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第15話 ハニーボールと執事パワー

 早朝の空気は澄んでいて、心地よい。祭りの通りも、さすがにこの時間帯は人がまばらだった。


「エドマンドさんは……まだ来てないわね」

「そのようですね」

「それじゃあ、私はここで準備を進めるから、アレクシスはお客様用のカップとソーサー、足りない茶葉を仕入れてきて!」

「シエナ様。くれぐれも火元の管理には気を付けてくださいね。それと……」

「知らない人にはついて行きません。ここから遠く離れたところには行きません……でしょ?」


 アレクシスは小さく溜め息をつきながらも、屋敷から運んできた荷物を降ろし、荷台を引きながら市場へ向かっていった。


 私は屋敷から持ってきた荷をほどきながら、屋台の周りを整理する。そんな中、遠くからゆっくりと歩いてくる影が目に入った。


「エドマンドさん、ホリー! おはようございます!」

「シエナさん、おはようございます!」

「……本当に来たんだな。そんな服まで着て……」


 エドマンドは、少し驚いたような顔を見せた。貴族の少女が商売をするなんて話、どうせ一晩寝たら気が変わる──彼はそう考えていたのかもしれない。


「ええ。色々と仕入れるものもあるので、早めに来てました」


 私がそう言うと、エドマンドはふいっと視線をそらし、屋台へ入っていく。一方、ホリーは笑顔で私の元に駆け寄ってきた。


「実はおじい様、今朝早くまで寝ないで試作品を作ってらして、疲れてるの。不愛想に見えたらごめんなさい」

「え?! 朝まで?」

「おじい様って、お菓子のことになると、いつもこうなの」


 やっぱり、老舗の店主だけのことはある。本当に頼もしい存在だ。


「それで……新しいお菓子はできたの?」

「それは……」


 そこで、屋台の方からふわりと甘い香りが漂ってきた。バターの風味豊かな香りと、ほんのりとした甘い蜜の香り。それに混じる、ナッツの香ばしさが鼻腔をくすぐる。


「いい匂い……バターと……これは何かしら?」


 タイミングよく、エドマンドが屋台の方から声をかけてくる。


「シエナ嬢、来てくれないか。ホリーも来なさい」


 私はホリーと共に屋台の前へと向かった。エドマンドは無言で陶器の皿に丸い焼き菓子をいくつか乗せ、それをこちらへ差し出す。


「これは?」

「まずは食べてみなさい」


 恐る恐る、一口頬張る。すると、ゴールデン・ローフらしい芳醇なバターの香りとともに、カリッとした表面が歯を喜ばせ、中からほろっと崩れる甘い生地が舌の上に広がる。そこに、香ばしいくるみの風味と、ほんのりとした蜂蜜の甘さが加わって、絶妙なハーモニーを生み出していた。


「くるみと蜂蜜……かしら?」

「ほう、良く分かったな。くるみ入りのハニーボールだ」

「これ……すごく美味しい! しかも紅茶に絶対合う!!」


 気づけば、もうひとつ手に取っていた。バターの濃厚な旨味が口の中を満たし、サクサクとした食感がなんとも心地よい。


「しかも外がカリっとして食感がハッキリしてるから、小粒でも満足感があるわ! それに手が汚れないから、立って食べても問題ない……!」


 私の言葉に、ホリーは誇らしげに微笑む。


「これ、セット販売のために考えて下さったんですか?」

「……それ以外に何がある?」

「ありがとうございます! 期待通りの、いえ、期待以上の素晴らしいお菓子です!」


 私が言うと、エドマンドさんは黙って背を向けた。もしかして、照れているのだろうか……?


 エドマンドが照れ隠しのように背を向けたのを見届けて、私は心の中で小さくガッツポーズを決めた。ツンとした態度の裏で、ちゃんと本気で考えてくれていたんだ。無骨な職人肌の人が、ここまでしてくれるなんて……本当にありがたい。


 さて、気になるのは値段設定だ。私はすかさず尋ねてみる。


「ちなみに、おいくらくらいで販売されるんですか?」


 エドマンドは腕を組み、少し考え込むような間を置いた後、ぶっきらぼうに言った。


「3個で銅貨6枚。……それ以上は負からん」

「十分です!」


 私はぱっと顔を輝かせた。


「セット販売の時だけ紅茶を少しディスカウントすれば、ちょうど銅貨10枚で売れる。……庶民のちょっとした贅沢の範囲の価格設定になります」


 これなら、紅茶とお菓子を組み合わせることで、新しい客層も取り込めそうだ。お茶請けにぴったりの甘いお菓子と、香り高い紅茶。この組み合わせなら、間違いなく成功するはず――そう確信した瞬間。


 重みのある車輪の音が響く。音の方へ振り向くと、アレクシスが荷台に山ほどのカップと茶葉を積んで戻ってきたところだった。


「シエナ様、お待たせしました」


 市場での仕入れを済ませたのだろう。私に挨拶するなり、彼は手際よく荷物を下ろし始める。


「アレクシス、試してみて! これ、絶対紅茶に合うわよ!」


 しかし、私はそんなアレクシスの腕を引っ張り、彼を屋台の前に立たせる。手にはエドマンドが作ってくれた焼きたてのハニーボール。


「これは……?」

「エドマンドさんが作ってくれたのよ! 紅茶とセット販売することになったの!」


 私は誇らしげにお菓子を差し出すが、アレクシスはすぐに手を出さず、少し訝しげに眉を寄せた。


「それは良かったですね。ですが、なぜ私に?」

「当然でしょ! アレクシスの紅茶に合うお菓子なんだから、まずはアレクシスが試食しなきゃ!」

「……なるほど」


 アレクシスは私の手元を見つめたまま、わずかにため息をつく。そして、慎重にひとつつまみ、口へと運んだ。


 彼の端正な口元が動く。カリッと軽い食感が心地よく響いた。


「……確かに、紅茶とよく合いそうですね。甘さに重たさがなく、バターの香りも強すぎない。用意している紅茶にも合わせられるでしょう」

「でしょ!? エドマンドさんが本気で考えてくれたお菓子なんだから!」


 アレクシスの返答に私は満足げに頷く。すると、ふとホリーがくすくすと笑いながらこちらを見ていた。


「シエナさん、アレクシスさんがいると急に無邪気になるのね」

「え? そうかしら?」


 私はきょとんと首を傾げる。確かに究極執事アレクシスが傍にいると体中に力が漲ってきて、ついつい前のめりになってしまう時もある気がするけど……。


「執事パワーってやつかもね……」

「なんですか、それは……」


 アレクシスは呆れたように言うが、その表情はどこか柔らかい。


 そんな軽口を交わしている間にも空は次第に明るさを増し、祭りの通りにはちらほらと人影が増え始めていた。


「さあ、ぼーっとしていると酒場のおかみさんが来てしまうわ! 最高のお茶菓子を用意して下さったエドマンドさんとホリーさんのためにも、しっかり準備を整えましょう!」


 いよいよ、紅茶屋台始動――!


 この紅茶を、必ず成功させてみせる。アレクシスの紅茶を、そして『ゴールデン・ローフ』の素晴らしいお菓子を、もっと多くの人に知ってもらうんだから!


 私は両手を軽く握りしめ、胸の中で新たな決意を固めた。

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