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065 戻った日常

 


「信也さん……」


 あやめに連れられ、さくらが入ってきた。


「さくらさん、その……色々とありがとうございました」


「……」


「通夜や葬儀の時も手伝ってもらって……もてなす立場なのに、ご好意に甘えてしまって」


「……」


 さくらはうつむき、静かに信也の話を聞いている。


「俺、大丈夫ですから。今日からまた、頑張りますから」


「信也……さん……」


 さくらが駆け寄り、信也を力いっぱい抱き締めた。


「……え?」


「ええええええええっ!」


 早希が叫ぶ。

 やばいっ、そう思ったが、さくらには聞こえないんだと胸を撫でおろす。


「信也さん……私、私……信也さんと早希さんのおかげで、篠崎さんと付き合えるようになったんです……あやめの面倒も見てもらえて、あやめもこんなに元気になって……

 お二人からたくさんの幸せをもらったのに、私、何もお返し出来てません。それなのに信也さん、こんな時まで優しく接してくれて……私、どうすればいいんでしょうか」


「さ……さくらさん? 大丈夫、大丈夫だから、そんなに泣かないで」


「大丈夫じゃないです! あんなに愛していた早希さんを亡くして、大丈夫な訳がないじゃないですか! それなのに私だけが幸せになって……そんなの駄目、駄目なんです……

 ――私、篠崎さんと別れます」


「え?」


「えええええええっ?」


「お、お姉ちゃん、何言ってるの」


「私だけ幸せになんかなれません。私、篠崎さんにちゃんと言います。篠崎さんも、きっと分かってくれます」


「いやいやいやいや、さくらさん、さくらさん? ちょっと落ち着いて深呼吸しようか。そう言ってくれるのは嬉しいけど……って、嬉しいのかこれ?

 それおかしいから、おかしいから。なんでさくらさんと篠崎が別れないといけないんですか」


「だって……そうじゃないと私、早希さんに手を合わせられない」


「いやいや、合わせてくれていいから。手を合わせるのに資格とかないから」


「でも……」


「と、とりあえずさくらさん、そろそろ離れてもらえると」


 早希の様子に気が気ではなかった。さくらの腕をつかみ離そうとするが、さくらは更に強く信也を抱き締めてきた。


「私……早希さんの代わりに、これから信也さんのお世話します」


「えええええええっ?」


「信也さんが元気になるまで、私、頑張ります。早希さんもきっと、そう望んでるはずです」


「望んでないから、私そんなこと望んでないから。って、いつまで信也くんに抱き着いてるのよ! いい加減離れなさいってば!」


 早希がさくらを離そうとする。しかし体に触れることが出来ず、耳元でそう何度も叫ぶ。


「大丈夫、俺、大丈夫だから。とにかくさくらさん、一旦離れてくださいお願いします」


 そこでようやく、あやめが口を開いた。


「お姉ちゃん」


「え……」


「お兄さんの言う通り。まずお兄さんから離れて」


「え……あ、うん……」


 諭すようなあやめの口調に、ようやくさくらが信也から離れた。


「早希さんは亡くなった。でも、お兄さんは早希さんのもの。勝手に抱き着いたら駄目」


「そうなの……かな……」


「そう。それにお兄さんはちゃんと自立してる。心配ない」


「でも……男の人の一人暮らしって」


「お姉ちゃんより女子力、高い」


「ううっ……あやめ、ひどい……」


「それに篠崎さんのこと。そんな理由で別れたらかわいそう。篠崎さん、あんなに勇気を出してプロポーズしてくれたのに。失礼すぎる」


「そう……かな……」


「そう。だからお姉ちゃんは、今まで通りでいい」


「私……幸せになってもいいのかな……」


「ならなきゃ駄目。じゃないと早希さんも悲しむ」


「早希……さん……」


 口元を押さえ、さくらが涙を流す。


「さくらさん……お気持ちはいっぱい伝わりました。俺のこと、それから早希のこと、こんなにも思ってくれて。本当に嬉しいです。

 でもあやめちゃんの言う通り、さくらさんには幸せになってもらわないと困ります。俺が早希に叱られます。だから……いつものさくらさんに戻ってください」


「……ありがとうございます、信也さん……おかしいですよね……なんで私が慰められてるんでしょうか……私、信也さんを慰めに来たのに……」


「は……ははっ……」





 それからさくらを中に通し、線香をあげてもらった。

 手を合わせるさくらを見つめながら、何か騙してるような気になり、罪悪感に胸が痛くなった。

 信じてもらえるかは分からないけど、いつか伝えたい、そう思った。

 それと、背後から感じる早希の禍々(まがまが)しいオーラに、少しこの場から立ち去りたい、そんな思いが頭をよぎっていた。





「じゃあ、今日はこれで失礼します。取り乱してすいませんでした」


「い、いやいや、ありがとうございました。あやめちゃんもありがとね」


「次は一緒に映画、見よう」


「分かった。じゃあまたね」


「失礼します……」


 扉が閉まり、信也が大きく息を吐いて振り返った。


「ぬおっ!」


 目の前に、ハリセンを持った早希がいた。


「さ……早希さん?」


「信也くん……言いたいことは色々あるんだけど、とりあえずひとつだけにしといてあげる」


「な、なんでしょうか」


「さくらさんの胸、どうだったかな」


「へ……あ、いやその、なんと言いますか」


「正直に言ってくれるかな。夫婦の間で隠し事はなし、だよね」


「は、はい、その……ですね、見た感じよりその、素晴らしいものをお持ちだったと言いますか」


「この……エロエロ亭主!」


 ハリセンを力任せに振り下ろすが、予期していた信也が素早くかわす。


「……なんでよけるかな、信也くん」


「そりゃよけるだろ! てかおい、ちょっと待て、待てって!」


「信也くん、どうして逃げるの? ねえどうして?」


「逃げるに決まってるだろ! とんでもない殺気出しやがって!」


「あははははっ、殺気だなんて、信也くん冗談うまいんだから。私は信也くんのお嫁さんだよ? ねえ信也くん、信也くんてば、逃げないでよ。私のところに来てよ」


「言いながらハリセン振り回してんじゃねーよ! お前それ、結構痛いんだぞ!」


「何言ってるのよ。こんなの夫婦の可愛いコミュニケーションじゃない」


「可愛くねーよ! てかお前、浮いて追っかけてくるのは反則だろーが。絵面的にも結構くるもんがあるんだぞ!」


 慌てて洋間に飛び込み、扉を閉める。


「信也く~ん」


「ぬおっっ!」


 扉をすり抜け、早希が顔を出す。


「ゆ、幽霊ってのは、なんでもありなんだな」


「逃がさないわよ。ねえ信也くん、私のこと、愛してるのよね」


「愛してる、愛してるけど」


「……あ、あれれ?」


 ハリセンを握る手が引っかかっていた。


「私以外はすり抜けられないのか。なるほどなるほど」


 諦めた早希が、ハリセンを離す。


「助かった……」


「そう思う?」


 早希は浮き上がると、クローゼットの上のハリセンを手に取った。


「お、おまっ……どんだけハリセン仕込んでるんだよっ!」


「もう逃がさないから。信也くん、もう一度言ってごらん? さくらさんの胸、どうだった?」


「ひ、ひえええええええっ!」


「信也くん……愛してる、愛してるっ!」


「ひゃああああああっ!」





 本当に、日常が戻って来たんだ。

 ハリセン攻撃を受けながら、信也は次第に笑顔になっていた。


「信也くん……?」


 早希を抱き締める。

 力いっぱい。


「ちょっとの間、こうさせてくれ」


「貧相な胸の持ち主ですけど」


「いや……これがいいんだ」


「もぉーっ、そこはそんなことないって言ってよ」


「ははっ、それもそうだ」


「信也くん」


「何?」


「キース。ほしいな」


「俺も思ってた」


 そう言ってキスをする。

 初めは優しく。

 そして次第に熱く。激しく。


「ぷはぁ~」


「愛してる」


「私も。信也くん、大好き」


「早希のこと、絶対幸せにする。もう一度約束するよ」


「私はもう幸せだよ。でも、もっと幸せにしてくれるんなら……ふふっ、楽しみだな」


「まかせとけ」


「期待してるね」


「そろそろ買い物、行く?」


「……もうちょっと、こうしてたいな」


「気が合うな。俺もだ」


「ふふっ、よかった」


 そう言って再び唇を重ね、笑い合った。




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