仮)ですが、売られました4
「やっぱり、ここは地球じゃなかった、、、、のね、、、」
私の小さな、小さな独り言は、するりと夜の闇に飲み込まれた。
「アルドラムダ様、何か言われましたか?」
後ろで今夜の夕食の準備をしているカイトが声をかけてくる。「なにも」と感情なく背中越しに返答し、私は、またしても空を見上げている。
さっきまで小雨が降っていた。
細い糸をひいたような雨は、薄曇りの空から無数に降り注ぎ、静かに地面や木々の葉を濡らす。私は岩場の窪みで雨宿りをしながら、雨に濡れる地面のにおいと雨の降り注ぐ音、濡れて色の濃くなる緑の葉をみる。
寒さは感じない。雨で少し蒸し蒸しとした空気を感じるが、汗ばむほどでもない。初夏の気候といったところか。もしくは、この土地は少し乾燥しているのか、湿気はあまり感じない。そのおかげか、風呂に入れていなくても、たいして体臭は強くならない気がしている。まあ、カイトがいつも体を拭くようのお湯や手ぬぐいを用意してくれるし、川などの水場があると水浴びもしているので、こういった野宿の旅にしては清潔にできているほうなのだと思う。
男の体にもだいぶん慣れてきたというか、慣れざるを得ないというか。、、、、実は、いまだに股間あたりの、少々、、、、多少、、、というか、、、そこそこの違和感は感じている。なんだろう、このおさまりが悪い感じ、、、というのだろうか、なんか解放が自由すぎるというか、自由すぎて布に擦れやすいというか、、、女としてずっと生きてきた私にとっては未知の感覚に戸惑ってはいる。でも、いくらなんでもカイトに上手な納め方なんて聞けないし、、、そもそもそういう方法があるのかもわからないし。世の男性、ヘルプミーと叫びたい。
ただ、立ってできるのは便利だと感じた。何がとは聞かないでね。
雨でもカイトは、食べられる草やキノコ、薪などを探してくる。水を汲んだり、洗濯をしたり、火をおこしたり、黙っていることはほとんどないくらいに働いている。今ある食料の大半や必需品は三途の川もどきで出会った男たちの荷物から拝借している。必要と思われるものを大きなリュックや森の中でも引ける小さな荷車に乗せて運んでいた。
カイトは最初、私に荷物を持たせることを嫌がった。そういうところを見ても、私たちの関係は主従関係で、カイトは私の従者なのだと思う。それでも私は、私が荷を持つことで持っていける荷物が増えること、そのことで旅が少しでも快適になるのなら、私は快適さを選ぶと主張し、カイトは快適さという言葉に納得をしてくれた。
降っていた雨はやみ、薄曇りだった空は次第に暗く重たい闇のベールを纏いだす。今日は夜になっても雲は切れずに辺りは暗闇が支配するかと思っていたが、雲の間隙から夜空がのぞき、月はまだらにはめられた未完成のパズルように、ところどころを黒く塗りつぶされた姿で、空に姿を現した。
はっきりとは見えなくても、その空に浮かぶ月は、きれいに真っ二つに割れているのは確認できた。
これで何度目だろうか。
何度見ても、空の月は本当に真ん中を縦に半分切った、真っ二つの姿のままだった。
あの開いている真ん中の空間、縦に太い線が入っているようにしか見えないが、あの隙間が無くなるように月がピタリと合わさり、きれいな円を描いた状態になったときが、魔界の門が開いたということなのだろう。
月が初めて真っ二つに割れているのを見たとき、やっぱり落ち込んだ。多分、ここは地球ではないのだろうと、何かしら肌で感じてはいても、目の前に証拠を突き付けられると心は動揺する。もう、逃れようのない現実と今後のことを考えるとひどく憂鬱な気分にしかならなかった。
そして今夜も逃れのようのない事実を受け入れるために、月の姿を確認している自分がいる。
それでも、何度確認しても、頭も心も、現実をまだ受け入れられていない。
あれから、数日が経過した。
カイトには申し訳ないが、私は、三途の川もどきの場所で私を殺そうとした男性たちが使ったしびれ薬の副作用で記憶が混乱している、という話を利用させてもらうことにした。
今の私は、自分のこともカイトのこともわからない。この世界のことも忘れてしまった、と。
カイトが懸命に用意してくれたしびれ薬の解毒薬は、当たり前だが効果はなかった。記憶の混乱もなにも、もともとそんなことは起こっていないのだから、薬を飲んだところで何も変わるはずはない。
カイトをだますことに、嘘をつくことに心が痛まないわけではない。できることなら、本当はすべてをぶちまけて、助けて欲しいとカイトにすがりたい。
でも、その衝動は無理矢理、理性で抑え込んでいる。
アルドラムダの肉体に異世界の別人が入り込んだ私は、カイトのお荷物になるかもしれない。何も知らないできない、大きな赤ん坊を抱えるようなものだ。
自分なりに考えて出した結論は、とりあえず、一人で生きていけるくらいには、この世界の知識と常識が欲しい。例えカイトに捨てられることになったとしても、私には、自分の体を取り戻すという大事なやらなければいけないことがある。こんな森で野垂れ死んだりしている場合じゃない。
だから、カイトには申し訳ないけれど、しばらくは記憶がない振りをしながら、カイトから少しづつこの世界についての情報を聞き出したい。
そして、カイトについても知りたい。
カイトを信用していないわけではないが、信用という言葉を使えるほど私はカイトと出会って日が浅い。真実を話してしまって、本当にカイトが去ってしまったら、と考えるだけで私は震えてしまう。
この世界のこともだが、気になるのは、カイトについても、だ。
解毒薬が明らかに効果がないとわかった時の落胆が、想像していたよりもすごかった。
見るからに顔面は蒼白になり、肩を落としてうつむいてしまった。そして、ずっと何かを考えているような険しい表情をしていた。
その落胆ぶりには、嘘をついている私も心が痛んだ。これは、私の勝手な予想だけれども、私たちにはなにか重要な訳があるようだ。それは、出来るだけ早くしないといけないような、時間がないことのように感じた。そう感じられるほど、カイトは何か焦っているかのように、本当に何も思い出せないのか、生まれは、両親は、などと矢継ぎ早に質問されたが、私にアルドラムダのことについて聞かれても答えられるわけがない。今ままでの温厚な従者のような彼からは想像もできない焦りがみえた。
あの三途の川もどきにいた男たちとも関係があるようだけれども、聞いてもカイトは教えてはくれない。
まずは、記憶を戻すことを考えましょうと言われてしまう。
カイトは考え、とりあえずは早急に医師に診てもらおうということになり、この世界にも医師はいるんだということがわかった。
そして今、医師のいる一番近い町を私たちは目指している。
その町の名前は、トレドニアカンタというのだそうだ。町の名前を聞いたところで、何もわからないのだが、普通の町と比べると少し人口の少ない町だが、活気のある良い町だとカイトは教えてくれた。普通の基準がわからないので、行ってみないと規模はわからないが、その町はここから北西に徒歩で20日ほどはかかるそうだ。途中の大きな川を泳いで渡れたら、15日ほどでつけるそうだが、泳ぎはできますか、とカイトに聞かれ、私は泳げないと嘘をついた。本当は高校生まで水泳部で、大学時代は海で監視員のバイトもしたことがあるのだが、カイトには、心の中でごめんなさいと謝る。カイトが旅を急いでいることも、何か大事な目的なありそうなことも感じている。でも、私にとっては、少しでも旅を長くして、いろいろな情報を集めたい。医師に早く会ったところで、私の記憶は戻るわけがないし、治らない、もしくは時間がかかると医師から診断をされた時に、カイトがどういう結論を出すのかわからない。私の従者のままでいてくれるのか、急ぎの目的を記憶のない私をつれていくのか、それとも私を置いていくのか。
そう考えると、本当に私の運命を握っているのは、このカイトなのだ。