第6話 獏鸚(キマイラ)
鸚鵡のような翼をはためかせ、奇妙な獣が咆哮した。カーブを描いた鋭い角のある山羊の頭蓋骨が癒合した獅子の口には、肉食獣の獰猛な牙が並んでいる。
「随分と破天荒なメイドたちだな! 自己紹介も無しか?」負けじと俺は叫ぶ。黒い笞をしならせて、妹が姉の下に並び立った。
「笞刑のミーグル」
「杖刑のユードラ」
双子の声が調和する。「あなたを殺しに来た」
「目的は俺か」ならアテネやアマルは安全かもしれない。俺はやや安堵する。傍らでアマルティアが打ちひしがれた表情をする。「二人とも、なんで……」
「アマルも無関係じゃないんだよ」「ついでだから殺しとくの」
双子が鞭を握りなおす。
「おいおい、院の近臣ってのはそんな軽いノリで人を殺すのか? 獄門院の名は伊達じゃないな」
「事情が複雑なんだよ。私たちは五刑としてここに来て」「カプリチオとしてここにいるの」
俺はアマルを背後に隠したまま彼の腕を掴んだ。
「ひとまず安全な所に逃がす。こいつらは俺に任せて屋敷の皆を……」
「いえ、待ってください」
アマルはやんわりと俺の手を外し、隣に並んだ。「俺も戦います。俺はあの二人と同じカプリチオ族だ。能力の分析や解除の役に立ちます。それに……」
アマルは凛々しい瞳で決全と言い放った。「この戦いに勝ったら、アテネとの結婚を認めてください」
「ああ、この局面を乗り切れれば……、ん、え?」
「アテネに求婚します」
繰り返すアマルの言葉に、俺は敵前で固まった。脳内に様々な情報が飛び交い、山ほど言いたいことが出てきた。が、最初に口を突いて出たのは、
「……それ、今言う……?」
「人生の一大事なんです。分かってください」
「そうなんだろうけど。いや、百歩譲ってタイミングは良しとしてもさ、言う相手間違ってない?」
たしかに兄のような目でアテネを見てきたが、実際に結婚の許可を求めるべきはアテネのご両親だ。
アマルは首を振る。「筋を通すためです。そもそも玉砕覚悟……、すぐに上手くいくとは思ってない。ですがいずれは振り向かせて見せる……。これはそのための宣戦布告です。貴方に認めさせてみせる。俺に彼女を守るだけの力があると」
「宣戦ってもなぁ、今まさに本当の戦いが始まろうとしてるんだが……」
俺は双子を指さして言った。それから渋々アマルを見て尋ねる。「じゃあ、えー……実践経験は?」
「南の部隊で少々」
「……一応、いっぱしの戦士ってわけね」俺は溜息を吐いた。そして気持ちを切り替えて目を開いた。「オーケー。とりあえずフラグは立ってるから……、死ぬなよ」
銀髪のミーグルが鞭を鳴らす。
「相談事は終わったの?」「遺言なら私達が聞くんだよ」
ユードラが獏鸚を鞭打つ。奇妙な混合獣は後ろ脚の山羊の蹄を鳴らし、発奮したように猛進してきた。
「こっちにも使い魔がいます! 呼び出すまで時間を稼いでください!」
「簡単に言ってくれる!」
アマルが腰元の角笛を抜き出す。俺は展開した如意宝珠を回転させ、獏鸚の一撃を堰き止めた。動きが止まった所で、すかさず膝蹴りを顎に加える。伸ばした宝珠の横薙ぎでさらに頬を払う。
アマルが角笛に口を当て、息を吹き込む。しかし、予期した法螺貝のような音は聴こえない。
「おい、大丈夫か?」
俺はミーグルの鞭の攻撃を躱しながら叫んだ。「獣にしか聞こえない周波数の笛です! 使役する動物がどこに居ても必ず届く!」
アマルが叫び返すと同時に、巨大な黒い影が地面を覆った。獏鸚が手を掲げ、琥珀色のかぎづめを振り下ろそうとした刹那、空から突撃してきた一羽の大鴉がその腕を薙ぎ払った。
「……こいつは頼もしいな」
三本足の巨鳥を見上げながら、その人間大の羽が巻き起こす突風に目を細めて、俺は言った。
「八咫烏です。こっちのデカブツは任せてください。ましらさんはミーグルを!」
アマルが烏の背に飛び乗って急上昇する。敵の怪物も鸚鵡のような巨大な翼を広げて空へ飛び上がる。
「……こっちも始めようか」
俺は残された銀髪の少女に目を向ける。ミーグルは口角を上げてこちらに突っこんでくる。
縦横に黒の笞が乱舞する。「鞭の直撃は避けてくださいね! 催眠の威力と効果範囲が拡張されてます!」頭上を高スピードで通過しながらアマルが叫ぶ。
「触れて発動する催眠……、武器も体の一部ってわけか? よほど使い馴染んでるようだな」
俺は宝珠で鞭撃を捌きながら分析する。痛みを催眠のトリガーとすることで接触の間接さを補ってるな……。アテネのやってた催眠は声で指示を出していたが……、省略する方法があるのか。命令内容が事前に分からないとどんな催眠効果かも分からない。
「折角だから聞いても良いかな? 俺にどんな催眠をかけるわけ?」
「かかってからのお楽しみなの!」
鞭が空を切り裂く。俺はひらりと躱して彼女の利き手を狙った。鞭を短く張り、ミーグルがガードする。後ろに飛び退って彼女は武器を構え直した。
「全然ヒットしないの……。予知能力の精度は噂以上。攻撃は大したことないのね」
「言い訳するようだが、君らくらいの子供を殴るのは気が退けてね。なるべく怪我を負わせずに無力化する方法がないか、模索してるとこだ」
「考えの甘い標的は歓迎なの」
ミーグルが熾烈な鞭の連打を繰り出す中、頭上でも怪獣たちが激しい攻撃の応酬を広げていた。
「ずいぶん珍しい動物を手懐けたな、ユードラ。そんな生き物、見たことも聞いたこともないぜ」
「一点物なんだよ。希少さで言えば八咫烏以上。獰猛さも、ね!」
ユードラの鞭に合わせて獏鸚の爪が閃く。しかし空中での身軽さは大鴉の方が一枚上手だ。獏鸚は八咫烏以上の巨体を持て余し、虚しく宙を掻いている。
「八咫烏は防御が売りの生き物だ。だが攻撃に自信が無いとは言ってないぜ」
烏が翼を一薙ぎする。勢いよく飛び出した無数の羽がナイフの雨のように降りそそぐ。ユードラは高速の鞭の連撃でそれを叩き落とした。
「余所見はいけないの」
足元に鞭の絡みつく感触がある。「! しまった……」俺は焦ったような声を上げてみせる。ミーグルが強く鞭を引き付け、俺の身体を引き寄せる。
「⁉」
ミーグルが空の鞭を引き、バランスを崩す。背後に瞬間移動した俺はそのまま彼女の足を払う。地面に倒れてこちらを睨みつけるミーグルの眼前に、宝珠を突きつけた。
「わざと隙を見せて鞭を誘導……。意外に演技上手なの」
「周りに役者が多くてね。……痛みをトリガーとするなら、巻き付ける類の攻撃では催眠は発動しない。予測通りで、予知通りだ」
背後で轟音が鳴る。俺は思わず振り返る。獏鸚の巨大な鉤爪が八咫烏をアマルティアごと鷲掴みにし、地面に押し潰したところだった。
「アマル! 無事か?」
「なんとか……。八咫烏の羽根は頑丈です」
大鴉の羽毛の中に隠れて圧力を凌いだアマルが、苦し気に答える。衝撃は逃れたようだが、獏鸚の爪牙に掛かって身動きがとれない状況だ。
「空元気も今のうちなんだよ」
獏鸚の長い鼻が蠢き、周囲の空気を猛烈な勢いで吸い込む。凄まじい吸引力で、宝珠の下に組み伏せたミーグルの体を引き寄せる。ミーグルは姉の策を見抜いていたかのようにスムーズに宝珠を掻い潜り、風に乗ってアマルの頭上に跳び上がった。
「! アマルティア!」
ミーグルの笞が素早く振り下ろされる。俺は瞬間移動で二人の間に割り込み、鞭撃からアマルを庇った。背中に鋭い痛みが走る。瞬間、俺の世界は静寂に包まれた。