12 婚約破棄に向けて
さすがのシンにもこれはまずいと考えられる頭はあった。もし、ミフォンへの接近が禁止されてしまえば、彼女がリリスにいじめられると思い、正義感の強いシンはミフォンを守るために、自分の立場を挽回しようとする。
「誤解されてしまうような発言をしてしまい申し訳ございません。リリスなら許してくれるのだと思い、ずっと甘えてしまっていました」
シンはテーブルをまわりこんでリリスの元へやってくると、その場に跪く。
「これからは心を入れ替えて君にだけ尽くすよ」
「結構です。もうあなたを信頼する気持ちは消え去りました」
一度や二度なら我慢できたかもしれないが、シンに裏切られた回数など数えきれない。学生時代にシンとミフォンから受けた傷は、リリスの心をえぐったが、婚約の解消ができないとわかった時点で、彼女は心を無にさせていた。
(今までは婚約を解消できないと思っていたから、せめてミフォンだけでも遠ざけようとしていた。だけど意味がないってわかった。ミフォンはきっと私の相手なら誰でもターゲットにするつもりだわ。せっかくのチャンスだもの。この機会を生かさなくちゃ)
そんなリリスの気持ちなど知らずに、シンは笑顔で話しかける。
「じゃあ、もう一度始めようじゃないか」
「リリスさん、少しいいかしら」
リリスがシンを拒否する前に、コレットが口を挟んだ。
「何でしょうか」
「あなた、もう彼に気持ちがないのね?」
「はい。婚約した当時は彼と結婚できると嬉しく思った時がありました。ですが、彼の心にはミフォンしかいないことに気づきました。そして、私が愛を捧げる相手ではないということにも気づき」
「リリス、いい加減にしろ! そんな話は他人にすることじゃない!」
声を荒らげて、シンがリリスの腕を掴もうとした時、コレットがシルバートレイをシンに向けた。
「ひっ」
目の前にシルバートレイを突き付けられたシンは、情けない声を上げて後ろにのけぞった。
「レディーが話をしている途中よ。それにあなたと話をしているんじゃないわ。彼女は私に話をしているの。どうしても話が聞きたいと言うのなら、まずは元いた場所に戻りなさい」
「……は、はい」
シンは一気に勢いをなくし、大人しく席に戻った。コレットは厳しい表情を柔らかなものに変え、シルバートレイを横に置いてからリリスに話しかける。
「ごめんなさいね、リリスさん。ディルからはミフォンちゃんには仲の良い男性がいて、自分のことは金蔓にしか思っていないと聞いていたの。だけど、ミフォンちゃん本人に聞くとそうじゃないって、彼女にはディルしかいないって泣くの。嘘泣きをしているようには思えなくて、ディルは女性に興味のない子だから、ただ婚約したくないだけだと決めつけてしまった。ディルの話を嘘だと決めつけずに調べておけば、こんなことにならなかったのに」
「コレット様、人は自分にとって都合の良いものを見ようとするものです。少し遅くなったかもしれませんが、改めてミフォンを見てみてください。そして、ディル様の話をちゃんと聞いてあげてください」
「……ディルは許してくれるかしら」
「もちろんです」
リリスにコレットの話をした時のディルは、コレットに対して呆れている様子だったが、嫌悪感を抱いているわけではなかった。その時のことを思い出し、リリスは大きく頷いた。
「ありがとう」
コレットはリリスの手を取って頷くと、シンには厳しい目を向ける。
「ジョード卿、あなたのことは調べさせてもらいます。調査結果はリリスさんとあなたのお家にも連絡を入れます。婚約関係を続けるか続けないかは、その結果によって両家で考えなさい。そして、ディルとミフォンちゃんが婚約している間は、ミフォンちゃんに会うのはやめてちょうだい」
「そんな!」
「もし、どうしてもと言うのであれば、ディルも立ち会わせなさい」
「む、無理です!」
「あなたはディルと同じ宿舎で寝泊まりしているのでしょう? 無理なはずがないわ」
コレットはぴしゃりと言うと、ベルで使用人を呼び、シンに退室を促す。
「もう、あなたと話すことはありません。帰ってください」
「誤解なんです! 僕とミフォンは変な関係ではありません! リリスがやきもちを焼いているだけなんですよ!」
「シン様、今日は家に帰ってご両親と私との婚約の解消について話をしてください」
「嫌だ! 絶対に婚約解消なんてしない! 君は僕と結婚するんだ!」
シンは必死に抵抗したが、中に入って来た屈強な兵士たちに力で押さえつけられ、屋敷から追い出されたのだった。
◇◆◇◆◇◆
リリスたちが話をしている頃、ディルはフラスト王国の王女である、ステラ・ノエビアスの護衛の任務に就いていた。といっても、現在の彼女は自室にこもっているので、部屋の前で見張りをしている状態だ。
もうすぐ勤務時間が終了という一分前に扉が開き、侍女がディルに「ステラ様がお呼びです」と声をかけた。仲間に一声かけてディルが入室すると、部屋の奥の安楽椅子に座っているステラが低音ボイスで話しかける。
「ディル、今度夜会を開くことにしたんだ。婚約者と一緒に来てくれるよな?」
「もちろんです、殿下」
ディルが恭しく頭を下げると、ゆるやかなウェーブのかかった金色の髪を背中に垂らしたステラは、切れ長の目を細めて、近くの棚に置かれている置時計を見た。ディルの勤務終了時間になっていることを確認した彼女は口を開く。
「勤務終了だ。ご苦労さん」
「そう思ってるんなら帰らせてくれ」
笑顔で自分を見つめるステラに、ディルは緊張を緩めて答えた。すると、ステラは青色の瞳をディルに向けて厳しい表情で話し始める。
「私の可愛い義妹を邪険に扱うクソ野郎のことで話があるんだ」
「義妹?」
「ああ、リリスのことだ」
「義妹じゃねぇだろ」
「近いうちに義妹になる! 私の婿はファラスしかいないのだからな!」
「はいはい」
二人のやり取りを聞いた侍女たちがクスクスと笑う。騎士が王族と対等に話すなどありえないことだが、これはステラの希望だった。彼女はディルと同い年であり、学生時代はディルとファラスによって守られてきた。一部の人間しか知らないことだが、ステラは学生時代からリリスの兄のファラスにぞっこんで、どんなに相手にされなくても彼を愛し続けている。彼女の独特な言葉遣いにも理由があり、彼女に何とか諦めてもらおうと思ったファラスが「ぼ、僕は、だ、男性が好きでして」と言ったことで、せめて口調だけでもと無意味な努力を始めたからだ。
大人になった今となってはそれが嘘だと気づいてはいるが、彼女はこの話し方が気に入ったので、現在も続けている。
「可愛いリリスの婚約者が塵芥のような奴だともっと早くに知っていたら、騎士団長にあんな奴の話などしなかった!」
「なんだって?」
(なんであいつが採用試験に通ったのか不思議だったけど、ステラ様が手をまわしてたのか!)
ディルの冷ややかな視線を受けて、ステラは慌てる。
「可愛い義妹の婚約者だから、さぞできる男なのだろうと言っただけだぞ! 合格させろとは言っておらん!」
「王女の言葉を無視できるわけがないだろ」
「ファラスは無視するぞ!」
「それはあなたがしつこいからです」
ディルは大きなため息を吐くと、彼女に話を促す。
「で、俺を呼んだ理由は夜会の件か?」
「ああ。ディルには本当に感謝している。お前が話をしてくれなければ、私は可愛い義妹や愛する人、敬愛するお義父様の悩みを知ることができなかったのだからな。どうして、私は気づいてやれなかったのか」
「リリス嬢がミフォン嬢に我慢できていたのは、あなたという面倒くさい人間で慣れていたからだろうし、そこまで凹まなくていいんじゃないか」
「何とでも言え! 今回は許してやる。それよりも、リリスを困らせているゴミクズ野郎とお前の婚約者の顔が見てみたい」
「どうするおつもりで?」
「さっきも言っただろう? 夜会を開く。そこへリリスとお前が二人を連れて来てくれ。私主催のパーティーをぶち壊してくれたなら、私も介入することができるだろう? ついでだ。お前の婚約も破談にできるように力を貸そう」
「ありがとうございます」
ディルが素直に礼を言うと、ステラは厳しい表情を緩め、彼に期待の眼差しを向ける。
「もちろん、ファラスも連れてきてくれるよな?」
(こうなるから、リリス嬢は彼女に頼めなかったんだろうな。まあ、これくらいはいいだろ。公にはしてないが、あいつが騎士団の試験を受けたのは彼女のためだ。身分の差を気にしているだけで、彼女を嫌っているわけじゃないだろうしな)
「承知しました」
王女の頼みを断れるはずもなく、ディルは苦笑して頷いた。




