077 あやめと早希の夏季合宿
「ふうっ……」
「お疲れ、あやめちゃん」
そう言って頭を撫でると、あやめは嬉しそうに微笑んだ。
「信也くん信也くん、私は?」
「はいはい、早希もよく頑張ったね。はい、頭出して」
「えへへへ」
7月上旬の土曜日。
季節は夏。
あやめの高認試験まで、あと一か月と迫っていた。
この日も集中合宿と銘打って、信也宅で勉強会が行われていた。
「この調子なら試験もいけるだろう」
「油断禁物。それにまだ、日本史があやしい」
「あやめちゃん、暗記は得意なのにな」
「覚えるのは得意。だから年号別に出来事も把握してる。でも、流れがよく分かってない」
「なるほど……俺は流れを物語みたいに把握してたからな。年号を覚えるのは苦手だったけど、その時々の出来事は数珠つなぎ的に浮かんでくるよ」
「信也くんの思わぬ才能だね」
「思わぬは余計だ」
「ごめんなさーい」
「それでお兄さんにお願い、あるんだけど」
「いいよ、何でも言って」
「お話で教えてほしいの。出来れば面白く」
「お話で?」
「それいいかも! 私も聞きたい!」
「ちょ、ちょっと待った待った。なになに、それって俺に、講談みたいに日本史を語れってこと?」
二人が笑顔でうなずいた。
「マジかよ……俺、そんなに話、うまくないぞ」
「ちゃんとセリフも言ってね。『殿中でござる』って」
「いやいやいやいや、その話だけで一日終わってしまうわ」
「いい。お兄さんの話なら、一日中でも聞いていられる」
「……出来るかなぁ」
「大丈夫、信也くんなら出来る。卑弥呼に始まり大仏様、源平合戦も」
「壮大な仕事の依頼だな……普通にやったらとんでもない時間がかかるぞ。と言うか、俺もそこまで詳しくないし」
「お願い、お兄さん」
「信也く~ん」
「二人して、捨て猫みたいになるんじゃありません」
「にゃあ」
あやめがそう鳴いて信也に抱き着いた。
「あーっ! ちょっとちょっと、それは私の胸なのにーっ!」
「これは俺の胸だと何度言えば」
「信也くんの体は全部私のものなんです!」
「あ、あやめちゃん? そろそろ離れてくれると助かるんだけど……じゃないと俺、後でハリセンが待ってますので」
「えい」
あやめが信也を押し倒した。
「あーっ!」
「ごろごろにゃんにゃんごろにゃんにゃん。お兄さん好きにゃん」
「あやめちゃんってばっ! いくら何でもそれはやりすぎ!」
「ごろにゃんごろにゃん」
「あ、あのぉ……あやめちゃん、何か乗り移ってません?」
「信也くんも鼻の下伸ばさないの!」
「伸びてねーよ」
「お兄さん、好き好き」
「あやめちゃん、今日は変だぞ」
「変じゃない。お兄さんが好きなのはずっと言ってる」
「だーかーらー、それは私のなんだから、どいてちょうだいってば」
「……ついに『それ』呼ばわりかよ」
「だって信也くんてば鼻の下、こーんなに伸ばしてだらしないんだもん」
「だから伸びてねーって」
「……後でハリセンの刑。いつもの三倍増し」
「勘弁してくれ……」
翌朝。
暑さに目を覚ますと、早希の話し声が聞こえた。
「そうなんですか……沙月さんが実は怖がり……今度一度驚かせてみようかな…………え? 駄目なんですか? ……ふむふむ、本気で怒る……なるほどなるほど。ますますしたくなってきました……」
「……早希、あやめちゃん来てるのか?」
「あ、信也くん起きた? 今ね、涼音さんとお話ししてるの」
「涼音さん……」
寝ぼけた頭で記憶をたどる。
涼音、涼音、涼音……誰だっけ……
……早希のやつ、沙月さんって言ってたよな。それって確か、比翼荘の……あ、そうだそうだ。
「透明人間さんだっけ」
「そうそう。何かね、沙月さん、私のことが気になるみたいで。涼音さんに見てきてほしいって言ったみたいなの」
「と言うことは、不法侵入?」
「あ、涼音さん大丈夫、大丈夫だから。信也くん、寝起きは頭が回ってなくて、いつもこんな感じなの。ちゃんと起きたら大丈夫だから……え? 大丈夫、怒ってないよ」
「ああそうか……どっちにしても、俺には聞こえないんだったな」
「信也くんにも聞こえたら、一緒におしゃべり出来たんだけどね……え? 恥ずかしい? もぉ~涼音んさんってば、かわいいんだから」
「えーっと、折角の女子会に水を差すのもなんですから、俺はリビングにいるよ」
そう言って立ち上がろうとした信也の腕に、早希がしがみついた。
「駄目ですー、朝の挨拶がまだですー」
「おまっ……涼音さんがそこにいるんだろ? 出来る訳ないだろ」
「えーっ、信也くん、忘れちゃったのー? キ・ス。キスでおはよう、でしょ?」
「だーかーらー、涼音さんの前で、んなこと出来るかよ」
「え……キス……」
「ふふふのふ、そうなのですよ涼音さん。私と信也くんはラブラブなので、毎朝キスで挨拶するんです。ささっ、信也くんずいっと」
「ずいっとって何だよ、ずいっとって。他人様の前でそんな小っ恥ずかしいこと出来るかよ。てか、離せって」
「嫌ですー、キスしてくれないと離しませんー」
「さ、早希さん、積極的……」
「私はこうやって、旦那様を射止めたんですから」
「ちょ、ちょっと見てみたい……かも……」
「見ててください。むしろ嫌でも見せちゃいますから」
「お、おまっ……ってか、涼音さんもそんな興味津々に言わないで」
「あ……ご、ごめんなさい……」
「だから早希もちょっとは人目を……え?」
信也が動きを止めた。
早希がバランスを崩し、信也の胸に頭からぶつかる。
「いたたたっ……なになに、どうしたの信也くん」
「今、涼音さんの声が聞こえたような」
「……え?」
「涼音さん、そこにいるんですよね。すいませんが、ちょっと喋ってみてもらえませんか」
「え……あ、そう言われても私……」
「やっぱり聞こえる……俺、涼音さんの声が聞こえるぞ!」
「……ええええええええっ?」




