119 秋葉
「だからあれは、俺が自分で蒔いたトラブルなんだ。お前が気に病むことなんてないんだ」
「でも……私が信也を裏切ったから、信也はずっと苦しんで」
「苦しんだのはお前だ。だから……なあ秋葉、頼むから俺に謝らせてくれよ」
「……」
「俺が謝ろうとしても、お前が謝るから謝れなくなっちまうんだ……秋葉は俺の為に頑張ってくれた。独りぼっちの俺のこと、ずっと見守ってくれていた。そうだな?」
「それは……」
「答えてくれ。そうだな」
「私は……信也と一緒にいたかっただけ。信也を守るとか、そんなのは後からつけた言い訳」
「じゃあそれでもいいよ。秋葉は俺といたいって思った。俺は秋葉がいてくれたから、頑張って学校にも行けた」
「でも」
「聞いてくれ。それで秋葉は脅されて、俺の為に俺から離れた」
「……」
「俺の人生を守ろう、そう思ってあいつと付き合うことにした」
「……言葉にすればそうなのかもしれない。でもね、私は信也を一人にしたくないって言いながら、信也を見捨てる最後の一人になったんだよ」
「でも……ああもう! 訳が分かんなくなってきた!」
「そうだね、私も分からなくなってきたよ……でもね、信也。知美ちゃんから聞いたと思うけど、私もあの後でいない者になったの。そしてその時思ったんだ。信也には、こんな風に世界が見えてたんだって……私、すごく寂しかった。辛かった。家に帰ってからも、いつも泣いてた。でも信也は、こんな風になりながらも、平気な顔で毎日学校に来てた。すごいなって思った。私には耐えられない毎日だった……こんな辛いことを、私も信也にしたんだって」
「……」
「だから……信也、ごめんなさい。私、ひどいことをしちゃった」
「俺こそ、信じきれなくてごめん……それから、ありがとう」
「私も……ありがとう」
そう言うと、秋葉は力なくうなだれ、階段から落ちそうになった。信也が慌てて秋葉を抱き寄せる。
「大丈夫か?」
「うん……ごめんなさい、頭の中で10年がぐるぐる回って」
「吐くか?」
「もぉっ、何でよ」
「ははっ、悪い」
「……こうして話せる日が来るなんて、思いもしなかった」
「でも、長かったけど……やっとここまで来れた」
「うん……」
「そろそろ帰ってくるかな、信也くん」
早希が駅に向かって飛んでいた。
「秋葉さんと話、ちゃんと出来たかな」
そうつぶやく早希の肩を、後ろから沙月が叩いた。
「よお早希。シンは一緒じゃないのか」
「沙月さん? どうしたの、こんな時間に」
「こんな時間って、私らに時間なんて関係ないだろ。ただの散歩だよ、散歩」
「とか言っちゃって、また家に来ようとしてたんでしょ。信也くんに会いに」
「あはははっ、まあそれもあるけどな。愛人になる為には、こうして日参しとかないと」
「妻の前でそんな堂々としてる愛人、見たことないんですけど」
「心配すんなって、お前の邪魔はしないからさ。私はただ、おこぼれをもらえればそれでいいんだよ」
「もぉっ、どこまで本気なんだか」
「それで? シンは出かけてるのか?」
「今日は信也くん、秋葉さんと会ってるの」
「秋葉って……マジか。幼馴染の秋葉か」
「うん」
「うんって……お前なぁ、何かあったらどうすんだよ」
「何かって?」
「そりゃあ勿論……なんだ、大人の関係だよ」
「ふふっ、沙月さん可愛い」
「うっせーよ。あいつらって、昔から仲が良かったんだろ? それで色々あって疎遠になってたのが、お前がきっかけでまた会うようになって」
「そうだよ」
「お前、何考えてるんだ?」
「え?」
「え、じゃねーよ。お前ひょっとして、あいつらのこと引っ付けようとしてるんじゃないだろうな」
「……」
沙月に詰め寄られ、早希が思わず視線をそらした。
「やっぱりか……何となくそんな気がしてたよ。由香里から簡単な話しか聞いてないけど、あいつらお互い、好き合ってたみたいだしな」
「うん……」
「でもお前の登場で、それも過去のことに……ってなるはずだったのに、お前は事故であえなく退場」
「沙月さんはどう思う?」
「どう言ってほしい?」
「え……」
「どう言えばお前は納得するんだ?」
「それは……」
「私は和くんと一緒になれなかった。和くんは私とは違う、別の女を愛した」
「でももし……もしもだよ? 和くんが沙月さんの前に現れて、やっぱり沙月さんと一緒にいたい、そう言ったらどうする?」
「……考えたことはあるよ。もし和くんがそう言ってきたら、私はどうするんだろうってな。
そして結論は断る、だった」
「……」
「私はもう死んでるんだ。和くん以外に私が見えるやつはいない。そんな私と一緒になって、和くんが幸せになれるとは思えない」
「やっぱり……沙月さんも、純子さんと同じなんだ」
「山川さんも和くんも、普通の人間だからな」
「普通の人間、か……」
「私たちは幽霊。シンが聞いたら怒るけど、死人なんだ。そんなやつと一緒で、幸せになれる訳がないだろ」
「やっぱり……そうだよね」
「それで、だ。お前の中でも、そう言った気持ちが強くなってきてる。その秋葉ってやつは、シンを託すに十分なやつ。お互いに気持ちもある。だからお前は迷ってる」
「うん……」
「ったく……いいか早希、今のはあくまでも私の話だ。純子さんの話だ。世の中のことなんて、全部が全部みんなに当てはまる訳じゃない。私も純子さんも自分で悩み、考えてその結論に辿りついた。それに山川さんや和くんに、とても受け止められるとは思えない。
でもな、早希。シンはどうだ? あいつも和くんたちと同じで、お前と一緒になることで幸せになれないって思うか?」
「……」
「お前、嫁のくせにあいつのこと、分かってないんじゃないか? シンはな、お前が今思ってること、気にするようなやつじゃないだろ。例え人から変な風に見られても、妻を失った可哀そうな人だと同情されても、あいつが気にすると思うか? あいつは普通じゃないだろ」
「何それ、ひどくない?」
「ははっ。お前もそう思うだろ?」
「うん。信也くんは普通じゃない」
「だろ、はははっ」
「ふふふっ」
「それとな。シンがどうこうって考えるのもいいけど、お前がどうしたいのかってことも考えろよ。その上でお前が出した結論なら、私も応援してやる」
「そうだね……私がどうしたいのか、しっかり考えないとね」
「その秋葉ってやつにしてもそうだ。お前がやきもきしたって、そいつが何も行動しないんだったらどうしようもない。恋愛は闘いだろ?」
「……分かった。信也くんと話してみるよ」
「ああ、そうしろ。まあなんだ、仮にお前らが別れることになっても……その時は私が貰っちまうけどな」
「ひっどーい」
「はははっ」
「ふふっ……あれ?」
「どうした? シンのやつ、帰って来たのか」
「あそこ……ほら、堤防の方……」
「堤防?」
「え……」
早希が見た物。
それは口づけを交わしている、信也と秋葉の姿だった。




