130 ぶつけ合う想い
「なんでよ! なんでそうなるのよ!」
早希が叫ぶ。
「なんでもクソもねーよ。昨日で終わらせてきた」
「この……馬鹿! アホ! トンチンカン!」
「トンチンカンて……他に言いようないのかよ」
「うるさい! うるさいうるさい馬鹿! オタンコナス!」
「馬鹿でもアホでもいいよ。自分の気持ちに嘘つくより、ずっとマシだ」
「なんで、なんで分かってくれないのよ……このまま私といても、信也くんは幸せになれないんだよ……信也くんをずっと想ってた秋葉さんがいて、やっと想いを言葉に出来て……だから私、これで信也くんも幸せになれるって思ってたのに……」
「そうだな。秋葉となら、きっと幸せになれたと思う」
「だったらなんで!」
「んなこと言わせんなよ、恥ずかしい」
「もおっ! なんか今日の信也くん変! なんなのよさっきから、人が真面目に話してるのに、水はかけるしハリセンで殴るし!」
「お前とこんなこと、してみたいって思ったからだよ」
「信也くん、酔ってるの?」
「なんでだよ。俺が酔っ払ったらどうなるか、お前も知ってるだろ」
「……本当なの?」
「何が」
「秋葉さんと別れたってこと」
「別れたっていうか、告白を断った。俺ら、付き合ってた訳じゃないからな」
「もう……会わないの?」
「それはないんじゃないか。秋葉は姉ちゃんの親友で、俺の大切な幼馴染だ。それは変わらん」
「……」
「告白を断っちまったし、しばらくはお互い、ぎこちなくなるかもしれない。それに……秋葉が会いたくないって言えば、俺にどうこう言う資格はない」
「後悔しないの?」
「後悔ね。散々したからもういいよ」
「やっぱりしてるんじゃない!」
「そりゃそうだろ。秋葉だぞ? あんないい女、他にいるか? しかも嫁から応援されてたんだぞ」
「馬鹿!」
ボロボロになったハリセンで、信也の横っ面を張る。
「じゃあなんで……なんで断ったのよ」
「まあ確かに、嫁公認の不倫ってワードには、少し胸が躍ったけど」
「……またそうやってふざけて」
「でもな、俺、前に言ったことなかったっけ。複数の女を好きになれるほど器用じゃないって」
「……」
「俺には早希がいる。早希のことが好きで、これからも一緒にいたい。それで十分。いや、十分すぎるだろ」
「だからなんでそうなるのよ! どんな思いで私が……信也くんとさよならしたと思ってるのよ! どんな思いで今、ここに来たと思ってるのよ!」
「だから知らんっつってるだろ!」
信也が大きく息を吐き、早希を睨みつけた。
「お前が俺を思って決意したのは分かった。何回も聞いた。だからそれはいい。でもな、夫婦ってのは二人でひとつなんだ。お前の意思だけで決まる訳じゃないんだ」
「じゃあどうすればいいのよ! 信也くんはどうしたいのよ!」
「それを言わすか? 答えを知ってて」
「……」
「一年前、お前は俺を好きになってくれた。心が半分死んでた頃の俺を。正直嬉しかった。人から、しかも異性から、あんなにはっきり好意を向けられたのは初めてだったからな。
俺にはお前の笑顔がまぶしかった。まっすぐ向き合うことが出来なかった。でもそんな俺の事、お前はずっと見守ってくれて、少しずつ俺の心を溶かしてくれた」
「そうよ……そうよ! だって信也くんこそ、感情を無くしてた私のこと、大切にしてくれたんだから!」
「仕事だとしてもか」
「仕事だとしても! 私、嬉しかった……私のこと気にかけてくれて、あの場所で生きていけるようにずっと見守ってくれた。応援してくれた。ずっと欲しかった、私の居場所。私がいてもいいんだって思える場所。それを信也くんが作ってくれた。信也くんのおかげで、いつの間にかみんな……ナベさんや山さんたちも、可愛がってくれるようになった」
「俺も同じだ。俺にとって、家も居場所じゃなかった。秘密基地だって言ってたけど、それは誰にも干渉されない、自分が好きに出来る場所ってだけだった。
そこにお前が色をつけてくれた。ズカズカ遠慮なしに入って来て、俺の居場所を作ってくれた。あれから家に帰るのがどれだけ楽しくなったか、お前に分かるか?」
「私は……信也くんと一緒にいれる場所が欲しかっただけ」
「毎日、早く家に帰りたいって思った。でもな、俺がそう思える場所は、あの時にはもう、お前がいるからなんだって思ってた」
「……」
「だから毎日、お前が来る日を指折り数えた。お前が来てくれるのを待ってた。
もしこの週末、お前が来なかったらどうしよう、そんな情けないことを考えながら、俺は毎日過ごしてたんだよ!」
「私も……私もだよ! もし本気で拒絶されたらどうしよう、そんなことを考えながら玄関に立ってた! 私にとって、自分の家は居場所じゃなかった! だって私の家に、信也くんはいないんだから! 私の居場所はあなたがいる所、ずっとそう思ってた!」
「ここにいていいんだよって、お前に言われたような気がした」
「叔父さんから言われた! お前の居場所なんかどこにもない、お前がいていい場所なんて、もうどこにもないんだって言われた! おばあちゃんが死んだ時に!」
「……火、つけにいこうか。叔父さんの所」
「つけても……あんまり気分、すっきりしないかも。今更どうでもいいし、あんな人」
「確かにな、ははっ」
「ふふっ」
信也の言い草に、思わず早希も笑った。
「俺の存在を認めてくれて、許してくれた。そんなお前だから俺は、一生添い遂げたいって思った」
「でも……私は死んじゃって」
「だな。全く迷惑な話だよ。これから俺の人生が始まる、そう思った矢先の不幸だ。呪われてるとしか思えなかった」
「ごめんなさい。信也くんにいっぱい、哀しい思いさせちゃった」
「でも、お前は戻ってきてくれた。俺との約束を守る為に」
「……」
「ずっとずっと、俺の傍にいる。そう言って笑ってくれた」
「約束……そうかもしれない。でもね、本当は違うの。私が信也くんと一緒にいたかった、それだけなの」
「それでいいじゃないか。なんで今更、その気持ちに嘘をつくんだよ」
「だって私は幽霊で……私が幸せでも、信也くんは幸せになれないから」
「だれがそう言った?」
「……」
「俺がいつ、そんなこと言った? お前なあ、俺のことが好きだって言って、幽霊になってまでして戻ってきたんだろ? なんで俺のこと、分かってないんだよ」
「それは……だって」
「だってもクソもねえんだよ。俺の幸せは俺が決める。それにお前、幽霊になってから、俺が不幸自慢全開な顔してる所、見たことあったか? どっちかって言ったら新しい発見ばかりで、楽しくて仕方なかったんだぞ」
「それは……」
「お前は比翼。そうだな?」
「うん、そう……」
「比翼ってのはな、半分しかないんだ。翼も半分、目も半分」
「知ってるわよ、それぐらい」
「だから一人では飛べない。向こうの世界に戻ることも出来ない。純子さんみたいに想い人が亡くなって、初めて向こうの世界に飛び立っていける」
「……」
「俺も比翼なんだぞ。知らないかもしれないけど」
「え……」
「お前と一緒じゃないと、俺も空を飛べないんだぞ。お前がいなければ、この地を這いずることしか出来ないんだぞ」
「信也……くん……」
「お前、本当に俺と別れたいのか? なあ、正直に言ってくれよ。俺の為とか、そんな綺麗ごとは抜きにして。
昔の俺なら、きっとこう言ってたと思う。早希が悩み、考えてそう決めたのなら仕方ない。早希の気持ちを大事にするよって。でもな……ふざけんなよ!」
信也が早希を睨みつけた。




