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005 紀崎家と秋葉

 


「ただいま姉ちゃん。ご飯出来たって」


 部屋の扉を軽く叩き、信也が言った。


「信也―っ! やっと帰ってきたかー!」


 勢いよくドアが開くと、頭一つ分背の低い知美が信也に飛びつき、首に腕をまわしてヘッドロックをしてきた。


「かわいい弟よ、よく来たよく来た。でもお前、最近ここに来るの避けてるだろ。知ってるよ、お姉ちゃんは何でも知ってる。だって私は……信也のお姉ちゃんだから! にゃはははははっ!」


「痛い痛い、痛いって! ……ったくもう、そんなちっこい体のどこから、こんな馬鹿力が出てくるんだか」


「姉ちゃんはちっこいんじゃない、かわいいんだ! さあ言いなおせ!」


 相変わらずのスキンシップに、頭を押さえつけられながらも苦笑する。

 その視線の先に、部屋で小さくなっている秋葉の姿があった。


「秋葉―っ。秋葉も久しぶりだろ、信也と会うの」


 二人の空気にお構いなく、知美が秋葉に言った。


「あの……知美ちゃん、信也が帰ってくるって、私聞いてない……」


「だって言ったら秋葉、絶対来ないじゃん。もぉあんたたち、卒業して何年たつと思ってるの?

 いい? あんたらは私にとって、かわいい弟と妹なの。あんたたちがどうであれ、お姉ちゃんにはそんなこと、一切関係ないんだ。高槻の女はそんなに甘くも優しくもないっ!」


 そう言って信也を部屋に放り投げた。


「思春期のことは思春期に終わらせておくよーに! あんたらがいつまでもそんなんだと、お姉ちゃん泣いてやるから。勇太を連れてこの家、出てってやるから」


 そう言って高笑いをしながら、二人を残して知美がリビングに向かった。





「……」

「……」


 知美が去った部屋で二人、妙な沈黙の中で互いにうつむく。

 信也がちらりと秋葉の横顔を見る。相変わらず小さい顔だな、まずそれが頭に浮かんだ。

 知美より背丈はあるが、二人が並ぶと秋葉の方が華奢(きゃしゃ)で小さく見える。

 こんな近い距離で秋葉を見るのはいつぶりだろう。そう思うと少し胸が高鳴った。

 考えてみればあの時、高校3年の夏まで、二人はずっと一緒だった。


 知美が言うように、3人は本当の兄弟のように過ごしてきた。

 あの日以来、信也と秋葉の間には深い溝が出来てしまい、秋葉が家に来ることはなくなった。

 しかし知美との関係は変わらず続いていて、信也が就職し家を出てからは、またこうして家に来るようになっていたのだ。

 信也にしても、知美と秋葉の関係を否定する気はなかった。

 二人にはいい関係でいてほしい、心からそう思っていた。そしてそれが、幸子や知美の言う、家を避けている原因でもあった。


 再び横顔に視線を移すと、秋葉と目が合った。そして合った瞬間、互いに慌てて目を伏せた。

 一瞬だったが、秋葉の憂いに満ちた大きな瞳に、信也の胸が熱くなった。

 しかしすぐに信也は、その感情を押し殺した。

 ――終わったことだ。昔のことだと。

 気まずい空気に耐えられなくなった信也が、口を開いた。


「久し振り……だよな。元気にやってるのか?」


「……う、うん……元気……」


「そっか。よかった」


「信也も仕事、頑張ってるみたいだね」


「まあな。他にしたいこともないし、それなりにな」


「そうなんだ……知美ちゃん、いつも信也のこと、気にしてるよ。私と話してる時も、半分ぐらいは信也のことで」


「姉ちゃんはブラコンだからな。俺ももう25歳だってのに、姉ちゃんの中では未だに半パンはいたガキのままだしな」


「そう……かもね、ふふっ」


 秋葉が口元に手をやり、小さく笑った。

 その仕草に信也は、相変わらず小動物みたいに可愛いやつだ、そう思った。


「ごめんね。信也、私が来てるかもって思うから、家に帰るの遠慮してるんだよね」


「いや、そんなことは」


「ううん、分かってる……私に気を使ってくれてるんだよね。私と知美ちゃんが一緒にいられるようにって……ごめんね。私もちょっと、気をつけるから」


「だからそんなんじゃないって。それに秋葉が来てくれないと、それはそれで姉ちゃんのストレスがたまるから。俺こそごめんな、変な気を使わせて。俺なら大丈夫だから」


「今日も知美ちゃんが、どうしても一緒に飲みたいって」


「お互い、まんまとやられた訳だ」


 秋葉が再び小さく笑い、バッグを持って立ち上がった。


「ごめんね。久しぶりの家族水入らずなのに、お邪魔しちゃって」


「帰るのか?」


「うん。用事もあるし」


「飯は」


「ううん、今日は遠慮しておくよ」


 そう言って秋葉は信也に軽く手を振ると、部屋から出ていった。

 信也も後に続いてリビングに向かうと、案の定、知美が秋葉に一緒に食べようと説得していた。

 しかし秋葉は(かたく)なに断り続け、これ以上は無駄だと折れざるを得なかった。

 知美が「ちょっと送ってくる」そう言って秋葉と出ていくのを見届けた後、幸子が信也の頭を軽くはたいた。


「アホ息子」


「ええっ? 俺が悪いんか」


「息子がアホだと本当、お母さん苦労するよ。ねえ勇ちゃん」


 幸子がそう言って勇太の頭を撫でる。

 何のことか分からないが、頭を撫でられたことが嬉しいようで、勇太も一緒に「ねーっ」と返す。


 その後、知美が戻ってからは予想通りの展開だった。

 秋葉のこと、信也のこと。

 愚痴めいたことから懐かしい話まで、これといってオチもなく延々と続いた。

 そのまま知美の部屋に母も交えて3人、酒を飲みながら遅くまで語り明かしたのだった。

 いつもの紀崎家の団欒。

 隣で眠る勇太の顔を時折覗きながら、信也もまた、母や姉の昔話に笑いながら、久しぶりの酒に酔っていった。





 朝目覚めると、いつもと違う天井に一瞬戸惑った。慌てて時計を見ると10時をまわっていた。

 もうひと眠りしようかとも思ったが、今日は摂津峡にいくつもりだったこと思い出し、着替えを済ませてリビングに向かった。


「おそよう」


 幸子と知美、二人が嫌味っぽく声を揃える。


「……おはようございます」


 朝食を済ませると、一緒に行きたいとせがむ勇太を何とかなだめ、玄関へと向かった。


「晩はどうする? 食べて帰る?」


「今日はそのまま帰るよ。明日も早いし、次遅刻したらやばいし」


「あんたまだ遅刻してるんかい。ほんとにもう、誰に似たのかね、朝に弱いの」


「……面目ないです」


「近いうちにまた帰ってくるんだよ。連絡もちゃんとして。まだ朝晩冷えるから、風邪に気をつけて」


「分かってるって。じゃあまた来るから」


「気を付けていくんだよ」


 幸子に手を振り、信也が歩き出す。

 しばらく歩いて振り返ると、まだ幸子は信也を見送っていた。


「また来るよ、近いうちに」


 そうつぶやき、信也は駅のバス停へと向かった。




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