089 一緒懸命
哀しみが止まらなかった。
流れる涙を拭おうともせず、沙月は一気に上空へと浮かび上がった。
茜色に染まる空。
この夕焼け、何度も和くんと一緒に見たな。
そう思うと、また涙が溢れてきた。
――何を見ても、何を聞いても。和くんを思い出す。
私の思い出は全部、和くんと共にある。
それが幸せだと思っていた。
そしてこの幸せが、ずっと続くと信じていた。
「私……和くんのこと、大好き」
「ぼ、僕も……沙月ちゃんが彼女だなんて、夢みたいだよ」
「考えてみたら私たち、ずっと一緒だったよね。同じ幼稚園、同じ小学校、中学に高校……大学は別になっちゃったけど」
「ごめんね。僕がバカだから、沙月ちゃんと一緒の大学に行けなくて」
「そんな意味で言ったんじゃないよ。それぐらい和くんと一緒なんだって思って……嬉しいの」
「僕が不登校になっても、沙月ちゃんは毎日会いに来てくれた。勉強も見てくれて、部屋から出れなかった僕を笑わせてくれて……沙月ちゃんがいなかったら僕、まだこの部屋から出れてなかったと思う」
「でも私、びっくりしたんだよ。好きだって言ってくれて」
「……ごめんなさい、あの時は本当に」
「え? ああもう、そうじゃないって。和くんは謝りすぎ。もうちょっと自分に自信持たないと駄目だよ」
「……ごめんなさい」
「ほらまた。ふふっ」
「本当だ、ははっ」
「……和くんに好きだって言ってもらえて、短冊をもらって……あの時の私の気持ち、分かる?」
「え、あの……迷惑だった?」
「もう、なんでよ」
「ご、ごめんなさい」
「あの短冊、部屋に飾ってるんだから」
「ええっ? じゃあじゃあ、おじさんやおばさんも」
「うん。見てるよ」
「……恥ずかしい。死にたい」
「どうして? 二人共すごく褒めてたよ。やっぱり和くんの字は綺麗だな、和くんの心そのままだって」
「沙月ちゃん……恥ずかしいよ」
「それに……あの言葉、すっごく嬉しかったんだ。あれ、和くんが考えたんだよね」
「沙月ちゃんと、これからも一緒にいたい……そう思ってたら自然に浮かんできたんだ」
「一緒懸命」
沙月が夕陽を見つめ、幸せそうにつぶやく。
「和くんとこれからも、ずっとずっと一緒で……そして二人一緒に頑張って、幸せになりたい」
「僕、頑張るから。卒業したらいい会社に入って、すぐにでも沙月ちゃんと一緒になるから」
「和くん、それって……」
沙月の顔が赤くなる。
「あ……」
遠藤が口を開けたまま固まり、そして慌てて首を振った。
「ごめん沙月ちゃん、今のなし、今のなし」
「今のって、その……」
「ごめんなさい……こんな形じゃなくて、ちゃんと言うべき言葉なのに……」
「そう、なんだ……和くん、私とずっといてくれるんだ……」
「……でもその前に、もっと強くならないと。沙月ちゃんを守れる男にならないと」
「ホラー映画で鍛える?」
「それは……ごめん、やっぱり無理」
「ふふっ。和くんって本当、ああいうの苦手だよね」
「うん……幽霊とかゾンビとかは」
「もし私がゾンビに襲われたら、助けてくれる?」
「……頑張る」
「何それ。全然助かる気がしないんだけど」
「でも頑張る……沙月ちゃんと一緒にいたいから」
「ありがとう、和くん」
沙月が遠藤の手を握る。遠藤も、赤面しながら強く握り返す。
「この幸せ、ずっと続くかな……実は私、ちょっと怖いんだ。こんなに幸せでいいのかなって」
「きっと続くよ。その為に僕、頑張るから」
「本当?」
「どんなことがあっても、僕は沙月ちゃんから離れない。沙月ちゃんだけを見て、沙月ちゃんのことだけを考えて……沙月ちゃんの為に頑張る」
「ずっと?」
「うん……ずっとずっと……」
天を仰ぎ、声をあげて泣いた。
あの幸せな日々はもう、戻らない。
彼との思い出も、やがて忘却の彼方へと消え去っていく。
そして彼は違う女性と共に、これからの人生を歩んでいく。
自分の為に紡いでくれた言葉も全部、見知らぬ女性の為の言葉へと変わっていく。
そう思うと耐えられなかった。全身が引き裂かれるようだった。
「あああああああああっ!」
「沙月さんっ!」
声と共に抱き締められた。
早希だった。
「早希……」
「沙月さん……」
「なんでこんなところにいるんだよ……てかお前、今の私を見るのは反則だろうが」
「いいよ、後で殴ってくれていいから……だから今だけ……お願い、こうさせて……」
「なんでお前が泣いて」
「だって……だってだって……」
「……ほんと馬鹿だよな、お前……こんな私の為に」
「こんなじゃない……沙月さんは、こんなじゃない……」
「ははっ……」
「沙月さん……大丈夫だから」
「いいんだよ。こうなるのは分かってたんだから……あんなヘタレのこと、信じて戻ってくるんじゃなかったよ」
「大丈夫、大丈夫だから」
「だからいいって。それに何が大丈夫だって……」
沙月の目に、信也の姿が映った。
「お、おいまさか……やめろ信也! やめてくれっ!」
「沙月さんっ!」
早希が抱き締める手に力を込める。
「お願い、信也くんにまかせて……私の旦那様に……」
「お前……」
「信也くんね、いつも呑気でぼーっとしてて、感情もほとんど乱さない。でもね……大切な人の為なら、命がけで動いてくれるの」
「……何をする気なんだ」
「分からない……信也くんも多分、分かってないと思う」
「なんだよそれ……」
「でもね……信也くん、何も考えてない時が一番すごいんだ」
「……」
「考えた行動じゃなく、心のままに動いた時の信也くん、格好いいんだから。沙月さんも、きっと惚れ直すよ」
「なっ……なんで私があいつに」
「だから……一緒に見届けて。想い人の決断を」
「……」
沙月が涙を拭い、うなずいた。




