冷たく感じた。
数日が過ぎた頃、会社で「水野さん、おはよう」佐伯さんだった。
「おはよう、ございます…」
少し緊張してしまった。
「水野さん、最近いつもと違う道帰ってる?」
「えっ、あっ、」答えられなかった。
「ごめん、ごめん、変なこと聞いて、じゃあね」
彼は笑って行った。
佐伯さんの後ろ姿…… 私何してるの?何なの…。自分が嫌になる、
勝手に傷ついて…心の中が自己嫌悪で大渋滞していた。
こんなとき、私にはかけ込むところがある。
近くに住んでいる、姉家族の家だ。
姉は七つ歳上で頼りになる、絶大な信頼のおける人。
何か行き詰まったりすると、頼ってしまう。
この日も、日曜日だというのに朝から押しかけた。
穏やかな旦那さんと、二人の子供。
私の理想だ。
下の子は、まだ小さな赤ちゃん。
ここに来ると、癒される。
姉が「どうして道を変えたの?」
私「だって…」
…
姉が、私の好きなミルクティーを淹れてくれた。
姉は、私の好みを知っていて、ミルクたっぷりで作ってくれる。
優しい香りと優しい甘さが、心を元気にしてくれた。
お昼ご飯をご馳走になって、帰り道。
久しぶりにあの道を通ってみたくなった。
少し遠回りになるけど、歩いてみたくなった。
「どうしよう?じゃなくて、どうしたいか?だよ」姉の言葉が、またこの道を歩いてみようと思わせてくれた気がする。
人の立ち話に振り回されないで、その時間を大切にするべきだった。
その通りだと思った。
笑ってしまう、この歳にもなって、そんなこともわからなかったなんて…。
義理の兄が言ってくれた「大変なときだからこそ、一緒に帰る時間が楽しかったんだと思うよ」
二人の言葉が冷たい風の中でも、心を温かくしてくれた。
足元の落ち葉を踏んだ、「サクッ、サクッ」
もう一歩、もう一歩、落ち葉が重なってる場所を探して踏んだ。
いつもの道、でも彼はいない。
枯れ葉が話しかけてくる。
「サクッサクッ」
大丈夫だよ…。
「水野さん」
背後から呼ばれた。
聞き覚えのある声。
振り向くと笑顔の佐伯さんだった。
「邪魔?」聞かれた。
「そんな…邪魔なんかじゃないです」
初めは戸惑ったけど、心の中に姉と義理の兄からもらった満タンの「想い」が勇気をくれた。
彼が「この近くにある『秋風カフェ』知ってる」
「はい、知ってます」嬉しかった。
もしかしたら声がうわずっていたかも知れない。
「この後、予定ある?よかったら『秋風カフェ』寄っていかない?」
恥ずかしいくらい即答で、「はい。行きます」嬉し過ぎて、さっきよりも、声がうわずっていたかも知れない。
嬉しくて、足元の落ち葉のことも忘れていた。
彼が安心したように、「よかった。水野さんに避けられているのかと思っていたんだ」
私は思わず立ち止まった。
「そんなことないです。道、変えたほうがいいのかなって…私…勝手に一人思い込んで…ちょっと耳にして…。 私、何言っているんだろう。わからないですよね。ごめんなさい」
言いながら思った、どうしよう?
言っていることが自分でもわからない。
支離滅裂で、こんなの伝わらないよ。
せっかく誘ってもらったのに…。
もう彼の顔もみられない。
うつむいたままの私に「何か心配させてしまったみたいだね。僕のほうこそごめんね」
彼のまさかの言葉に、今度は歩けなくなった。
上手く喋れなくて、やっとでた言葉が「えっ?」だった。
「行こうか」そう言って彼が歩き出した。
少し風が吹くと枯れ葉が舞う。
冷たい風の香りがした。
でも、寒さなんて全然知らなかった。
歩きながら、彼が聞いてきた。
「水野さん、春、夏、秋、冬、いつが好き?」
「秋です。秋が好きです」迷わず答えた。
ほんとに秋が好きだった。
「佐伯さん、いつが好きですか?」
「そうだなぁ、僕も秋が好きかな、行楽にいい季節だし、食べ物も美味しいからね」
うん、うん、大賛成の返事だった。
でも今度、紅葉狩りに行きませんか?
とか、栗タルトの美味しいお店知ってるんです。
なんて言えない。
欲張ったりしない、今がこんなに幸せだから。
子供のころ読んだ、イソップ童話の「犬と骨」を思い出した。
今、こうして一緒に歩いてる。
そんな今を大切にしなきゃ。
「水野さんは秋のどこが好きなの?」
「佐伯さんと同じです。行楽にいい季節だし、美味しい物もいっぱいで、季節限定の栗タルトが好きで、カボチャプリンも好きで、ミルクたっぷりのミルクティーも好きで…
あっ、ごめんなさい。私、一人喋ってた…」と、ちょっと慌ててしまった。
「そんなことないよ、話しているときの水野さんいい顔してたよ。タルトもプリンも羨ましく思えたよ」と、彼は笑った。
カフェに入ると、コーヒー豆の香ばしい香りと甘いバニラの香りがした。
窓辺の席に座った。
店の窓からいつもの街路樹が見える。
街路樹が微笑んでくれているようだ。
彼も私も、カボチャプリンを注文した。
橙色のプリンにかかった、ほろ苦いカラメル。
横に添えられた生クリーム。
美味しい、今日のは特別のように思えた。
彼がポツリ話し出した。「さっき言ってた、耳にして、とか、勝手に一人思いこんで、って、もしかして、僕が任されていたプロジェクトのことかな?」
私は恥ずかしくて、言葉がなく頷くだけだった。
何をどう言えば、帰り道を変えた理由になるんだろう…。
口の中にカラメルの苦さだけが残った。
彼の話す言葉は、別世界から聞こえてくるようだった。
けれど、彼の言葉はどこまでも限りなく、温かく、ゆっくりと心がほどけていった。
「秋風カフェ」の時間が少しだけ、彼との距離を縮めてくれた気がした。
カフェを出ると、彼が言った。「水野さん、さっき話してた水野さんの好きな物、何だったっけ?」
「あっ、栗タルトにカボチャプリンにミルクティーです…」
ちょっと不思議に思い答えた。
「僕の名前もそこに入れてくれる?」
彼が笑顔で言ってきた。
驚いて、嬉しくて、少し恥ずかしくて、言葉が浮かばなかった。
そして「はい!」私史上一番の、笑顔で答えた。
そんな短い私の言葉を、彼はしっかり受け止めてくれた。
駅まで並んで歩く。
肩先がかすかに触れる。
ちょっと、ドキッとしてしまう。
でも、心地いい距離感だ。