31 子爵の思惑
女性だけで話したほうが良いだろうと、ディルは帰ろうとしたが、ステラから「戻る場所は同じだから待っておけ」と命令されたため、今はファラスと共に別室に移った。
お茶を淹れたメイドが応接室を出て行くと、レイドン子爵夫人は深々と頭を下げる。
「突然、押しかけてしまい申し訳ございません」
「とんでもないことでございます」
リリスが慌てて首を横に振ると、ステラも苦笑して謝罪する。
「私がここに来ようと誘ったんだ。悪かったな」
「お二人とも、お気になさらないでくださいませ。それよりも、どのようなご用件でしょうか」
「私の夫のことで相談したくてまいりました」
「お役に立てるかどうかはわかりませんが話していただけますか」
レイドン子爵夫人はリリスに促され、ゆっくりとした口調で話し始める。
「夫が私に興味がないことはわかっていたのです。遺言で結婚しなければ爵位を継げないと書かれていたそうで、ちょうど適齢期で婚約者がいない私を選んだのです。それでも、堂々と愛人を連れて帰ってきて、私を追い出すような人だとは思っていませんでした」
顔立ちや瞳の色は違うが、子爵夫人はミフォンと髪色や髪型、体型は後ろを向いていれば間違えてもおかしくないくらいに似ていた。
「レイドン子爵は昔からミフォンが好きだったのでしょうか」
「わかりません。私と夫の結婚が決まったのはつい最近なんです」
(そう言われればそうだった。シン様は従兄が結婚するけど式も挙げないし、お祝いもしなくても良いとか言っていたわね)
シンにそう言われたリリスだったが、父に頼んでお祝いを贈ってもらったことを思い出した。
「……夫人は結婚生活を続けたいのですか?」
夫人の様子が、子爵への愛情よりも恐怖や嫌悪のほうが勝っているように見えたリリスが尋ねた。
「いいえ。元々は契約結婚でしたし、好きな人がいるからと言われて初夜も迎えていないのです」
「無礼な奴だな! 結婚した以上、想い人よりも妻を大事にするのが普通だろう!」
リリスの隣で怒り出したステラに、夫人は頭を下げる。
「ステラ殿下の温かい御心に感謝いたします。そのことはショックではありましたが、屋敷を出て実家に戻ったら、これで良かったのかもしれないと思い始めたのです」
「では、別れるのですか?」
聞いてから不躾な質問だということに気がついたリリスは、慌てて謝ろうとしたが、夫人は目を伏せて首を横に振る。
「別れたくても別れられないのです。先ほども申し上げましたが、この結婚は契約なのです。妻になる代わりに私の父の治療費を出してもらうことになっているんです」
「契約と治療費ですか」
リリスは契約でコレットを思い浮かべ、治療費で悪徳の医者であるジーコを思い出した。
「夫人のお父様はご病気なのですか?」
「……はい。私の実家は男爵家なのですが、裕福ではありません。ですから、町医者に診てもらったところ、薬を飲み続けなければ生きられないと言われたのです」
「その町医者というのは、信用できる人なのですか?」
良い医者のほうが多いことは確かだが、悪い医者もいる。そう思って尋ねたリリスに、子爵夫人は俯いていた顔を上げて答える。
「私たちには良い先生です。ですが、悪い噂も聞いているんです」
リリスが医者の名前を尋ねたところ、子爵夫人は「ここだけの話でお願いいたします」と前置きしてから、問題になっている医者、ジーコの名前を挙げたのだった。
◆◇◆◇◆◇
リリスが子爵夫人と話をしている頃、ミフォンはソファに座るロタに抱きついておねだりをしていた。
「ロタ様ぁ、わたし、お茶会を開いてみたいの」
「お茶会? どうして?」
「ほら、わたしは可愛いから女性に嫌われているでしょう? お茶会を開いて貴族の女性を招けば、お友達ができるんじゃないかと思うの」
「たとえ僕の家で開いたとしても、君は妻ではないし平民だろう? そんなことをしたら余計に嫌われるんじゃないか?」
もっともなことを言われ、ミフォンは頬を膨らませる。
「そんな嫌なことを言わないでよ。あなたはわたしのことが好きなのよね?」
「ああ。僕は君のことを本当に愛している」
「なら、願いを叶えてちょうだい」
ミフォンはお茶会を開き、ロタの妻とリリスを招待するつもりだった。別に二人に断られても良かった。ロタの妻については自分に追い出された負け犬として笑うことができるし、リリスには自分が今幸せであることをアピールできるからだ。
「お茶会は難しいよ」
「つまんない。……なら、あの時に言ったお願いを叶えてよ」
「えーと、なんだっけ?」
ミフォンは首を傾げたロタのシャツのボタンに、手をかけながら続ける。
「リリスを誘惑して傷物にしてあげて? そうすればディル様は婚約破棄するわ」
「……そんなことをしたら、僕が殺されるかもしれない」
「大丈夫よ。私が婚約を破棄されたのはシンと関係を持ったからだわ! あなたとリリスが関係を持てば、ディル様はリリスを許さない! 傷ついた彼を慰めているわたしを彼は好きになるに決まっているわ!」
自信満々なミフォンをロタは優しい目で見つめる。
(君がシンと関係を持ったことに変わりはないんだから、立場的にはリリス嬢と一緒になるんだけど、そんなこともわからないのかな)
そんな馬鹿なところも可愛いと思ったあと、足がつかないようにうまく人を雇って、リリスを何とかして傷物にしてやろうと、ロタは考えた。
「わかった。君の言う通りにする。そのかわり、成功したら僕と結婚してくれ」
「嫌だって言っているでしょう。わたしはディルと結婚するの! 大体、あなたは結婚しているじゃないの。二重結婚は禁止されているわよ」
「離婚するよ。あんな女と結婚なんてしたくなかった」
「はあ? 結婚したくなかったのに結婚したの?」
「事情があってね。僕は君のようなワガママだけど可愛いところがある人が好きなんだ。だから、僕との結婚を考えてくれないか」
「考えるだけなら良いわ」
ミフォンは悪い笑みを浮かべて頷いた。
ほんの少しだけ開けられた扉から、二人の声は漏れ聞こえていた。廊下にいるメイドと兵士は顔を見合わせて頷きあい、メイドはその場を静かに離れていく。このメイドによって、この話はすぐにディルに伝えられることになったのだった。
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次の日の夜、夕食をとっていたリリスの元に、レイドン子爵夫人から手紙が届いた。朝にレイドン子爵から手紙が届き、離婚を求められたのだと書かれていた。
その頃にはディルから、ミフォンたちの話を聞いていたリリスは呟く。
「レイドン子爵は夫人を捨てるつもりね。それなら捨てられる前に、夫人から捨ててやればいいのよ。こんな人のために夫人が傷つく必要なんてない」
まずは子爵夫人の実家に本物の医者を送ることに決めた。本当に薬を飲み続けなければならない病気なのか調べておかなければ、離婚すれば打ち切られる医療費をなんとかしなければならなかったからだ。
結果、嘘の診断がされている可能性が高いとわかり、子爵夫人の離婚への意思は決定的なものとなった。