125 答えはどこに
あれから早希は、家に帰って来なくなった。
12月20日。
この日も信也は比翼荘に行かず、一人ベランダで煙草を吸っていた。
行ける訳がなかった。
次に早希と会う時。それは答えを出す時だから。
それが怖かった。
そして思った。
自分自身で考え、選択したことがどれだけあっただろうかと。
これまでの人生、流されるままに生きてきた。
早希と付き合い出したのも、早希の熱量に負けたところが大きかった。
もし早希が淡白で、拒絶されてることを受け入れられる性格だったら。
俺は今、こうして早希と夫婦になっていなかったはずだ。
秋葉との関係にしてもそうだ。
真実を告げられ、姉ちゃんに舞台を用意されて。
告白に狼狽している自分がここにいる。
比翼荘にしても。
純子の後押しがなければ。沙月たちの期待がなければ。ここまで執着してなかったはずだ。
俺って一体、何なんだ?
自分で築き上げたものがどこにある?
そう思い、自嘲気味に笑みを浮かべた。
情けなかった。
「邪魔するぜ」
声に顔を上げると、沙月の姿があった。
「……こんばんは」
「なんだなんだ、嫁に逃げられたような顔しやがって」
「いやいや、その突っ込みは駄目でしょ。まんますぎる」
「あははははっ、そうだな、その通りだ。それよか寒くないのかよ、こんな所で」
「寒い……かなり寒い……」
「何だよそれ。寒いなら中に入れよ」
「中だと気が滅入るんで……」
「確かにそうなるか。今まではここで、愛する嫁とキャッキャウフフの生活だったもんな」
「それで? 何かあったんですか」
「いや、特に用事って訳でもないんだけど……シンの顔が見たくなってな」
「ひょっとして沙月さん、俺を慰めに?」
「なっ……んな訳ねーだろ。最近シンの顔を見てなかったから、ちょっと覗きに来たってだけだよ」
「そっか……ありがとう」
「……ちっ、何だよその返し、調子狂っちまうじゃねえか。いつものお前なら『テンプレ通りのツンデレっぷりですね』ぐらい言うだろ」
「いやいや、それ早希だから。俺はそんなの、一度も言ったことないから」
「そうだったか? ま、いっか。ははっ」
「みなさんお変わりなく?」
「たった数日じゃねえか。そんな急に変わんねえよ」
「……言われてみればそうか。毎日欠かさず行ってたから、長いこと行ってない気がしますよ」
「シンの性格じゃそうなるのかもな。それで? 秋葉とは会ったのか」
「明日会う予定です」
「そっか……明日ってことはあれか。クリスマスデート、みたいなやつか」
「茶化さないでくださいよ。大体俺たち、まだ付き合ってる訳でもないんだから」
「まだってことは、付き合う予定なんだな」
「いや、それは……沙月さん、今日はグイグイ来ますね」
「あはははっ、なんて言うかな、やっぱ気になるじゃねえか。仲間なんだし」
「仲間、ね……」
「シンのおかげで、忘れてた感情をいっぱい思い出せた。怒り、哀しみ、喜び。シンが来てからの毎日は、本当に楽しくて仕方ないんだぜ」
「来てからってことは、最初からですか?」
「今だから言えるんだけどな。初めてシンに会った時、ゾンビだった私にも、由香里や涼音さんに対しても、シンは普通に接してくれた。それが嬉しかったんだ。
それに私は、シンのおかげでこの姿に戻ることが出来た。と言うか、和くんとしっかり向き合うことが出来た……正直言うとな、和くんに対する気持ち、よく分からなくなってたんだ。どっちかって言ったら、自分を認めてもらえない寂しさ、そして執着の方が強かった。だってそうだろ? 私たちはこの世界の異物、誰からも認識されないんだ。そんなの、寂しいじゃねえか。
でもシンは……シンだけは、そんな私たちを認めてくれた。一人の人間として、真正面から向き合ってくれた。だから感謝してる」
「沙月さん……」
「私たちにとってシンは恩人だ。そんなシンの幸せを、みんなが願ってる。早希は……まあなんだ、その結果こうなっちまった訳だけど……でもシン、分かってやってくれ。あいつだって、本当はこんな結末にしたくなかったはずだ」
「分かってます。分かってますよ、それぐらい」
「私もそうだ。シンには誰よりも幸せになってほしい。その為だったら、私はなんでもする」
「ありがとう、沙月さん」
頭を撫でられた沙月が、うつむいたまま信也の胸に飛び込んだ。
「……シンは本当、大きいな」
「そんなことないですよ。現に今だって、どうしたらいいか分からなくなってる訳だし」
「それはシンが、自分のすごさを分かってないからだよ。早希のやつ言ってたぜ。シンが和くんを殴りに行った時」
「なんて言ってました?」
「何も考えず和くんに向かってるって。でもシンは、その何も考えてない時が一番すごいんだって」
「なんだそりゃ」
「そして私に言ったんだ。私の旦那様を信じてあげて。きっと惚れ直すからって」
「……」
「シンは今、どうしたらいいのか分からなくなってる」
「ええ」
「そのまま行けばいいんじゃねえか?」
「それ、ただの出たとこ勝負じゃないですか」
「そういう時の方が、いい答えが出るかもよ。少なくともこうやって、一人で腐ってるよりはいいんじゃね? 思うままに動いてみなよ」
「……」
「シンが出した結論なら、早希も秋葉も受け入れると思うぜ」
「……」
「だってシンは、早希が愛した男だから。秋葉が愛した男だから。そして……私が愛した男だから」
そう言って、力いっぱい信也を抱き締めた。
「がんばれ、シン」
囁く沙月の言葉が、信也の胸を温かく満たしていく。
「早希も私たちも、比翼荘で楽しくやってる。だから心配しなくていい。シンは明日、しっかりやってきな」
そう言うと照れくさそうに手を振り、ベランダから飛び去っていった。
「がんばれ、か……」
沙月の後姿を見つめながら、信也が小さく笑った。
「ありがとう、沙月さん……」




