27 子爵令嬢と辺境伯令息の婚約 ①
ミフォンの父親であるズーケは心優しい母には似ず、貧しさを理由に十五歳の頃から小悪党のようなことをしていた。元々は気が小さいため、殺人などの重犯罪をする勇気はない。騎士団に捕まるような目立ったことはせず、仲間と一緒に自分よりも弱い者を狙ってストレスを発散していた。
母も父も働き詰めでほとんど家にいなかったこともあり、彼の非行を叱る人間はいなかった。
ズーケが盗みの常習犯である女性との結婚を決めた時、初めてマヤは、息子が知らないうちに素行の悪い人間と付き合っていたことを知った。息子に問い詰めたところ、彼は「貧乏な母さんたちが悪い! 母さんたちが金を持っていたらこんなことにならなかった」と叫んだ。
そんなこともあって、マヤはコレットにお金に困らない生活を望んだのだ。
父が亡くなって数年後、マヤとコレットの契約が交わされた際、ズーケたちはこれで一生遊んで暮らせると喜び、生まれてきたミフォンをワガママに育てた。
子育てに口出ししてきたマヤを大人しくさせるために、彼らはマヤの足腰を弱らせ、外出できなくさせると、コレットとの連絡も控えさせた。
今回の婚約破棄の件で、ズーケは焦った。万が一契約が破棄される前に自分の母を使って、コレットから金を引き出すことに決めた。ズーケはコレットが馬鹿がつくくらい義理堅いことを知っていたため、自分の思い通りになると思っていた。
「チクショーめが。いつまで待たせんだよ」
服装だけは小綺麗にしているが、ボサボサの長い髪の毛を後ろに一つにまとめ、無精髭をそのままにした中肉中背のズーケが、門兵に食ってかかった時だった。
「それは悪かったな。俺が話を聞いてやる。一体何の用だ?」
ズーケの前に現れたのは、義理の息子になるのだと信じて疑わなかった相手であり、王家直属の騎士隊の副隊長だ。ズーケは引きつった笑みを浮かべて、何とか言葉を絞り出す。
「ディ、ディル様じゃないですか。どうしてこちらに?」
「ここは俺のお祖母様の家でもあるが、俺が学生時代に過ごした家でもある。そこに来ることがおかしいか?」
ディルは騎士の姿で、しかも馬に乗ってきている。いかにも急いで来たということがわかったズーケは『あのババア、チクりやがったのか』と心の中で悪態をついた。
ディルは門兵に乗ってきた馬を預けて、ズーケを急かす。
「おい。今日はお祖母様には客が来てるんだ。俺が相手してやるから早く用件を言え」
殺気を隠そうとしないディルに、ズーケは引きつり笑いを浮かべて答える。
「あ、いや、その、コレット様にはいつもお世話になっているのでそのお礼をと」
「お礼? お金をせびることがお礼だと言うのですか?」
ズーケに尋ねたのはディルではなかった。門の向こう側から姿を現したのは、胸にシルバートレイを抱えたリリスだった。
「ど、どうしてお前がこんな所に!?」
リリスとズーケは何度か顔を合わせたことがあった。その時はリリスのことを地味な女だと思い、シンがミフォンに奪われるのも無理はないと鼻で笑っていた。
だが、今日のリリスは今までとは違い、何かが吹っ切れたように見え、理由はわからないが、ズーケは彼女のことを恐ろしく感じた。
「ミフォンから聞いていませんか? 私とコレット様は親交があるのです。それから、ディル様に連絡したのは私です」
リリスはズーケには冷たい口調で言ったあと、ディルには眉尻を下げて謝る。
「お忙しいところお呼び立てしてしまって申し訳ございません。コレット様はディル様たちに話すことを躊躇しておられましたので、第三者である私が介入してしまいました」
「お祖母様の様子がおかしいことは気になってたんだ。だが、聞いても理由を教えてくれなかったから、ほんと助かった。ありがとな」
「お役に立てたのであれば光栄です」
リリスがディルの目を見て微笑むと、彼は満足そうな笑みを浮かべる。
「いつも伏し目がちだったのに、今日は違うんだな。瞳を隠すのはやめたのか」
「はい。今の私は瞳のことがなくても目立つ存在ですから」
「……そうだな。婚約破棄したということで有名だから、どこに行っても注目の的か」
「そうなんです」
リリスはディルの夕焼け色の瞳を見て頷いた。
(ディル様の瞳って本当に綺麗だわ。お兄様が私は朝と昼の空の色。ディル様は夕方の空の色で、お揃いみたいでディル様のことがムカつくとか言っていたわね)
ディルはそんなことを考えていたリリスから、ズーケに視線を移して睨みつける。
「で、もう一度聞く。お祖母様に何の用だ?」
「えっ……あ、その、ああ、あれですよ! ディル様とミフォンの婚約が駄目になってしまったではないですか! 新しい婚約者にと紹介してくれた方はミフォンの好みじゃないようでして、違う方に変えていただけないかと……」
「金に困らない生活をさせるという約束しかしていないだろ。大体、お前の娘が浮気したんだぞ。紹介してもらえるだけありがたいと思え」
「え……あ、ええ、まあそうなんですけど」
ズーケはヘラヘラ笑いながら続ける。
「ほら、ミフォンはディル様が好きですから、ディル様くらいの相手じゃないと」
「そんなもん知らねぇよ。迷惑だから諦めさせろ。というか、娘のワガママくらい何とかしろ」
はっきりと言われたズーケだが、彼は娘が可愛くて仕方がなかった。ムッとしつつも、表情は笑顔のままで言う。
「ディル様、あなただって結婚相手がいないのは困るでしょう。一度くらいの浮気は許してやってくださいよ」
「一度じゃねぇだろ」
「なんとか水に流してやってもらえませんか」
「本気で言ってんのか?」
ディルが脅しのために腰の剣に手をかけると、ズーケは震え上がり、何度も首を横に振った。
(さすがミフォンの父親ね。厚かましいにも程があるわ)
リリスが呆れ返っていると、遅れてやって来たコレットが叫ぶ。
「ディルの婚約者については話を進めようとしている令嬢がいるの。今はディルの両親に確認中よ。だから、余計な心配はいらないわ」
「「えっ!?」」
ディルとズーケが同時に聞き返した。リリスは隣に立ったコレットに話しかける。
「良い令嬢がいらっしゃったのですね」
「ごめんなさいね、リリスさん。息子夫婦が認めてくれたら、息子のほうからあなたの家に連絡をさせるつもりだったの」
「……はい?」
「勝手なことをしてごめんなさい。王家からの薦めもあって、私はディルの婚約者にあなたを推薦したのよ」
「ええっ!?」
予想もしていなかった話に、リリスは大きな声で聞き返した。