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第16話 はじめての一杯

「さて、それでは試飲会に向けて準備を整えましょう!」


 私はまずアレクシスが仕入れてきたカップを一つ手に取る。洗いやすそうなシンプルな形だけど、ちょっとしたポイントデザインが気品を感じさせる理想のカップだ。さすがアレクシス。何も言わなくても想像通り……いえ、それ以上の働きをしてくれる。


「素敵なカップね。数もしっかり揃ってる。あとは軽く拭っておけば大丈夫ね。あとやっておくべきことは……お湯の準備かしら。一応、ストーブに火はつけてみたけどこれで大丈夫?」


 言うと、アレクシスは簡易ストーブの扉を開け、火の具合を確認する。学生時代、林間学校でストーブの火を起こした経験を思い出しながらやったところ、案外すんなりと出来てしまった。


「問題ないかと。……しかし、いつの間にこんなことが出来るように?」

「えーっと、多分アレクシスが炊事をするのを見ていて、いつの間にか覚えたのかも……」

「……そうですか」


 私が視線を逸らしながらしどろもどろに答えると、アレクシスはそれ以上追及しなかった。……確かにシエナは没落したとはいえ貴族のお嬢様。ストーブの火をつける方法なんて知らないだろう。


「それでは、私は井戸水を汲んできます」

「あ、待って! 私も連れて行って!」


 紅茶屋台が大盛況になれば屋台の目玉である本物の執事――アレクシスはここから離れられなくなる。水の補充なんかの裏方仕事は私が担う必要がある。アレクシスはやはり心配そうな顔をしたが、小さく息を吐いてひとつ頷く。


「わかりました。……念のため、井戸の場所と水の汲み方をお伝えしましょう」


 屋台ついに始まる段階になり、心配性のアレクシスもようやく観念してくれたのかしら。そんなことを考えながら私はアレクシスと井戸で水を汲み、屋台の裏手に置いた水がめに水を準備した。


 その後、『ゴールデン・ローフ』の屋台の一角に磨いたカップと茶葉、ティーポットなどを整理していると、通りの方から賑やかな声が聞こえてきた。


「おーい! シエナちゃん、アレクシス!」


 活気に満ちた声。あの声は昨日聞いた酒場のおかみさんの声だ! 彼女とその友人らしき女性たちが、揃いのエプロン姿でこちらに向かってくる。人数はだいたい10人程度……よし、多くもなく少なくもなく、いい人数だ!


「おはようございます、おかみさん!」

「ほんとに紅茶を振る舞ってくれるって話、聞いて楽しみにしてたのよ! それに、あの『ゴールデン・ローフ』のお菓子も食べられるんだって?」


「ええ! ぜひお試しください! アレクシス、紅茶をお願い!」


 ついに最初のお客様が来た! 私が気合を入れてアレクシスに指示すると、アレクシスは静かに一つ頷き、優雅な所作で茶葉を淹れ始める。ティーポットを傾けるだけの所作で、どうしてこんなに優雅なのかと思う。何度見ても、やっぱり見惚れてしまう。それはお客様たちも同じだったようで、ため息をつきながらその様子を見ていた。


 紅茶の芳醇な香りが広がると、お客様たちの表情がぱっと明るくなる。


「すごくいい香り……!」

「この深い香り……紅茶だけじゃなくてハーブも入ってる? それともすごくいい茶葉なのかしら?」

「ええ、屋敷で育てたハーブをブレンドしたんです! さあ、温かいうちにどうぞ!」


 お客様たちは目を輝かせながら、カップを手に取る。カップを口に運ぶと、一瞬、場が静まり返る。……だが、次の瞬間──すぐに次々と称賛の声が上がった!


「……美味しい」

「本当に! 市販の紅茶とは全然違うわ!」


 おかみさんも満足そうに頷く。


「これはいいねぇ……! こんな美味しい紅茶が屋台で飲めるなんて思わなかったよ。これ、おいくらなんだい?」

「銅貨5枚です。もちろん、今回は試飲会なのでサービスします! ついでに、こちらもどうぞ」

「へえ、まあまあの値ごろ感かしら。これは……?」

「お待ちかねの『ゴールデン・ローフ』のお菓子です。おひとつずつどうぞ!」


 私はトレーに載せた『ハニーボール』を一つずつお客様に配る。先ほど『ゴールデン・ローフ』から買ってきたものだ。懐はやや寂しくなるが……これは先行投資。お茶とお菓子が一緒に楽しめるのはこの屋台の大切なウリのひとつ。折角試飲会を開くのなら、お菓子も一緒に味わってほしかった。


「うわー、これは……!」


 おかみさんが小さなハニーボールをつまみ、口に放ると、その表情が一変した。


「カリッとした食感のあとに、じんわりと蜂蜜の甘さが広がる……! しかもこの香ばしいくるみの風味!」

「でしょう? 紅茶と一緒に楽しめるように、この日のために特別に作ってもらったんです。紅茶とハニーボール3つのセットで、銅貨10枚でご提供する予定です」


 私は自信たっぷりにハニーボールを宣伝する。お客様たちは口々に感想を口にしてくれた。


「確かに、たまの贅沢にはいいかもね」

「商家のお嬢さんたちはこういうの、絶対好きだよ!」

「市場にあるおしゃれなティールームでも、なかなか味わえないよ、こんな美味しいお茶とお菓子!」

「こんなに美味しいんだもの。立っても食べられるけど……座ってゆっくり食べたいわ」


 私とアレクシスは顔を見合わせ、確かな手応えを感じた。紅茶とお菓子の相乗効果は抜群。これは……いける!


「シエナちゃん、本当にタダでいいのかい?」

「ええ。その代わりぜひお知り合いやできれば酒場もお客さんに宣伝を」

「もちろん! これだけ美味しいんなら是非宣伝させてもらうよ!」

「本当に助かります!」


 そう言って私は深く頭を下げる。おかみさんたちは笑いながらも、口々に「こちらこそ」「また来るよ」と言葉を返してくれた。温かい空気が、屋台の周囲にふんわりと広がっていく。


 ふと見上げると、朝日が通りの石畳を黄金色に染めていた。屋台のカップやポットに差し込んだ光が反射し、紅茶の表面がきらきらと輝いている。どこからか聞こえてくる楽器の音と、商人たちの呼び声。それらが重なって、祭りの朝が本格的に動き出したことを感じさせた。


「……よかったですね、シエナ様」


 アレクシスが、横でそっと声をかける。彼の手元には、すでに次のお茶を淹れる準備が整っていた。火加減を見ながら、水を足すその動きには一切の乱れがなく美しい。


「うん……ほんとに、よかった」


 私は頷きながら、胸の中にふわっと温かいものが満ちていくのを感じていた。


 紅茶の香り、焼き菓子の甘さ、人々の笑顔。

 このひとつひとつが、私の中で『現実』になっていく感覚。夢でも幻想でもなく、本当に私は今ここで、自分の足で未来を動かし始めている。


(もっとたくさんの人に、この紅茶を知ってもらいたい。アレクシスの紅茶を──私たちの屋台を──ちゃんと成功させたい。そして、ティーセットを守ってアレクシスの紅茶を飲みまくりたい……)


 胸の奥でそっと、そう願う。風に乗って漂ってきた紅茶の香りが、私の決意に静かに寄り添ってくれる気がした。


 こうして、紅茶屋台の初日は──祭りの朝の陽ざしとともに、静かに幕を上げたのだった。

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