28 子爵令嬢と辺境伯令息の婚約 ②
ディルも初耳だったようで、目を何度か瞬かせたあと、コレットに話しかける。
「お祖母様、俺は何も聞いてないんだが、いつの間にそんな話になっていたんですか?」
「あなたの両親が了承してから話すつもりだったのよ」
コレットは門の外にいたディルを中に招き入れると、彼の両腕を掴む。
「今まで本当にごめんなさい。あの子が……、ミフォンが浮気ばかりする子だなんて思ってもいなかったの」
「お祖母様は彼女の話ばかり信じていたもんな」
目を逸らしたディルに、コレットは何度も謝る。
「本当に、本当にごめんなさい。私が馬鹿だったの。ごめんなさい、ごめんなさい」
「お祖母様、目を覚ましてくれたのならそれで良いですよ。婚約も破棄できましたし、お祖母様に怒ってなんかいません。それよりも」
ディルはコレットの小さな背中を撫でながら、リリスに目を向ける。
「リリス嬢、巻き込んで悪いな。婚約の話については俺も知らなかった」
「ディル様が謝られることではありません。私のほうが謝らなければいけない気がします」
「君が謝ることはないだろ。というか、こんな話を聞いたらファラスが怒り出しそうだ」
「そうでしょうか。どちらかというと、お兄様は喜びそうです」
「どうしてだ?」
「他の人になら言いにくいでしょうけど、ディル様が相手なら同居を求めることができると思っていそうです」
「……ありえるな」
ファラスも分別はあるはずだが、相手がディルという自分の素を知っている人間だ。遠慮なく「義兄が一緒に住んでやろうじゃないか」と言い出す姿が、ディルの脳裏に浮かんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! うちのミフォンの気持ちはどうなるんですか!」
二人の会話が聞こえていたのか、鉄柵を掴んでズーケは勝手なことを叫ぶ。
「ミフォンはずっとディル様を思って青春時代を捧げてきたんですよ! そんな健気な娘を捨てたのに、あなただけ幸せになろうって言うんですか!」
「そんなことを言ったら、私だってそうなんですけど! 長い時間を捧げた相手をあなたの娘が奪ったんですよ。しかも、外で関係を持つだなんて信じられません!」
ディルの代わりにリリスが言い返すと、ズーケは鼻で笑う。
「そんなの平民は普通にやっているんだよ」
「その時代のミフォンは男爵令嬢だったでしょう。男爵令嬢だって貴族ではないですか。しかも相手は伯爵令息だったんですよ!?」
「き、貴族だって欲情することはある!」
開き直ったズーケにリリスが呆れてものが言えなくなっていると、ディルが割って入る。
「彼女は子爵令嬢だぞ。平民になったあんたが偉そうに言える立場じゃねぇだろ」
「彼女は娘の友人です。私は年配者ですから、爵位なんて関係ありません」
「あるだろ。そんな理屈が通用するか」
「私もそう思いますし、友人を理由にするのであれば、もう私とミフォンは友人ではありませんので、その言い訳は通じません」
ディルが吐き捨てるように答え、リリスが否定すると、ズーケはリリスを指さし大きな声で笑い始める。
「そうだ。それでいいんだ! ミフォンはお前と仲直りしたがっているが、俺にはお前なんかどうでもいい! ミフォンには新しい友達を俺が見つけてやる!」
「……マヤは、元気にしているの?」
ミフォンとリリスが仲直りしなければ、コレットはマヤに会うことができない。ズーケにとっては、リリスの言葉は大歓迎だったが、コレットは違った。ショックを受けた様子のコレットが尋ねると、ズーケは笑みをこらえながら、顔を覆って嘆き始める。
「男爵の爵位が剥奪されることや、ミフォンがディル様に婚約破棄されたショックで、母は、コレット様に裏切られたと泣いていました。そのせいで持病も悪化して……、もう先は長くないと」
「そんな!」
ショックを受けるコレットを気遣いながら、リリスはズーケに尋ねる。
「先は長くないというのは、誰の診断なのです?」
「い……、医者だよ」
「なんという名前の医者ですか」
「ジーコ先生だ。もう長く生きることはできないだろうと言っていた」
聞いたことのない名前だとリリスが思っていると、ディルが耳打ちする。
「医師免許は持っているが、金をもらえば嘘の診断をするということで有名な医者の名前だ。証拠がなくて捕まえられないと聞いたことがある」
ディルが所属している騎士団は王族や王族に関わる犯罪を防ぐ、もしくは裁くための騎士団であり、町中にいる騎士とは所属が違う。交流が全くないわけではないので、ディルは話を聞いたことがあった。
「教えていただきありがとうございます」
(ミフォンのお祖母様は部屋に閉じこもって出てこないみたいだけど、そのお医者様から何か言われたのかもしれないわね)
そう考えたリリスは、ズーケに話しかける。
「それは大変です。先が長くないというのであれば、コレット様に会わせるように計らってあげてはいかがです?」
「駄目だ。母は感染症にかかっているんだ。人に会わせることはできない」
(おかしいわね。ある条件をのまないと会えないんじゃないの?)
ズーケは用意していた質問には答えられるが、イレギュラーな対応は無理だった。リリスはズーケが嘘をついているのだと思い、信じたふりをして質問を続ける。
「お世話は誰がしているのです?」
「メイドだ」
何年かかけてジーコをマヤのかかりつけの医者として信頼させた。ある時、風邪をこじらせたマヤに、ジーコから重い感染症だと告げさせた。食事や下の世話は雇ったメイドにさせて、マヤをベッドから動かないようにさせた。そうこうしているうちに彼女の筋力はなくなり、体力も衰え、歩くこともままならなくなったのだ。彼女が歩けなくなってからは、マヤには病気が治ったと伝えていた
メイドを雇うお金はコレットが出していたが、医者を選んだのはズーケの妻だ。ズーケの妻は多くの人間に加担させて、マヤを外の世界から遠ざけて操り人形にしようとし、ディルとミフォンが結婚してしまえば、余計なことを言いそうなマヤを処分しようと考えていた。
ズーケにしてみれば、色々と聞かれることは、ぼろを出す可能性がある。そのため話題を変えた。
「そ、そんなことよりも、ディル様! まさか、この女と婚約するだなんて馬鹿なことは言いませんよね?」
ズーケがリリスを指差して叫ぶと、ディルはため息を吐いて答える。
「あんたには関係ない」
「関係ありますよ! まさか、自分たちが婚約したいがためにミフォンを嵌めたんですか!」
「ふざけたことを言うな」
「ディルとリリスさんの婚約の話を進めるように背中を押してくださったのはステラ様よ。あなたは王女殿下が、ディルたちに加担してミフォンたちを嵌めたと言いたいの?」
コレットに尋ねられたズーケは、ステラの名前を聞いて慌てた表情になったが、すぐにへらへらと笑い始める。
「あ! 今日は、もう用事を思い出したので帰ります」
リリスたちが何か言う前に、ズーケはまるで何かに追われてでもいるかのようなスピードで逃げていった。
「マヤとはずっと手紙のやり取りをしてきたけれど、いつも今の自分は幸せだと書いてくれていたわ。ミフォンだって、マヤは元気だと言っていた。だけど、そうではなさそうね。……私は、本当に馬鹿だった」
涙するコレットにリリスが話しかける。
「今はできることを全てやってしまいましょう。反省や後悔はそれからでもできます! まずは、マヤ様を助け出しましょう」
「そうね。そうするわ。マヤが住んでいる家は私名義なの。理由を作って家の中に入るようにするわ」
コレットはリリスの言葉に頷くと、屋敷にいる騎士とお抱えの医者をすぐに呼び寄せ、マヤの元に向かわせることにしたのだった。