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ずっとずっと【改稿版】  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
第4章 過去と未来と
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106 静かな決意

 


「食った食った」


 久しぶりの秋葉の料理。懐かしい味だった。


「お腹、いっぱいになったかな」


「ああ、満足だ」


「よかった……あ、でも信也、もうちょっとゆっくり食べないと駄目だよ。消化が追い付かないから」


「はいお母さん、以後気を付けます」


「それにもっと、ちゃんと噛まないと」


「全くもってその通りでございます」


「ふふっ。なんだかこのやり取り、昔みたいだね」


「こんなもんじゃなかっただろ、秋葉の小言」


「小言って、酷いなぁ信也」


「はははっ。でもちょっと、変わった感じもするよ」


「どういうこと?」


「昔の秋葉の小言って、何て言ったらいいのかな、知識として知ってることを言ってたって感じ。同じ言葉なんだけど、例えばゆっくり食べなさい、とかも、今の方が心に響くんだ」


「それ、多分仕事のせいだと思う」


「なるほど。老人ホームだもんな」


「入居者さんが食べてる時も、何か変わったことがないかいつも見てる。食事中に喉に詰まらせて亡くなった人もいるから」


「年を取ると、冗談じゃ済まないんだな」


「私たちが当たり前にしてること、それが少しずつ出来なくなっていくの。だからよく言われるんだ。秋葉ちゃんはいいねって。

 例えば歯がある。私にとっては当たり前のことなんだけど、義歯の人からすれば、本当に羨ましいみたいなの。もう一度、自分の歯で食べてみたいってよく言われるよ」


「失って初めて分かる、ってやつか」


「そうだと思う。だから私たちは、当たり前のことに感謝しなくちゃいけないって思うの」


「俺もぎっくり腰になったことがあるんだけど、あの時は寝返りもうてなかったし、トイレに行くにも立てなくて、這いながら行ったよ。便器が目の前にあるのに立つことが出来なくて、結局風呂場で這ったまました。あの時は思ったな、健康ってありがたいって」


「そう思えただけでも、いい経験だったと思うよ」


「今は大丈夫でも、年を取れば壊れていく訳だしな」


「でも、努力で防げることもあるから。煙草だってそうなんだからね」


「気付けない幸せ、か……早希が死んだ時も、そう思ったな」


「……」


「あいつがいなくなって、この家が気持ち悪いぐらい広く感じた。リビングも風呂も、寝室も。

 そして思った。今まで普通に思ってたこと、それが全部幸せだったんだって。今あいつがここにいたら、『ありがとう』って言えるのにな、そう思った」


「なんで人って……後からじゃないと気付けないのかな」


「そうだな」


「でも……時間がかかったけど」


「……秋葉?」


「私はもう、信也を失いたくない」


 秋葉はそう言って、力尽きたようにうなだれた。


「おいおい、大丈夫か」


「あ、うん……今の言葉、ちょっと勇気がいったから」


「なんだよそれ」


「私は……私のせいで一度、大事な友達を失った。でも今、こうして昔みたいに話している。すごく長かった……だから今、とても幸せなの」


「秋葉……」


「ごめん、変なこと言っちゃった。忘れて」


 そう言って慌てて立ち上がり、秋葉は食器を片付けだした。


「手伝うよ。てか、洗い物は俺にまかせろ」


「でも」


「俺がするから座っててくれ。すぐお茶、用意するから」


 信也の言葉にうなずき、秋葉が微笑む。


「やっぱり……そういうところ、変わってないね」





「楽しかったな……」


 枕を抱き締め、秋葉が幸せそうに笑った。


「……信也といると私、こんなに幸せな気持ちになれるんだ」


 先週、早希が事故にあった場所に花を供えた時。

 秋葉は早希に語り掛けていた。


「早希さん……私ね、すごく時間がかかったけど、やっと信也と普通に話せるようになったんだ……これってきっと、早希さんのおかげだよね……

 早希さんがいてくれたから、信也と再会することが出来た。早希さんは私の気持ちに気付いてくれて、何度も何度も私に謝ってくれて……おかげで私は、信也と新しい関係になることが出来たの。

 これからは早希さんと信也、二人の幸せを眺めて、たまに冷やかしたりしながら、友達として仲良くしていこう、そう思ってたんだよ。

 なのに、早希さんがいなくなって……また信也から笑顔が消えてしまう、そう思ってた……

 でも早希さんはすごいね。信也、笑顔だった。元気だった。それってきっと、早希さんが信也を見守ってるから。そう思ってね、ほっとしたの。

 だけど……早希さん、今日は早希さんに、聞いてもらいたいこと、あったんだ……私、信也の傍にいてあげたい……信也を支えてあげたい、そう思って……

 ううん、違う。もう嘘つくの、やめるね。

 信也の傍にいたいのは私。

 私は信也のことが……好き。信也の隣で、信也の笑顔をずっと見ていたい。

 だから……許してもらえないかな。私が信也に、気持ちを伝えることを。

 私の気持ち、信也は受け入れないと思う。でも、それでもいいの。私はただ、あの時なかったことにしたこの気持ちを、信也に伝えたいの。

 ねえ早希さん……許してくれない……かな……」





 着信音に携帯を取ると、知美からのメッセージだった。


『元気してるかー』


『うん。今日、信也の家にご飯作りに行ったの』


『おお! やるな秋葉。それでどうだった?』


『楽しかった。信也も喜んでくれたよ』


『そうかそうか。仲がいいのは、姉にとっても朗報だ』


『それで……知美ちゃん、相談なんだけど、いい?』


『どんとこい』


『私、信也に告白しようって思ってる』


『マジか』


『うん、マジ』


『秋葉がついに……ううっ、お姉ちゃん嬉しくて涙が出て来た』


『いいと思う?』


『秋葉の気持ちが全てだよ。何度も言ってるけど、恋愛は本人たちの気持ちと行動だ。私が出来るのは、ちょっとした手助けだけ』


『私、自分から動いたことなんてなかったもんね』


『だから嬉しいんだよ。秋葉がそうやって、自分の気持ちに向き合えたのが』


『私、頑張ってみる』


『おおっ、頑張れ。それで、あのことは?』


『言わないよ。だってあれは、私が決めたことだから』


『そっか、分かった。応援してるよ』


『うん。ありがとう』


『にゃははははっ』





 小さく息を吐き、ベッドに寝転ぶ。


「失った時間は取り戻せない。でも、これからのことは……変わるかもしれないんだよね」


 そう言って、迷いの消えた瞳で天井を見つめた。




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