1、仮)ですが、売られました
「あなたは、誰ですか?」
焚火にかけている鍋をヘラのような物で混ぜていた黒髪の青年にそう声をかけた。自分から発せられた男の声が気持ち悪く、自然と眉間に皺がよるような表情になってしまう。この表情では相手を訝しんでいるようにみられてしまう。私は、慌てて表情を取り繕う。今ここで、私が頼れる人は目の前にいるこの綺麗な顔をしている男性しかいない。この人に不信がられたり、嫌われてしまったら、何もわからないままになってしまう。できるだけ真剣さが伝わるような面持ちを心掛けて青年をみる。
鍋からは昨日とは違った、野菜のような、草っぽい匂いがしている。そういえば、昨日の夕食は干し肉をお湯で柔らかくしたものにキノコや木の実が入っていた。味は素材の味だけで、お肉の美味しそうな匂いとは裏腹に、味はあまりしないお湯スープだった。初めて食べる味だったが、昨日の出来事は夢だと思っていたから疑問を感じてはいなかった。というか、自分はマンションの屋上にいたはずなのに、気が付いたら川で溺れそうになっていて、知らない美形に助けられていて、なぜか体は男になっていて、しかも毛むくじゃらで、言葉も日本語じゃないのに意味はわかるし、こっちの言葉も通じるしで、これで夢だと思わないほうがおかしいだろうよ。これが夢だろうが、ここが地獄だろうが、とにかく少しでも今の現状を理解したい。そうしないと疑問だらけで、この場所から動けない。こんな地べたでもう寝たくない。身体があちこち痛いし、できることなら家に帰りたい。お風呂に入って、自分のベッドで寝たい。
青年は動かしていた手を止め、びっくりしたような表情でこちらへ顔を向ける。サラリと音がしそうなくらいサラサラの黒髪が揺れた。
「アルドラムダ様?」
困惑の表情を青年は浮かべる。アルドラムダという名で呼ばれても、こちらは全く心当たりがない。というかそもそもそんな外人みたいな名前は、日本人の私にしたら馴染みもない。本当に違和感でしかないのだが、どう伝えたらいいのだろうか。相手の反応をみるとおかしなことを言っているのは、なんだか自分のようなのだ。
「えーと、ですね。私の名前はアルドラムダではないと思うのですが、、、いえこの体の名前はそうなのかもしれないです、えっと、私は違うというか、外見じゃなくて中身といいますか、えっと、その」
言葉を選んで、できるだけ丁寧を心がける。
「そう、ですね。貴方様のお名前はアルドラムダではありません」
「はい?」
えええーーー、まさかの肯定きたー。いよいよもって意味がわからない。だったら、なんで君は私に対して、昨日からアルドラムダ様、アルドラムダ様と呼び掛けてきたんだよー。このアルドラムダサマって実は名前じゃなかったの?伯爵みたいな感じの意味合いなの?そもそも頭の中で勝手に翻訳されていて、私の頭にはアルドラムダ様って感じで浮かんでくるんだけど、耳から入ってくる音はアルドラムダというにはこじつけがみえる。
「私が誰だか、わかりますか?」
想像していた返答とは真逆の答えが返ってきたことに混乱し、次の言葉が出てこないでいる私に困惑した表情のままの青年が聞く。
「すみません。わかりません」
初対面だと思うのですけれど、という言葉はとりあえず飲み込み、正直に答える。青年の顔に焦りのような表情が浮かぶ。
「まさか、昨日はしびれ薬といっていたが、なにか記憶に影響が?」
思案しながら青年はそうつぶやく。そして鍋を火から下ろし、素早くお椀に次いでいく。
「まずは朝食を食べてください。そのあとでアルドラムダ様に薬を盛って、川に沈めたやつらのいるアジトへ行きます。もしかしたら、その時に使われた薬が何か記憶に影響しているかもしれないです。使用された薬がわかれば、解毒薬の検討もつくので。あ、安心してください。そいつらはもういないので」
綺麗な顔でにこりと笑う。これがアイドルの握手会とかで、自分に向けられた笑顔なら私も給料を惜しげもなくこの青年に捧げ、人生で初めての推し活の沼にはまったかもしれない。あんなに推し活にお金を注ぎ込む人たちを馬鹿にしていたことに、心の底から謝るだろう。見惚れるくらいの笑顔ではあったのだが、青年の最後の言葉に怖い意味を含んでいそうな感じがして身の毛がよだち、腰に揺れる剣が目に入る。
私は、なんとか笑顔をみせながら、青年が差し出してきたお椀を受け取ることに精一杯だった。
あの川岸には複数人の男たち、目算で10人ちょっとはいたと思う。その人たちはもういないってどういう意味なの?別のアジトに引っ越したの?やっぱりここは地獄だったの?
私は込み上げてくる思いを何とか押し込み、お椀に盛られた粥のようなものを無理矢理、胃に流し込んだ。
青年の名前はカイト、というのだそうだ。
アジトとやらへ行く途中に青年、カイトが教えてくれる。川岸にいた男たちが確か言っていた名前だ。あれはこの人のことを指していたようだ。
ただ詳しいことは何も教えてくれない。とにかく、今の私は薬の影響で、記憶が混乱しているらしい。解毒できれば思い出せるはずだと教えてくれる。そういわれると、そうなのかもしれないと思えてきた。
だって、マンションの屋上からの記憶が私にはない。気が付いたら、川にいた。いまだに三途の川かもしれないという思いは消えないが、それでも、薬の影響で体がしびれて足に力が入らなくなり、川の中へ倒れてしまったことは真実なのだ。
男たちも薬が効いてきたとか、事故にみせかけるとか言っていた。その薬の影響で忘れてしまっていることがあるのなら思い出したい。川辺で会った男たちの様子をカイトに伝えると、やはりと確信を得たようにうなづいていた。
アジトへの道は、道のない雑草の茂った森の中を進んでいく。雑草じたいは高さがせいぜい15~20cmくらいなので、歩きに支障はない。木々の間を抜けていくため、ところどころに木の根が張り出していて、つまづきそうになる。そして、靴が革性のブーツで底が滑りやすい。靴下はなく、足に布を巻いて靴をはいた。足の臭ささは忘れたい。ブーツなので、どうしても蒸れやすいのだ。
ただ、男性の体というのは、本当に女性とは違うのだなと実感する。結構な山道を歩いていると思うのだが、あまり疲れを感じないのだ。それと比べると、女性の肉体は本当に非力だったのだなと思う。そして歩幅ひとつで進む距離が違う。そして、どうやら自分はそこそこの高身長らしい。立ってみるとカイトよりも頭半分ほど、背が高いのだ。決してカイトの背が低いわけではなく、カイトの身長は180㎝くらいにみえる。本当にモデルかよと突っ込みたくなるくらいの体型だ。そうすると自分は190cmを超えているような気がする。視界の高さが全く違う。加藤美子の時はそれでも身長162㎝くらいはあったのだか、身長が30㎝も違うと見える景色が変わる。
目印もなにもない道なき道を迷いもなくカイトは進んでいく。その背中を必死に追いかける。時折、大丈夫ですかと後ろを振り返り、声をかけてくれることも忘れない。心使いも完璧だ。どんだけ出来た美形なんだよ、君は。
カイトの気遣いに感嘆しながら、時間にして1時間くらいだろうか、カイトの背中を追いかけていると急に視界が開けた。木々がなくなり、川原と流れる川面が見える。バーベキューをするのに適したような場所だ。カイトは更地の部分をみつけ、そこに素早く布を敷く。そして竹筒が手渡された。
「アルドラムダ様はここでお待ちください。アジトはすぐ近くなので自分が確認をしてきます」
おっかないアジトになんか、人がもういないと言われていても行きたくない。もし死体でも転がっていたりでもしたらとか考えてしまう。私は、黙って竹筒を受け取り、うなずく。
では、と一礼をして去っていくカイトの背中が見えなくなるまで見送ると、敷いてくれた布に腰を下ろした。竹筒の水を飲み、一息つくと、もしかしてここって、最初に来た川じゃないかという考えが浮かぶ。
複数の男たちと弓矢を構えた男たちの姿が思い出された。腰を上げ、川のほうへと歩いていく。
「多分、ここだわ」
見渡して確信するが、それがわかったからといって、何ということもない。ただのバーベキューをするのにはいい場所ね、くらいの景色でしかない。対岸は山になっていて渡れないようになっている。山場から斜めに生えた木々が川へ張り出していた。三途の川はあの世とこの世を繋ぐと言われているから、対岸に渡れないのであれば、ここは三途の川ではないのだろうか。
「私は、いま、生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。」
川の流れる音、頬に当たる風、太陽の光、いろいろな感覚が私に生を実感させる。
ガサリと葉が擦れる音がした。カイトがもう帰ってきたようだ、「早かったのね」と声をかけようと振り返る。そこには、カイトではないが見覚えのある顔、ぎらつく目は充血しており、息遣いは荒い。手には剣が握られている。
多分、昨日あった男たちの一人であろう。一人だけのようだ。こちらへ向かってくる男の後方に影はない。私はびっくりして後ずさる。
「お前なんかの口車に乗ったばかりに、仲間がみんなやられちまった。お前が来るまではそれなりにやれていたのに、お前のせいで、お前が来たから」
独り言のように話しながら、男は私との距離を一気に詰めてくる。自分に向けられている強烈な殺意、剣先が太陽の光を反射する。こんな状況は安全な日本では当たり前だが出会ったことはない。川に足を取られ、尻もちをつく。何かの映画のワンシーンのようだ、私は自分に向かって振り上げられている剣を見上げる。
殺される!!!
恐怖で目を閉じた瞬間、ドンと何かがぶつかったような鈍い音とバシャン!!と大きな何かが川へ落ちたような音を聞いた。
「アルドラムダ様!ご無事ですか?」
目を開けると、カイトの顔。その顔には血しぶきが飛んでいる。横には首のない男の体が横たわっている。
血の気が引く感覚と同時に目の前が真っ暗になり、そのまま私は意識を失った。
ここは、どこ?
今度こそ私、死んでしまったの?
気が付くと、暗闇の中にいる。真っ暗で何も見えない。
「言っておくけど、返さないわよ!」
突然の女性の金切り声。以前にも聞いたような、、、
声の方へ視線を向けると、青いパジャマを着ている自分の姿と目が合った。暗闇の中にぼんやりと浮かぶ姿。あのパジャマは確か、パイル生地で肌触りのいい私のお気に入りのものだ。青色は心が落ち着くし、涼しげだから夏場は特に私は好んで着ていた。
でも、私はここにいるのに、あれは、誰?
「だって、あなた死にたかったんでしょう。あなたが自分の体を捨てようとしたから、代わりに私がもらってあげたのよ。今さら返せないて言われても無理よ!!」
パジャマ姿の私は自分で自分を抱きしめるように両腕を体に回して叫んでいる。
「もしかして、あなたがアルドラムダ様なの?」
頭に浮かんだ疑問を口にする。
「やっと女性の体を手に入れたの。男になんてなりたくなかった。何不自由なく暮らしていたのに、突然、何もかも奪われて。お父様もお母様も殺されて。家もなくて、野宿なんてしたこともなかった。でも、こっちの世界は違う。私がいたところよりも何倍もきれいで清潔で、その上とても便利なんですもの。水道というの?捻ると清潔な水がでるなんて素晴らしいわ!お風呂もすぐにお湯が出ていつでも入れるのよ。それに、あなたのお父様もお母様もとても親切にしてくれて」
一気にまくし立てるように話し、目の前の自分の姿をしているアルドラムダであろう人物は大きく息を吸う。
「こんな素敵な環境をくれたあなたにはとても感謝しているわ。だから、あなたにも向こうの世界で幸せになってほしいと思っているわ。本心よ。でも、その体をどうするかはあなたが決めてもいいわ。もともと死のうとしていたんだから、自死を選んでもいいし、好きに生きて」
「ちょっと、待ちなさいよ!私の体でしょ。もともとは私の人生だったのよ。私はその体で生きて、頑張ってきたのよ。私の体を好きにする権利は私にしかないわ!今すぐ返してちょうだい!!」
パジャマ姿の自分が笑う。
「さっきも言ったけど、その大切だと言っていた自分の体も人生もすべて手放したのはあなたであって、私じゃないわ。それに、ごめんなさいね。もう元には戻せないの。私だってまさかこんな風になるなんて思わなかったんだもの。たった一度きりの奇跡のようなものなの。お互い、新たな人生を頑張りましょう。」
「多分、もう、会うこともないと思うわ」そう言い残し、自分の姿が消える。
暗闇の中を必死に走る。
「返しなさいよ、私の体よ!私のよ!!死ぬつもりなんてなかったのよ!返して!返してよ!!」
喚いても泣き叫んでも、もうパジャマ姿の自分は現れなかった。