第11話 商談の幕開けはバターの香り
販売計画を立て、明日からの開店に向けてアレクシスを酒場に差し向けたあと、私は『ゴールデン・ローフ』の様子を伺った。
夕暮れが店先を橙色に染める中、ホリーがせっせとお菓子を片付けている。客の姿はまばらで、活気は昼間に比べると明らかに落ち着いていた。どうやら今日は早めに店じまいをするようだ。
「失礼します。今日はもう閉めるところ?」
声をかけると、ホリーは手を止め、私に気づいて微笑んだ。
「はい。お客さんもそんなにいませんし、夜はお菓子はなかなか売れないので」
夕方の涼しい風が、どこか寂しげに屋台を吹き抜けていく。やっぱり、日が落ちると甘いものの需要は減るのね。紅茶屋台の営業も、昼を中心に考えた方がよさそうだ。
私は一歩、ホリーに近づきながら、おもむろに彼女へ手を差し出した。
「すっかり挨拶が遅れてしまったけど、私はシエナ。明日からよろしくね」
「ホリーです。こちらこそ、よろしくお願いします」
彼女は両手の粉を軽くはたいてから、私の手をとった。素朴な笑顔が、そばかすの浮いた顔によく似合っている。なんだか彼女とはいい友達になれそうな気がした。
「もし迷惑じゃなければ、スコーンを1つ頂きたいのだけど……」
「あ、はい! ありがとうございます。銅貨25枚になります」
ホリーがにこやかに答えた瞬間、私は心の中で小さく悲鳴を上げた。た、高い……。いや、わかってたけど、スコーンひとつで紅茶5杯分の売り上げ分の銅貨が吹っ飛んでしまうのは痛い。
それでも、この投資は『執事の最強ティーワゴン計画』の第二段階に必要不可欠なもの。避けては通れない出費だと、自分を納得させる。
私は笑顔を保ちつつ、銅貨を手渡した。
「もしよければ今食べてもいいかしら?」
「ええ、ぜひ。……おじい様、まだ火はあるかしら? シエナさんのスコーン、温めてあげたくて」
ホリーは私の言葉にうれしそうに頷くと、店の奥へ体を向け、大きめの声で呼びかけた。その声に応えるように、奥からエドマンドが顔を出した。その視線は相変らず鷹のような鋭さだ。
「こっちに寄こしなさい。温めよう」
エドマンドの口調は一見ぶっきらぼうだったが、その言葉の奥には、どんな仕事にも決して手を抜かないという職人の気概が感じられた。
「ありがとうございます!」
私は嬉しくなりながら、手渡したスコーンがエドマンドの手に渡るのを見つめる。屋台に備え付けられた簡易オーブンにスコーンが入ると、じわじわと温められた生地からバターの香りが立ちのぼった。
(ああ……これは、絶対に美味しいやつだ……!)
立ちのぼるバターの香りに、私は思わずお腹を鳴らしてしまう。しまった! けれどもう遅い。ホリーが小さく笑うのが見えた。
「シエナさん、さあどうぞ」
温められたスコーンが、陶器の皿に載せられ私の前に差し出される。見た目は先ほどと変わらないはずなのに、より一層輝いて見えるのはきっと気のせいじゃない。
「頂きます!」
ひとくち頬張ると、バターの香ばしさが一気に口の中に広がった。ほんのりとした甘さに、軽やかな口当たり。しつこさは一切なく、繊細な風味が舌の上に心地よく残る。
「……おいしい……!」
想像を上回る美味しさに、私は思わず感嘆の声を漏らしていた。
「よかった。おじい様のスコーンは世界一ですから」
ホリーは心から嬉しそうに微笑んだ。その言葉に、エドマンドは視線をそらす。無骨な態度は崩さないけれど、どこか照れたような仕草に、思わず頬がゆるむ。なかなか頑固そうな人だけど、こういうところはちょっと可愛いかもしれない。
空気が和んだこのタイミングを逃す手はない。私はさりげなく、本題へと話を切り出す。
「こんなに美味しいのに、なかなかお客さんが来なくて本当に残念ね……」
「ええ。シエナさんたちの紅茶が呼び水になって、おじい様のお菓子も売れるといいんですけど……」
「……ホリーさん、本気でそう思う?」
私はホリーに一歩詰め寄った。
「は、はい! もちろんです」
ホリーは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに胸の前で拳を握り、きっぱりとした口調で答える。
「だったら提案があるの。紅茶とお菓子、セット販売出来ないかしら?」
「セット販売……ですか?」
「そう。紅茶とお菓子、一緒に食べてもらえばお互いを引き立て合うでしょうし、それに折角一緒にやらせてもらうんですもの。私たちの宣伝の効果が、『ゴールデン・ローフ』の助けになるようにしたいの」
私がそう言い切った、その瞬間だった。屋台の奥から、エドマンドがゆっくりと姿を現す。どうやら私とホリーの会話をしっかり聞いていたらしい。
「勝手に孫と話を進めるのは止めて頂きたい」
声の大きさこそ抑えられていたが、その口調にははっきりとした不快の色がにじんでいた。
けれど、私は引くつもりはなかった。どうせエドマンドを説得できなければ、『執事の最強ティーワゴン計画』の第二段階は前に進まない。退く理由なんて、どこにもない。
「もし、不快にさせてしまったならごめんなさい。でも、エドマンドさんにも聞いていただけるなら、むしろありがたいわ。ぜひ、私たちの紅茶と『ゴールデン・ローフ』の素晴らしいお菓子、セット販売させて頂きたいの。けれど――」
続きを口にする前に、私はピタリと言葉を止めた。エドマンドの視線が、まっすぐに私を射抜いていたからだ。その眼差しは、まるで「続きを言ってみろ」と無言で促しているようで、迂闊な一言も許さない重さを帯びていた。
(頑張れ私! 上司ににらまれながらプレゼンをやり切った時のことを思い出すのよ!)
私は自分を鼓舞しながら、言葉を続けようとする。しかし、先に口を開いたのはエドマンドだった。
「……セット販売するには、うちの店には足りないものがある。そう言いたいんだろう?」




