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117 青春時代の忘れ物

 


「秋葉さんと会って、しっかり話して欲しい」


「……」


 白い息を吐き、信也が神崎川に視線を移した。


「信也くんを偽善者とか卑怯者とか、そんな風に考えたことはないよ。知美さんだって、本心で言ったんじゃない。ただ信也くんが、秋葉さんのことをずっと引きずって苦しんでいる、それがお姉さんとして辛いんだと思う。

 知美さんがあの時一番言いたかったこと。それって、青春時代をちゃんと終わらせなさいってことなんじゃないかな。私はそう思った」


「青春時代って……こっ恥ずかしい言葉だな、30代が近付いてる身としては」


「その青春時代を完結させて、みんな大人になっていくんだと思う。終わらせ方は人それぞれだけど、前に進んでいく為に必要なことなんだと思う」


「早希はどうだった? ちゃんと終わらせてきたのか」


「う~ん、人には偉そうに言えるんだけどな。でも……そうだね、お父さんとお母さん、おばあちゃんに会ってもらった、あの時がそうなのかもしれない」


「お墓参りの時?」


「うん。だって私、あの日までちゃんと泣いたことがなかったから。おばあちゃんが亡くなった時だって、叔父さんのことがあって泣いてる暇なんてなかった。

 一人暮らしを始めてからも、生きていくことに精一杯で、いつもバタバタしてた。そんな毎日を過ごしていく内に、いつの間にか泣けなくなっていた」


「……」


「信也くんは私のこと、いつも笑顔で強いって言ってくれたけど、本当はそんなことなかったんだよ。私も信也くんと同じ。感情を殺し過ぎて、出し方を忘れてたの」


「……そっか」


「だからね、お墓の前で泣いた時、色んな感情が出て来て大変だったんだ。長い間、自分の中に閉じ込めていた物を全部吐き出した、みたいな感じで。そしてそんな私を、信也くんが抱き締めてくれた……ああ、私は本当に幸せだ、そう思った。

 生まれて初めて、他人の前であんなに泣くことが出来た。それがすごく嬉しかったの。だからあの時、お父さんたちが出てきてくれたんだと思う。お父さんもお母さんもおばあちゃんも、私に『よかったね』って言ってくれた。

 信也くんに偉そうに言ってたけど、私も信也くんと同じだったんだよ。誰にも心を許してなかったんだから」


「早希……」


「そんな私が信也くんと出会えて、信也くんの前で全部さらけ出すことが出来た。私にとっては、あの日が青春の締めくくりだったんだと思う」


 いつの間にか、信也は早希を抱き締めていた。


「だから、ね……信也くんも青春時代の忘れ物、ちゃんと取って来てほしいの」


「……俺のこと、幻滅したりしないのか」


「どうしてそうなるのよ。自慢の旦那様だよ」


「俺は秋葉を信じてなかった。あいつの性格を考えたら、分かりそうなものなのに」


「そうだね。秋葉さんが意味もなく離れるなんて、絶対ないと思う」


「なのに俺は秋葉に対して、最後まで傍にいてくれなかったやつ、そんな風に思ってた……人間なんてそんなもんなんだ、そう思ってしまった……」


「まあ、信也くんならそうなるよね。だって信也くん、私が告白した時も言ってたから。信じるのと裏切るのは裏表だって。信也くん、0か100かしかない極端な考えだから」


「だから出来れば、もっと早く知りたかった。教えてほしかった。そうしたら秋葉だって、こんなに長い時間苦しまなくてもよかったんだ」


「必要な時間だったんだよ、きっと」


「……」


「人にはみんな、その時ってのがあるんだと思う。もっと前に信也くんが知ったとしても、今の気持ちにはなってなかったと思うよ」


「……早希ってやっぱ、すごいな」


「私は今の信也くんが好き。そしてきっと、明日の信也くんのことをもっと好きになる。でもね、信也くんは今生まれたんじゃない。30年の人生を毎日生きてきて、今の信也くんがいてるの。

 もし信也くんの過去を少しでも消しちゃったら、今の信也くんには決してならない。そう考えたらね、信也くんの人生に無駄な物なんてひとつもないんだよ。そうやって後悔することも、信也くんの一部なんだから」


「……」


「今の信也くんになる為に、全部必要なことだったの。私が大好きな信也くんになる為に」


 早希を強く抱き締める。


「誰かにそう言ってもらいたかったんだ……俺を全部受け入れてくれる、そんな言葉を……」


「私はいつも言ってたよ。大好きだって」


「……」


「だからね、信也くん。秋葉さんを救ってあげて。私の大切な友達は、今も苦しんでいる。その苦しみから解放してあげて」


「ああ……」


「信也くんにしか、出来ないことなんだよ」


「そうだな……随分時間がかかっちまったけど、忘れ物、取ってくるよ」


「うん」


 信也の言葉に、早希が笑顔でうなずいた。




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