120 育み続けた想い
「大丈夫か、秋葉」
信也が秋葉の背中を撫でる。優しいぬくもりが、秋葉の心を少しずつ落ち着かせてくれた。
「……ごめんね、信也」
「このまま休んでいいから」
「うん……」
ずっと求めていた温もり。決して手に入らないと思っていた優しさを今、全身で感じている。
秋葉の心は、幸せに満ちていた。
「しかしお前って、ほんとちっこいよな」
「知美ちゃんより大きいよ」
「背丈の話じゃねーよ。姉ちゃんはああ見えて、結構がっしりしてるからな。でもお前は……何だよこれ……触っただけで折れちまいそうじゃねえか……」
「……信也?」
「こんな華奢な体のどこに、あんな強い気持ち隠してたんだよ……俺、こんな女子に守られてきたのかよ……」
秋葉の背中に、信也の涙が落ちる。
「ごめん……ごめんな、秋葉……」
「信也……」
秋葉がゆっくりと体を起こす。
そして信也の顔を見つめ、細い指で涙を拭った。
「男なんだから、あんまり泣かないの」
「うっせえ」
「ほんと……いつまで経っても可愛い信也くん、なんだから……」
「……」
「半ズボンで野球帽の信也くん。私を守ってくれた正義の味方。でも本当は泣き虫で、知美ちゃんの胸で泣いてた男の子」
「……」
「私はそんなあなたのことが……ずっと好きでした」
そっと目を閉じ、唇を重ねる。
「……」
柔らかい唇の感触が、信也に伝わってくる。
その小さな唇は、震えていた。
やがて唇が離れると、秋葉はうつむき、信也の胸に顔をうずめた。
「……ごめん……なさい……」
「秋葉……」
「信也は早希さんの物なのに……ごめんなさい……」
「……」
小さく息を吐き、顔を上げる。
「でも……信也、好き……」
そう言って、再び唇を押し付ける。
「はぁ……はぁ……」
息が続くなくなり、慌てて唇を離す。そして呼吸を整えると、もう一度唇を求めた。
震える体。瞳には涙が溢れていた。
しかし秋葉は息の続く限り、信也の唇を求めた。
そしてゆっくりと唇を離すと、震える指で信也の唇に触れた。
「秋葉……」
「……やっと……やっと言えた、私の気持ち……今までずっと言えなかった、私だけの想い……」
信也の髪を愛おしそうに撫でる。
「信也……あなたは早希さんのこと、今でも愛してる……それは分かってる……でも私、もう我慢したくない……気持ちに嘘、つきたくない……」
「秋葉……俺は」
「あなたと一緒に、これからの人生を歩いていきたい……あなたの中で生きる、早希さんと一緒に」
そして目を閉じると、頬にキスをした。
「愛してる、信也……」
耳元で囁き、信也を抱き締める。
「信也……信也……」
失った10年を取り戻すかの様に、秋葉は信也を力いっぱい抱き締めた。
やがてゆっくりと離れると、震える足で立ち上がった。
「……今日は帰るね。冷えてきてるし、寝る時はあったかくするんだよ」
階段を上り、手を挙げてタクシーを止める。
「じゃあ……またね、信也。おやすみなさい」
そう言って窓を閉めると、タクシーは走っていった。
「……」
「待て、待てって早希」
早希が猛スピードでその場から飛び去る。
後を追いかける沙月がようやく追いつき、早希の腕をつかんだ。
「離して! 離してよ!」
「待てって早希。ちょっと落ち着けって」
「嫌っ! 離してってば!」
「ああもう! 面倒くせえなあっ!」
そう言って早希を力任せに抱き締めた。
沙月の腕の中で、早希は涙で濡れた瞳を見開き、体を震わせた。
「ショックだよな。大好きな旦那様が、別の女とキスしてたんだ」
「違うの、そうじゃないの」
「違うって、何が」
「私……こんなの私じゃない……変なの……何か分からないけど、変なの……」
「分かるように言えよ」
「私……秋葉さんと結ばれるなら、それでもいいって思ってた……ううん、違う。結ばれるべきだと思ってた……だって私は幽霊だし、信也くんのことを幸せに出来る自信もない……でも、秋葉さんにはそれが出来る。だって秋葉さん、私よりずっと前から信也くんのことを想ってて、信也くんもそうだったから……
なのに……なのに私、二人がキスしてるのを見て……秋葉さんの顔、引っぱたきたくなったの……こんな気持ち、私知らない……」
沙月は微笑み、早希の頭を優しく撫でた。
「馬鹿だな。そんなの当たり前だろ」
「……」
「大体お前、今まで散々ハリセンでボコってたじゃないか。あれは違うのか」
「あれは……そうなんだけど……」
「私やあやめの場合とは、真剣さが違うってのか」
「……」
「まあそうだよな。でもな早希、今のお前の気持ち、全然おかしくないんだぜ。それは人を好きになると同時に生まれる感情、嫉妬ってやつだ」
「そう……なんだけど……」
「その感情が、半端ないって訳だな」
「……なんか、なんか嫌なの! 信也くんが他の人とキスしてるの、私嫌なの!」
「ははっ、そりゃそうだ」
「でも……私は秋葉さんのことが大好きなの! 信也くんと結ばれたらいいって思ってたの! なのにどうして? なんでこんなに心が痛いの? 分かんないよ!」
「それでいいんだよ。お前、やっと人間らしい所、見せたじゃねえか」
「……どういうことよ」
「何て言うかさ、お前っていつもニコニコしててな、本当の気持ちってやつを押し殺してるように見えてたんだ」
「そんなこと」
「あったんだよ。でも今の姿を見てほっとした。お前もただの人間だって分かってな」
「ただのって」
「もっとはっきり言ってやろうか? 誰にも嫌われたくなくて、気持ちを殺していい子ちゃんぶってた嫌なやつ」
そう言って笑う沙月につられ、早希も笑った。
「ただの人間って何よ。私たち、幽霊でしょ」
「違いない、ははっ」
「ふふっ」
「で、どうする? シンの所、戻るか?」
「ううん、比翼荘に戻る」
「そっか……まあ、それもいいんじゃね? 頭を冷やす時間も必要だろうしな。じゃ、帰ろうぜ」
「うん」
沙月は早希を抱き締めたまま、比翼荘に向かって飛んだ。
「え? このまま?」
「いいじゃないかこういうのも。何たってお前は、比翼荘の大事な大事な主様なんだからな」
「ふふっ……何よそれ」




