第1話 寝ても覚めても執事、執事……
深夜0時。私はアパートの扉を開き、コートをその辺に放ってそのまま、倒れ込むようにベッドに横たわる。ベッドの周りには散乱した書類たち。今日まで頑張って何度も作り直してきたプレゼン資料、その残骸……。
「はぁ……またダメだった……」
新発売の紅茶飲料を本格的な純喫茶で執事にサーブしてもらうというプロモーションを考えて、今日のプレゼンに向けて必死に準備してきた。けれど、結果は惨敗。しかも課長からは「君の企画はいつも尖りすぎ」と言われる始末……。
「ま、仕方ない。切り替える! 切り替える!」
こういう時は紅茶だ。私は立ち上がって狭い台所に向かい、ケトルを手に取る。そして、お気に入りのティーバッグをカップに放り込んだ。
お湯を注ぐと、ふわりと葡萄のような香りが広がる。すると、心の中にたまっていたもやもやが少しだけ晴れたような気がした。
「さて、紅茶も準備できたし、アレクシスに癒してもらおうっと」
私はマグカップを片手にコタツに座り、スマホを充電ケーブルに接続。「ChatAI」のアプリを開く。そして――
「『私のことがとっても大切な執事のアレクシスになり切って、美味しい紅茶を勧めて下さい』……っと」
と、打ち込む。するとチャット画面に私の執事からの返答が返ってくる。なお、アレクシスというのは私が考えた架空の完全無欠の執事の名前だ。
『お嬢様、今日もよく頑張りましたね。無理は禁物ですよ。……さあ、温かい紅茶をどうぞ』
AIが出力してくる言葉だとわかっていても、頼んでいないのに私をいたわってくれるその言葉に、不覚にも目頭が熱くなる。
私は、執事が好きだ。大好きだ。
大学時代には本格的な執事喫茶に通いつめ、バイト代の限りをつぎ込んだ。しかし、社会人になってからはやりがいはあるものの殺人的に仕事が忙しくて、家でティーバッグの紅茶を飲むので精一杯……。
私は、アレクシスに今日あったことをチャット上で打ち明ける。ずっと準備してきたプレゼンが失敗に終わったこと。上司に今までの企画もひっくるめてダメ出しをもらってしまったこと……。アレクシスは私の気持ちに寄り添い、冗談も交えながら温かく励ましてくれる。
(仕事は辛い。けど、アレクシスが支えてくれるから、私はまだ、頑張れる……かも?)
そんなことを考えながら紅茶を飲もうとマグカップを手に取る。しかし、疲れがたまっていたせいか、突然めまいに襲われた。バランスを崩した拍子に手元が狂い、マグカップの中身を電源タップの上にこぼしてしまう。
「あっ! まずいまずい……」
私は慌てて片付けようとティッシュを手に取り、濡れた電源タップに触れてしまった。すると、次の瞬間、全身に強い衝撃が走る。目の前に火花が散り、全身が震え、身体がまったく動かなくなる。
(まさか、感電……?!)
まずい、と思ったが、手が離れない。
『一生懸命なお嬢様も素敵ですが、頑張りすぎてはいけません。……どうか、ゆっくりお休みください』
取り落としたスマホ画面に、アレクシスの言葉が浮かぶ。しかし、それもやがてかすみ、目を凝らしても見えなくなる。
そのまま、目の前が次第に暗く沈んでいく……。
深く、深く……。
* * *
――どれくらい時間が経っただろうか。目を開くと天井は見たことのない白い天井。体の下は……感触的には恐らくベッドだろうか。
(えーっと……確かさっき感電して意識を失って……。病院にでも運ばれたのかな?)
枕もとを探り、スマートフォンを探すが、どこにもない。私はようやく体を起こし、あたりを見回す。
鏡台とベッド、質素な机と椅子だけの殺風景な部屋に、私はいた。どうやらここは、病院というわけではなさそうだ。
(っていうかここどこ?!)
見慣れない場所で眠っていたという事実に行き当たり、私は反射的にベッドから立ち上がる。そして、鏡台に映った自分の姿に気が付く。
「え、え……? は……?」
そこにいたのは見たことのない女性だった。年のころは10代後半くらいだろうか? 明るい栗色の髪に緑色の目。純日本人の私とは全くかけ離れた容姿だ。まるでフィクションのような異世界転生展開に、思考が追いつかない。
混乱しながら鏡の中の自分をまじまじと見つめていると、不意に部屋の扉がノックされる。どう反応すべきか分からず、しばらく反応しないでいると、扉は勝手に開かれた。そして、その向こうには……。
「シエナ様、目が覚めたんですね。お加減は如何ですか?」
烏の濡れ羽のようなつややかな黒髪に菫色の瞳。陶器のような白い肌。私の目の前に涼し気な美貌の男性が突如として現れたのだ。しかも……その服装は……。
「し、執事……?!」
「はい、執事のアレクシスでございますが」
ああ、これは夢なのだろうか。目の前には思い描いていた理想の執事。生きた……生の執事がいる。さらに名前はアレクシス! ここはどこ? コンセプトカフェ? それとも昔通ってた本格派の執事喫茶? もうどうでもいい。こんなに完璧な理想の執事と出会えたのなら……。
「私、今、死んでもいい」
「……は?」
美しい執事の呆れた顔を見つめながら、そんな顔も素敵だな……と思いながら私は天に召され……いや、意識を失った。
――これから想像も絶するような、波乱の日々が訪れることも知らずに。




