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116 一年を振り返り

 


 信也がベランダで煙草を吸っていた。


 ベランダから見下ろす、夜の神崎川。

 21時ともなると人通りも少なく、車もあまり走っていない。

 信也はこの静けさが好きだった。


「信也くん」


 振り返ると、マグカップを手にした早希が微笑んでいた。


「寒いでしょ。これ飲んであったまって」


「ああ、ありがとう」


 カップを受け取り一口飲むと、冷えた体に優しく染み渡ってきた。


「おいしいよ」


「ありがと。でもほんと、静かだよね」


「流石にこの寒い中、夜の遊歩道を散歩する人もいないだろ」


「もう12月だもんね。一年ってほんと、早いね」


「そうだな……二人で年越ししてから、もう一年か」


「今年も色々あったね」


「早希にとっては特にな。なんたって、結婚して、事故にあって。そんでもって幽霊になって」


「世間広しと言えど、私ほど激動の一年を過ごした人はいないだろうね」


「はいそこ。威張るところじゃないから」


「えへへへ。でも……変な言い方になるけど、私にとってはすごく大切な一年だったよ」


「大切?」


「うん。死んじゃったのは勿論辛いことだった。みんなをいっぱい悲しませたし、二度と話すことも出来なくなった。そのことは本当に申し訳ないって思ってるし、寂しくてたまらない」


「……そうだな」


「でもね、おかげであやめちゃんとも分かり合えた訳だし」


「……もし早希がこうなってなかったら、あやめちゃんは自分のこと、話してなかっただろうな」


「あやめちゃんが一人で抱えて来た苦しみを、少しでも分かり合えることが出来た。話を聞けたおかげで、あやめちゃんと前よりもっと深く付き合えるようになった。私のことも、前よりもっと信頼してもらえた」


「そんな風に思ってあげてたのか。流石俺の嫁さんだ」


 そう言って頭を撫でると、早希は幸せそうに微笑んだ。


「そしてやっぱり……比翼荘のことかな」


「うん……」


「この世界に、私たちが知らない世界があった。その世界に触れることが出来た。信也くんには申し訳ないけど、私、嬉しいの」


「確かに表現が難しいな。幽霊になれたから彼女たちと出会えた。でもその代償として、早希はたくさんの物を失った。喜ぶってのも違うけど、かと言って沙月さんたちと出会えたのは嬉しいことだし」


「だからこのこと、信也くんに言えなかった。ひょっとしたら怒られるかもって思って」


「怒らないよ。だってどう考えようと、早希が死んじまったのは事実なんだし。痛い思い、辛い思いをしたのも早希なんだ。俺がとやかく言えることじゃない。それに……俺の中でもあったんだ。比翼荘のみんなと出会えてよかったって気持ちが。純子さんや沙月さん、由香里ちゃんに涼音さん。俺にとってはみんな、大切な友達なんだ」


「そう言ってもらえると、私も嬉しい」


「でもそれは、早希が死んだから出会えたってこと。そう考えると俺も、すごく複雑な気持ちになってた」


「信也くんも同じこと、考えてくれてたんだね」


「だからこのことを考え出すと、訳が分かんなくなっていって。いつも途中で考えるのをやめてた」


「ふふっ。ほんと信也くん、真面目さんだね」


「そうか?」


「……でもね、信也くん。私は死んじゃったけど、そのことを辛いって思うこと、今年で卒業しようって思ってるの」


「今年って、もういくらもないな」


「うん。信也くんがいつも言ってるように、どう考えても悩んでも、自分の身に起こった事実は変わらない。だったら考えるのはそこじゃない。どうせ悩むなら、これからどうやって生きて……存在いくか、そのことでいっぱい悩むべきだって思ったの」


「早希は強いな」


「信也くんのおかげだよ」


 早希の頭に手を回し、抱き寄せる。早希も身を委ね、ぬくもりに微笑んだ。


「俺は何も出来てないよ」


「そんなことないよ。信也くんが求めてくれたから、私はこの姿で存在してる。見た物は信じる、そう言われた時は流石に驚いたけど……そのおかげで私はここにいる。信也くんが信也くんじゃなかったら、私もみんなと同じように、あてもなくこの世界を彷徨(さまよ)ってたかもしれない」


「生来の変わり者だからな、俺は」


「変わり者を好きになってよかったよ」


「おい。そこはフォローしろよ」


「ふふっ……それにね、他の人たちのことも認めてくれて、家族の様に接してくれる。信也くんは生きてるんだから、この世界でやらなくちゃいけないことがいっぱいある。仕事は勿論、知美さんやお母さん、篠崎さんやさくらさんたちとも付き合っていかなくちゃいけない。ご飯も食べないといけないし、あやめちゃんに勉強も教えなくちゃいけない。そして何より、寝なくちゃいけない。

 なのに信也くん、私たちの為に頑張ってくれて。怒られる言い方になっちゃうけど、本来関係のない人たちのことで時間をさいて、睡眠時間を削って。そして考えて悩んでくれている。純子さんの時だってそう。あれから何度も山川さんの家に行って、奥さんや息子さんたちと話をしてくれた。私、本当に感謝してるんだよ」


「自慢の旦那様?」


「自慢出来る人は限られてるけどね。あやめちゃんと比翼荘の人だけだから」


「ははっ、確かにそうだ」


「純子さんの祭壇も、一週間で作ってくれたし」


「早希の時で要領つかめてたからな」


「でもあの祭壇、ほんと素敵」


「そうか? 早希のとそう変わりないだろ」


「そんなことないよ。何と言っても場所が最高」


「別に褒められるような物じゃなかったと思うけど」


「みんなも言ってたじゃない。部屋に入った時に一番最初に目に入る場所。何度も何度も部屋に入って確認して、まるで純子さんがみんなを迎えてくれているようにしてくれた。

 山川さんの奥さんにお願いして、純子さんの写真ももらってくれた。あの写真だってそう。私たちがどれだけ嬉しかったか分かる? 信也くんは信也くんが思ってる以上にすごいこと、私たちにしてくれてるんだよ」


「……すまん、そろそろその辺で。いつも言ってるけど、あまり褒められるとお腹の中がぐるぐるしてくるんで」


「何それ、ぐるぐるって。ふふっ」


「いやほんと。俺みたいな底辺は、褒められることに慣れてないから」


「分かりました旦那様。じゃあ妻からのご褒美だけ、受け取って」


 頭に手を回し、唇を重ねる。

 温かくやわらかい感触に、信也は微笑んだ。


「これ以上のご褒美はないな。ありがとう」


「どういたしまして。ふふっ」


 そう言って、信也の腕にしがみつく。


「本当にこの一年、色々あったね」


「ああ。年を越すのが勿体ないぐらいだ」


「一日一日は長いのに、振り返った一年はあっと言う間だよ」


「……早希?」


「なんとなくね、そう思ったんだ。だからこそ、その時その時を大切に、真剣に生きなくちゃいけないなって」


「一日は長いけど、過ぎ去った一年は短い……確かにその通りだ。そんな風に感じれる早希は、やっぱりすごいな」


「自慢の奥様?」


「ああ。どこに出しても恥ずかしくない、自慢の嫁さんだ」


「ありがと、ふふっ……ねえ信也くん」


「何?」


「年を越す前にやっておくこと。あとひとつ残ってるよね」


 視線を移すと、早希の真剣な眼差しが向けられていた。

 信也はうなずき、小さく息を吐いた。


「ああ……分かってる」




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