34 子爵令嬢には通じない ②
「ちょっと、リリスの反応が予想と違うじゃない」
ミフォンの不満そうな声がリリスの耳に届いた。
「急かさないでくれ、これからだよ。恋愛経験の少ない女は少し優しくしたらコロリと落ちるんだ」
「早くしてよ」
ロタ自身の恋愛経験が少ないのを棚に上げて言うと、ミフォンは駄々をこねるようにロタの腕を揺さぶった。
店内にいる客たちは宝石を見に来たという目的を忘れて、リリスたちにチラチラと視線を送っている。
(こちらを見るほうが面白いという気持ちはわかるけど、見世物みたいで嫌ね)
リリスは騎士からシルバートレイを受け取り、店員に話しかける。
「騒がせてしまうのは申し訳ないから、奥に入らせてもらっても良いですか?」
「承知いたしました。気になるものがございましたら、中にお持ちいたしますので遠慮なくお申し付けください」
「ありがとうございます」
店員がリリスを案内しようとすると、ロタが呼び止める。
「ノルスコット子爵令嬢、ちょっと待ってくれ。従弟の件で謝りたいんだ」
リリスは店員と共に歩みを止め、振り返って彼と視線を合わせた。
ロタがシンから話を聞いていたリリスは、自分の瞳を嫌っていて、人と目を合わせることを拒む女性だった。それなのに、しっかりと目を合わせてきた彼女に、ロタは少し戸惑いを覚えた。
「従弟の件は気になさらなくて結構ですよ。もう私にとっては過去のことですし、変に思い出すようなことをして、今の婚約者に嫌な思いをさせたくはありません」
「リリス! あなた、どうやってディルを騙したの?」
「……騙した?」
割って入ってきたミフォンにリリスが聞き返すと、彼女は自分の胸に手を当てて訴える。
「わたしのような婚約者がいたのよ? それなのにリリスを選ぶとは思えない!」
「浮気をしておいてよく言うわね」
「シンがわたしを好きになったのは、わたしのせいじゃないわ!」
「そうね。それはそうだわ。だけど、ディル様よりもシン様を優先させたのはあなたよ」
「それは悪かったと思っているわ。ねえ、リリス。あなたじゃディルに釣り合わないわ。わたしに返してちょうだい」
「嫌よ。ミフォン、あなたは私よりも自分のほうが格上だって言いたいわけ?」
「……そ、それは」
ミフォンは答えることを躊躇した。正直なことを口にしてしまえば、もうリリスと友人には戻れない。この時のミフォンは友人関係に戻ることではなく、マウントを取ることを優先した。
「そうよ。私はあなたからシンを奪った。奪われるということは、あなたはわたしよりも格下でしょう?」
話を聞いていた他の客がざわついた気がしたが、ミフォンは気にしなかった。
「そうね。元婚約者をあなたに奪われたことは確かだわ。男性遍歴については格下かもね。だけど、一般常識やマナーについては、あなたよりも格上だと言える」
リリスはにこりと微笑んで続ける。
「あなたには色々と思うことがあるし、本当は話なんかしたくない。だけど、ディル様と婚約できたのは、あなたのおかげなのよ。本当に感謝しているわ。だから、嫌だと思っていても我慢しなくちゃ駄目よね」
「ど、どういうこと?」
「クズな婚約者を奪い、素敵な婚約者と縁を結んでくれたお礼に、今回だけあなたと話をすると言っているの」
「縁を結んでなんかないわ! ディルはわたしのものよ!」
感情的になっているミフォンを見て、リリスは余裕の笑みを浮かべた。そんな彼女に気がついたロタはミフォンをなだめる。
「ミフォン、落ち着いてくれ。僕が話をするから君は黙っていてくれ」
「早く話をしてよ!」
ヒステリックに叫ぶミフォンを優しく抱きしめたあと、ロタはリリスに対して優しい声で話しかける。
「ミフォンが申し訳ない。感情のコントロールが苦手な子なんだ」
「その通りだと思います。ここは宝石店です。大声を上げるような場所ではありませんもの。レイドン子爵、そのことがわかっていて彼女を連れてきているのでしょう? 他の方の迷惑にならないように、あなたがしっかり管理してあげてくださいませ」
「何よ、管理って!」
食ってかかろうとしたミフォンを、ロタは慌てて止める。
「ミフォン、落ち着くんだ。みんなが見ているよ。最後に勝つのは君だから大人しくしておいてくれ」
「……っ!」
耳元で囁かれたミフォンは店内を見回す。彼女を見る目つきはみな、おかしなものでも見ているかのようなものだった。そして、話す声も聞こえてくる。
「ノルスコット子爵令嬢とあの女性は学生時代に仲が良かったと聞いているわ。それなのに婚約者を奪って、よくも平気な顔をして本人の前に現れることができるものね」
「常識がないんだよ。顔が可愛いと何をしても許されると思っているんじゃないか」
可愛いという言葉を聞いて、ミフォンの表情は和らいだが、それに気がついた男性が言葉を付け足す。
「あまりにも性格が悪すぎて顔にも出ているから、僕は頼まれても彼女を相手にしたくないなあ」
「なんですって!?」
ミフォンは今まで男性の前で見せていた、か弱い女性のふりをできなくなるほど、余裕がなくなっていた。
「ミフォン、やめるんだ。あなたたちも失礼ですよ」
ロタが注意すると、話をしていた客たちは、トラブルに巻き込まれたくないと、外へ出ていってしまった。
静かになった店内で、リリスがロタに忠告する。
「営業妨害になりますよ」
「そ、それよりもノルスコット子爵令嬢、嫌な思いをさせてしまったお詫びにプレゼントするよ。好きなものを選んでくれ」
「お詫びなんていりません」
この店はステラが贔屓にしているだけあってサービス料も含まれた値段のため、普通の宝石店よりも高かった。子爵家で買えないこともないが、かなりの支出になる。それがわかっていて、リリスはわざと先ほど見ていた宝石に目をやった。
リリスの視線を追ったミフォンが、ショーケースの中を指さす。
「こ、これ、ディルの瞳と同じ色だわ! ねえ、ロタ! わたしにはこれを買ってちょうだい!」
「仕方がないなあ」
まったく空気を読まないミフォンにさすがに呆れつつも、ロタは頼られたことが嬉しくてショーケースに近づいた。
「こ、これは……」
ミフォンが欲しがっている宝石の値段を見たロタは、あまりの高い値段に頬を引きつらせたのだった。




