9 墓穴を掘る婚約者
ミフォンは呆れているリリスを見て、ショックを受けているのだと思い込んだ。
「もう、シンったらこっちに来ちゃ駄目よ! リリスがショックを受けているじゃない!」
頬を膨らませて「こら!」と怒ってから、リリスには手を合わせて謝る。
「ごめんね、リリス。シンは昔のくせで私の横に座っちゃったみたい」
「あ、ああ! そうだよ! そうだった。ごめんごめん」
シンは慌てた様子で立ち上がり、リリスの隣に座った。
「昔のことを思い出してと言うけれど、私とシン様が婚約者になってから、もうかなり経つわよね」
リリスが冷ややかな口調でミフォンに言うと、彼女はコレットに擦り寄る。
「やだぁ、おばあさま! リリスはいつもこうやって嫉妬して怒るんです! 考えすぎだって言ってあげてください!」
コレットはいつもミフォンの言うことを肯定していた。今回も、リリスに『よくあることよ』などと言ってくれるのだと思っていたのだが、今回は違った。
「……リリスさん、差し支えなければ、あなたたちが喧嘩した理由を教えてもらえるかしら」
「ちょ、おばあさま!?」
「もちろんです」
焦るミフォンを無視し、リリスは微笑んで頷くと話し始める。
「ミフォンとシン様は幼馴染なんです。お二人の仲が良いのは素敵なことだと思います。ですが、私とミフォンが同時に寝込んだら、ミフォンの見舞いを優先しますし、どこかへ出かける約束をしていても、ミフォンから連絡があれば、私との予定をキャンセルして彼女の元へ向かうのです」
早口で言い終えると、リリスは嫌味も込めてシンに確認する。
「そうでしたわよね、シン様」
「お、大げさだなあ。たまたまだって。僕は君を優先してきたつもりだよ」
(たまたまって何よ。それにこの人、優先という意味を知らないのかしら)
兄曰く、シンは『他の世界の言語を話す異世界の人間』なので、優先の意味を間違って覚えているのだろうと、リリスは勝手に判断した。
だが、コレットは違う。困惑した様子で、ミフォンに尋ねる。
「ミフォンちゃん、どういうこと? 先ほどのあなたたちはとても親密に見えたけれど、いつもそんな感じなの?」
「ひどい! おばあさままでリリスみたいに疑うんですか!? わたしはディル一筋なんですよ! 昔から何度もそう伝えているじゃないですか!」
「そ……、そうよね。ごめんなさい。怒らないでミフォンちゃん」
「お、怒ってなんかいないです。た、ただ、おばあさまにまで疑われたことが悲しくって」
「泣かないで、ミフォンちゃん。本当にごめんなさいね」
ウッウッと人間の泣き真似を始めたミフォンをなだめるコレットに、冷ややかな視線を送りそうになり、リリスは慌ててシンに顔を向けて話しかける。
「シン様、もう無理をしていただかなくて結構です。あなたは、ミフォンが好きなのでしょう?」
「好きだよ。だけど、君が考えているような好きじゃない。リリス、いい加減に醜い嫉妬をするのはやめたらどうだ? 君のそんな姿を見れば見るほど気持ちが冷めてしまうよ」
「どうぞ冷めてください。そして、私との婚約を解消し、本当に好きな人と幸せになってくださいませ」
同じ話を何度かしているが、コレットの前ではしたことがない。彼女に聞こえるように大きくはっきりと話すと、シンは眉根を寄せた。
「ヤキモチを焼くなって言っただろう? 聞こえていないのか? それとも君の耳は飾りなの?」
「ヤキモチなど焼いていません。あなたへのそんな感情はかなり前に消え去りました」
「なんだよ、それ。そんなわけないだろ。君が僕を好きで好きでたまらなくて、束縛したいんだってこと知っているんだからな」
にやりと笑うシンを見て、リリスは気が遠くなった。
(好きで好きでたまらないですって? それは、ミフォンに対するあなたの気持ちでしょう!)
ここで会話を終わらせるわけにはいかない。リリスはシンを睨みつけながら話す。
「シン様、間違っています。あなたがおっしゃった言葉の正反対の感情を、私はあなたに抱いています」
「正反対って嫌いってことか? そんなわけないじゃないか」
あははははと笑うシンを見たリリスは、怒りを通り越して呆れの感情しか浮かんでこなかった。
(ここにお兄様がいたら、シン様は今頃、鼻から血を流していたでしょうね。きっと、鼻が変形しているわ)
『役に立たないなら口も耳もいらないだろう』
そう言って、シンを脅すファラスの姿が、リリスには容易に想像できた。
ファラスは文系の顔立ちで、運動は苦手のように見えるが、学生時代は学園内での王女の護衛をしていたし、王家直属の騎士団の試験も合格したほど戦闘能力に長けている。特に妹が関わるとその力は計り知れない。
(落ち着いてリリス。ここは悲しんでいるふりよ)
「シン様、私はミフォンばかり優先するあなたから気持ちが離れたのです。いい加減にわかっていただけませんか」
「なんだって? 嘘でもそんなことを言っていいと思っているのか? 僕以外に君を妻にしようと思う人間なんていないんだぞ?」
「ジョード卿」
リリスが言い返す前に、コレットがシンに話しかけた。この場に彼女がいたことをすっかり忘れていたシンは焦る。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません。リリスはいつも僕の気持ちを試そうとするんです。本当に困ったものですよ」
「いつもですって? 聞きたいのだけど、あなたはいつも、自分がリリスさんを不安にさせてしまう行動をとっていることに自覚はないの?」
コレットの温和な表情は消え失せ、シンを見つめる眼差しは氷のように冷たかった。