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118 二人の十字架

 


 12月14日。

 信也は秋葉と梅田に来ていた。


 早希が作ったプランを元に、ボーリング場やゲームセンターを回った。

 何度か秋葉に「行きたいところはあるか?」と聞いてみたが、秋葉は「信也の行きたいところでいいよ」そう言ったのだった。


 考えてみれば、秋葉はずっとそうだった。

 望みを口にしたことが一度もない。

 いつも秋葉は、

「信也と一緒ならどこでもいいよ。どこに行っても楽しいから」

 そう言って笑っていた。そして事実、楽しそうだった。


 そのことに、信也はいつも物足りなさを感じていた。

 もっと自分のしたいことをアピールしてほしい、そう思っていた。

 いつも自分のペースに合わせてくれて、不満も言わない。それどころか、自分の好きな世界を知りたがり、そこから新しい自分を知ろうとしてくれる。

 男にとってこれ以上にないぐらい、よく出来た女なのかもしれない。

 だが信也は、秋葉のことをもっと知りたかった。彼女の好きなこと、嫌いなこと。怒ること、喜ぶことが知りたかった。

「もっと……我儘になってもいいんだぞ」

 思わずつぶやいた言葉に、秋葉への思いが込められていた。


 そんな秋葉が、ひとつだけ自分の望みを言った。

 早希が息を引き取ったあの場所に、自分と一緒に行きたいと。

 秋葉が何を思い、そう言ったのかは分からない。しかし信也も、あの場所でなら自分も話せそうだ、そう思った。





「……」


 花を供え、秋葉が手を合わせる。

 12月ともなると陽が落ちるのも早く、辺りはすっかり暗くなっていた。


「もうすぐ一年になるね」


「ああ……今年はほんと、早かったよ。ついこの前、早希と結婚したと思ってたのにな」


「私は長かった……かな」


「秋葉?」


「あの日、信也の家で早希さんに会って……明日、この人は信也のお嫁さんになるんだ、そう思って……一緒に泣いて、笑って……」


「……」


「それなのに、次に会った時は棺の中で……いいお友達になれる、そう思ってたのに……」


 そう言ってうつむく秋葉の頭を、信也が乱暴に撫でる。


「ありがとな。早希のこと、大切に思ってくれて」


「うん……」


 堤防の階段に二人並んで腰を下ろし、買ってきたミルクティーを秋葉に渡した。


「あったかい……」


 秋葉は一口飲むと、嬉しそうに微笑んだ。


「秋葉、あのな……今日はお前に話があって」


「うん……」


 いつ切り出そうか悩んでいた言葉を、今口にしようとしている。

 そう思うと、急に息苦しくなってきた。


「姉ちゃんから聞いたよ。お前がどうして、俺の前からいなくなったのかを」


 小さく息を吐く。


「俺、お前のことを何も分かってなかった……人は裏切るもの、そう思って生きてきたけど、実は俺が一番、人を信じてなかった」


「知美ちゃん……」


「姉ちゃんを責めないでやってくれ。姉ちゃんもずっと悩んでたんだ。それに、一番近くで秋葉を見てきて、辛くて耐えられなくなったんだと思う」


「知美ちゃんから聞いたよ、もう」


「え……」


「信也に話した次の日、だったと思う。知美ちゃん、家に来てくれて……私の前で土下座したの。お前との約束、破っちまったって」


「……」


「泣きながら、何度も何度も謝ってくれた。あんな知美ちゃん、初めてだった……それを聞いてね、私、知美ちゃんの頭をクッションで思いきり叩いたの」


「え」


「約束破るなんてひどい、そう言って怒った。そしてね、その後で知美ちゃんを抱き締めてあげたの。今まで苦しめてごめんね、ありがとうって」


「……」


「知美ちゃん、わんわん泣いてた。あんなに泣いた知美ちゃん、見たことなかった……その顔を見て、私思ったの。私が一人で決めたことが、信也だけじゃなく、知美ちゃんも苦しめていたんだって。だから私も、一緒になって泣いたの」


「秋葉……」


「それでその後、朝まで宴会」


「は?」


「知美ちゃん、つぶしてあげたんだ。ふふっ」


 そう言って意地悪そうに笑う秋葉に、信也は背筋が凍る思いがした。


「あ、あの……秋葉さん? それでその、姉ちゃんは大丈夫だったのでしょうか」


「うん。朝にちゃんと、二日酔いに効くもの食べさせてあげたし、ちゃんと歩いて帰ってたから。ちょっと青い顔してたけど」


「いやいやいやいや、秋葉さん? どんだけお強いんですか」


「私、そんなに強くないよ。お父さんと飲んでても、いつも先につぶれちゃうし」


「いやいや、お前の親父さんは化け物の(たぐい)だから。比べられても分かんねーから」


「人の親をつかまえて、何てこと言うのよ。ふふっ」


「まあでも……そっか。もう姉ちゃんから聞いてたんだ」


「うん。知美ちゃんには本当、悪いことしちゃった。塚本くんから助けてくれたし、それからもずっと……傍で私を守ってくれてた」


「俺が知らないこと、色々ありそうだな」


「うん。女の秘密ってやつだよ」


「秋葉、本当に悪かった。お前のこと、信じれてなかった」


「悪いのは私だから……信也の前からいなくなるって決めたのも私。塚本くんと付き合うって決めたのも私」


「どっちも、俺を守る為のことだったんだろ」


「どんな理由であれ、私は信也を裏切った。そしてそれは、自分で決めたこと……あの時ちゃんと考えてれば、もっといい方法はあったと思う」


「でも、おかげで俺は大学にも行けたんだ」


「でもね、その代わりに信也、それから10年も苦しんだんだよ……二度と人を信じない、そう決めて生きてきた。寂しい思いをいっぱいさせた」


「秋葉。そもそもの話、俺が煙草を吸ってたのが原因なんだ」


「違うよ」


「違わない。俺のせいなんだ」


「そんな単純なことじゃないの……塚本くんは私に何度も告白してきた。私は彼に興味なかったし、いつも断ってた。プライドの高い彼は、その度に恥をかかされたと思ったみたい。そして彼は、信也に目をつけた。幼馴染で、いつも一緒にいる信也に」


「……」


「信也に対してあの人、すごい嫉妬してた。そしてどうにかしようとした。信也が学校でいない者になったのって、私のせいなんだよ」


「俺をいない者にしたのはあいつで、秋葉には何の責任もない」


「でもね、あの人が私を好きにならなければ、信也がいない者になることもなかったんだよ。だから私のせいなの」


「ちょっと待てって。分からんでもないけど、それは加害者側の屁理屈だろ。それに……人を好きになることは、悪いことじゃない。あいつが秋葉のことを好きになったのだって、それは秋葉が魅力的だからなんだ。そのことまで否定するのは違うだろ」


「そんなこと」


「あるんだよ。俺に八つ当たりしたことは、確かに褒められたものじゃない。でもそれにしたって、俺が強い人間だったら、そもそもあんなことにはなってないんだ」


「……」


 口元に微かな笑みを浮かべ、秋葉が夜空を見上げた。

 様々な感情を瞳に宿して。




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