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121 仮面夫婦

 


 数日が過ぎた。


 あの日、遅くに戻って来た早希に話をしようとしたが、

「ごめんなさい、少し疲れてて……今度でもいいかな」

 そう言ってはぐらかされてしまった。

 話すタイミングを逃してしまった信也は、それ以来秋葉とのことを話せなくなっていた。


 早希との生活に変化はなかった。

 夜は同じ布団に入り、朝もいつも通りに起こしてくれる。比翼荘にも二人で行き、庭の手入れや壁の修繕などもこなしていた。

 しかし、早希の様子が明らかにおかしいと信也は感じていた。


 早希はキスを拒むようになった。


 信也がキスしようとすると、決まって早希は「そう言えば信也くん、あのね」そう言ってはぐらかした。

 用事を思い出したとその場から離れるようになった。


 拒絶されている。

 考えるまでもなかった。

 そしてそのことに、秋葉が関係してることは明らかだった。


 仮面夫婦とはこんな感じなのだろうか。

 家に帰って、何事もないかのように会話し、笑い合う。

 気になることがあっても、目をつむり耳を塞ぎ。夫婦としての生活を続けていく。

 比翼荘でも悟られないよう努め、いつも以上にはしゃぐ。


 この茶番に、何か意味はあるのだろうか。

 信也の中に、そう言った疑問が生まれていた。


 どうして演じる必要がある。

 二人にとって、一番自分をさらけ出せる家で。自分をさらけ出せる相手の前で。なぜそんなことをしなくてはいけないのか。

 嘘の笑顔に吐き気がした。


 早く会社に行きたい。

 早く比翼荘に行きたい。

 二人だけの場所から逃げ出したい。

 どうしてそんな気持ちを持たなくてはいけないのか。

 そしてその重苦しい空気は、あやめにも伝わっていた。





「お兄さん。どうするつもり?」


「分からない……と言うか、気付いてたんだね」


「分からない訳がない。だって今のお兄さんと早希さん、お父さんとお母さんみたいだから」


「お父さんとお母さん?」


「うちも仲がいいとは言えないから……話もしないし、目も合わせない。二人共、目の前の爆弾を見ないように見ないように生活してる。でも外では、仲のいい夫婦を演じて……家ではお互い、携帯を触るかテレビを見てるだけなのに」


「そうなのか……でも夫婦なんて、そういう物なのかもな」


「……」


「他人だった二人、生きてきた環境が違う二人が、狭い空間を共有して一緒に生きていく。それ自体に無理があるんだよ。そんなもん、どっちかが我慢しないと出来っこないんだから」


「それ、悲しいね」


「そんなのが嫌だったから、俺は一人で生きて来た。過去のトラウマが原因だって言ってたけど、そんなことがなくたって、俺は一人がよかったんだと思う」


「じゃあどうして、早希さんと一緒になったの?」


「あいつなら……あいつとならやっていける、そう思えたからかな。でも今思えば、俺はそんな早希に甘えすぎてた。努力してたのは早希だけで、俺は何もしてなかった……だからこうして早希のキャパがいっぱいになってしまった今、俺はどうすることも出来なくなってる」


「どうしてこうなったのか、お兄さんは分かってるってこと?」


「ああ、分かってる。俺のせいだ」


「本当に?」


「え……」


「こうなった原因がなんなのか、私は知らない。聞こうとも思わない。でもお兄さん、本当にそれが原因?」


「本当かって言われても……早希の様子がおかしくなったのは、それからだし」


「きっかけはそうかもしれない。でも、私はそれだけじゃないと思う」


「じゃあ何が」


「お父さんとお母さんもそうだった。喧嘩するのが怖くて、喧嘩しないよう気を付けて生活してた」


「避けられるなら、避けた方がいいと思うけど」


「でもそれ、我慢してるってことだと思う。思ってること、言いたいことを我慢してる。勿論、自分のことを言ってるだけの世界なら、争いしか起こらない。でも、争いを避ける為に全部飲み込むのは違うと思う。

 家は一番くつろげる場所。お兄さんが言った言葉……そのくつろげる場所で、言いたいことも言わずに我慢してるのは、家族じゃないと思う」


「家族じゃ……ない……」


「お兄さん。早希さんと喧嘩したこと、ある?」


「あると思うよ」


「私、見たことがないけど」


「あやめちゃんも知ってるだろ? 何かあったら俺、いつもハリセンでボコボコに」


「あれは喧嘩じゃない。ただのコミュニケーション」


「……早希と同じこと言うんだね」


「でも、本当にそう思った。だってお兄さんも早希さんも、とても楽しそうだった」


「……そうかな」


「お兄さん。早希さんの我儘、聞いたことある?」


「それは……」


「早希さんに我儘言ったこと、ある?」


「……」


「そういう積み重ねが、今の状態になったんだと思う。お兄さんたちは、早希さんが死んだことで少し変わった関係になった。だから見落としてた。

 本当の家族は、もっと言いたいことを言いあって、喧嘩もしてると思う。そうしてお互いのこと、少しずつ理解しあっているんだと思う」


「……」


「私は……お兄さんと早希さんに、両親みたいな夫婦になってほしくない……」


 そう言うと、信也の胸に顔を埋めた。

 信也が頭を撫でると、あやめは肩を震わせて泣いた。


「ごめんな。こんなちっこい女の子に、辛い思いさせちゃって……嫁とのことで泣かせちゃうなんて、お兄ちゃん失格だな」


「ごめんなさい……こんなこと、言うつもりじゃなかったのに……」


「でも……そうだな、あやめちゃんの言う通りかもしれない。俺って子供の頃から、いつも人の顔色を気にしてたんだ。この人に自分はどう思われてるか、こう言えばこの人はどう思うだろうか、みたいな感じで。

 よく八方美人とか言われた。それが、親父が出て行った時に馬鹿馬鹿しくなって。これからは人のことなんか気にせず、自分のしたいようにするんだって決めたんだ。でも、どうしたらいいのか分からない。だから映画や漫画であるような、テンプレ的な反発をいっぱいしてみた。こうしたらみんなに嫌われるだろう、そうしたら俺は自由になれる、そんな風に思ってた。

 でも、俺の周りは優しい人ばかりだった。そんな俺を、ずっとあたたかく見守ってくれた。だから俺自身、訳が分かんなくなっていったんだ。そのまま大人になって、早希に出会って……早希はそんな俺のこと、好きだって言ってくれて……それが嬉しくて、今までずっと甘えていたと思う。だけどそのせいで、早希はたくさんのストレスを抱えていたのかもしれない。なのに俺は気付けなかった。だから……

 ちゃんと話すよ。早希と」


「……ごめんね、お兄さん」


「なんであやめちゃんが」


「ううん。生意気言った。妹なのに」


「妹ならなおのこと、そうやって兄の悪い所、言ってくれないと」


「ありがとう、お兄さん……」


「こちらこそ。ありがとう、あやめちゃん」




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