111 ぶつかり合う感情
「……」
話し終えた知美が、もう一本煙草を取り出し火をつけた。
信也は呆然と夜空を見上げている。
「秋葉の話はこんな所だ。信也、さっきの質問に戻るぞ。この話を聞いて、お前はこれからどうするんだ」
「……姉ちゃん、ちょっと待ってくれ」
「あん?」
「秋葉が俺の前から去っていった。俺のことをいない者にした……その理由って、それだけなのか」
「何が言いたい。もっと衝撃的な事実でも期待してたのか」
「……おかしいだろっ!」
信也が起き上がり、知美を見据えた。
「何だよそれっ! 俺が煙草を吸ってた写真って……それだけなのかよ!」
「そうだよ、それだけだよ」
「たった……たったそれだけのことで俺は……俺たちは……」
「そうだな。安っぽいドラマでも、もう少し気の利いた理由にするだろうな」
「……」
「でもこれが現実だ。秋葉が離れたのは、こんなくだらない理由のせいだ」
知美の言葉に呆然とし、信也が力なくつぶやく。
「……それって結局、俺のせいじゃないか」
「そうなるな」
「なんだよそれ……」
「秋葉に男が出来た。お前に愛想をつかした。お前をかばって自分も無視されるのが怖くなった……そんなことでも想像してたか」
「……」
煙草を吐き捨て、信也を睨みつける。
「クソみたいなやつだな、お前」
「クソ……か……」
「経緯はどうあれ、お前から離れてしまった。その罪悪感で秋葉はつぶれそうになった。でもお前は、秋葉が裏切ったと勝手に思い込んだ。信用してないのはどっちだ」
「……」
「お前、親父が出て行ってからよく言うようになったよな。人を信じれば裏切られる、だから俺は誰も信じないって。
どうだ、今の気分は。信じてないのはどっちだ? 秋葉のことを信じなかったのは誰だ? 勝手に秋葉を裏切り者にしたのはどこのどいつだ? 何とか言ってみろよこの屁理屈野郎!」
「あ……あああ……」
地面に頭を擦り付け、信也が声にならない声をあげる。
「お前、本当は初めから誰も信じてなかったんじゃないのか? その歪んだ考えを正当化したいから、親父や秋葉になすりつけてただけじゃないのか?」
「あああ……」
「そうして都合が悪くなったら壊れたふりか。人生舐めてんじゃねえぞこのクソガキ!」
叫ぶと同時に蹴り飛ばした。
「秋葉を信じてなかったのは誰だ! 裏切ったのはどっちだ!」
「……なんで説明してくれなかったんだよ……言ってくれたら俺だって」
地面にうずくまる信也の後頭部を、力任せに踏み付けた。
「それが秋葉なんだよ! それがお前を愛した、秋葉って女なんだよ!」
「あああああああああっ!」
「理由なんて関係ないんだよ! お前の前からいなくなった、お前を一人にしてしまった、その罪の呵責に耐えられなかったんだよ、あいつは!」
「あああああああああっ!」
「あいつにとってあの選択は、真実を告げて仲直り、そんな簡単なことじゃなかったんだよ! お前を愛する気持ちは、そんないい加減な物じゃなかったんだよ!
お前はどうだ? そんな秋葉の気持ちを全部否定して、たった一言、俺を裏切った、それで済ませてきたんだよ! 自分自身を守る為にな!」
信也の頬を蹴り飛ばし、そして胸倉をつかんで無理矢理起き上がらせた。
「なんだよその情けない面は。ガキみてぇにピーピー泣きやがって」
「俺……俺……」
「……秋葉はな、それでもお前をずっと見守っていた。お前は気付いてないだろうけどな、あれからあいつも、学校でいない者にされてたんだ」
「え……」
「直接手は出せなかった。裕司がいたからな。でもそれであいつの気が収まる訳ないだろ。取り巻きの女共を使ってな、秋葉はあれから半年、ずっと独りぼっちだったんだよ!」
「そんな……」
「私も裕司も、口は出せなかった。ガキの喧嘩に大人が出る訳にはいかない。腸が煮えくり返ったけどな、私も我慢した。
なのに秋葉は……そんなことになってるのにこう言ったんだ! 信也は学校で独りぼっち、せめて家では笑顔で迎えてあげてってな!」
「……なんで……なんでそこまで……」
「その時お前はどうだった? そんな秋葉の気持ちも知らず、家に帰っても仏頂面で、母ちゃんや私が声をかけても知らんぷりだ。それでも構おうとすると、うざいからやめてくれときた。随分空気の読める弟様だなぁおいっ!」
「やめて……やめてくれ……」
「誰がやめるか、耳の穴かっぽじってちゃんと聞け! そんな秋葉の思いも知らず、大学に受かったのも自分の力か? 自分はただ、やれることをやっただけ。その結果がそうなんだったら、それは俺が努力したからだ、だったか? 合格した時の決めゼリフは」
「あああああああああっ!」
「お前が一人でやったことなんて、どこにもないんだよ! 何にもないんだよ! お前が今ここにいるのだって、お前が憎む親父がいてくれたからだろうがっ! お前が生まれた時、親父がどれだけ喜んだかなんて、お前は知らないだろ!」
「ああああああああっ!」
「どれだけたくさんの愛情に守られてきたと思ってるんだ! 自分一人の力で生きてきたとでも思ってるのかっ! お前を支えてくれたやつらのことも、いつか裏切るだけのクズだって思ってるのかっ! クズはどっちだ!」
頬を流れる涙を拭い、知美が大きく息を吐いた。
「でもな……お前は変わったよ。早希っちと出会ってから」
「……」
「面の皮だけで笑わないようになった。自然に笑えるようになった。あの日、お前の家で初めて早希っちと会った時、そう思った。そしてそれはきっと、早希っちのおかげなんだと、あの子と話してそう感じた。
だから私は早希っちを認めた。この子なら、お前のひん曲がった心、直してくれるんじゃないかと期待した」
「……」
「あの子のおかげで、お前は感謝の心も覚えた。自分が今ここにいてるのは、決して自分の力だけじゃないんだと気付き始めた。
まあその……あれだ、親父に対してはまだ矯正の余地が大ありだけどよ……それでもお前は、少しずつ変わっていった。嬉しかったよ、そんなお前を見ることが出来て」
「姉ちゃん……」
「秋葉と結ばれることはなかったけど、それでもお前らが、また私の前で一緒に笑ってくれる日が来る。早希っちと三人で……そう思ってた。願ってた」
知美の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「なのに……なのに……なんで死んじまったんだよ、早希っち!」
天を仰いで叫ぶ。
「あんたがいれば、こんな強引なことをしなくてもよかったんだ……あんたに任せていれば、いつかこいつも分かってくれる、そう信じてたんだ……
なあ早希っち……なんで死んじまったんだよ……会いてえよ……酒、一緒にもっと飲みたかったよ……あの日みたいに一緒の布団で、朝まで語りたかったよ……」
「ごめん……ごめん、姉ちゃん……」
「なんでお前が謝るんだよ……だからな、早希っち……悪いな、あんたの旦那ボコボコにしちまって……私はこういうやり方でしか、こいつにぶつかれないんだよ……」
風が吹いた。
――ありがとう、知美さん――
「……」
――信也くんのこと、本当に愛してくれて……ちょっとやりすぎかなって思ったけど……でも、嬉しかったです――
「早希っち……」
知美が振り返り、曲がった柵を撫でる。
「早希っち……こめん、ごめんな……死んでからも迷惑、かけちまって……」
「信也くん、大丈夫?」
「あははっ……早希、おかえり」
「もぉっ……そんなボロボロになっちゃって」
「晩御飯、用意してるからな」
「……馬鹿」
涙を拭おうともせず、早希が信也を抱き締めた。




