エピローグ スケープ・ゴート
「院は死んで、サガの政権が存続……。結局私たちはお縄っすか。身の振り方を間違えましたねえ」
リズミカルに掘削の音を響かせながら、ユダが嘆いた。雑居房の端に腰掛け、ベッドからもぎ取ったらしい鉄パイプで壁を叩きながら溜息を吐く。
「院の目的は達成されました。私は本望ですよ、ユダ殿」
「そりゃボアソナード翁はお爺ちゃんっすからぁ、こんな地底回廊の最深部にぶち込まれてもかまわないでしょーよ。でも私にはまだ未来があるんすよ」
がつん、がつんと焦げ茶色の煉瓦を砕きながらユダが口を尖らせる。「大体聞いてないっすよ、院に皇子がいて、その子のために死ぬ覚悟だったなんて。ボア翁はともかく、私達は体よく利用されたわけっすよ。これだから皇族は……」
「その割にあまり後悔は、していない顔ですな。つまりはそういうお方だったのです、獄門院陛下は。帝のカリスマとも違う、特別でないからこそ、我々がお支えしなければと思わせる人間的魅力があった」
「どうっすかね。まー帝に一矢報いて、すっとした気分はありますけど。にしてもあの帝を最後まで出し抜いたんだから、大した執念っすよ。15年かけてあの人一人を研究してきたんでしょう。もはや恋ですよ」
「恋慕と来ましたか。……ふ、もしかすると本当に……」ボアソナードは哀し気な顔で笑った。「高貴な方々は辛いですな、立場やしがらみに囚われる」
「そんなに辛いなら私と替わってほしいっすけどね。こっちは文字通り囚わの身なんだから」
不平を溢しながらも、ユダは手を休めない。ボアソナードは振り向いて尋ねた。「さっきから何をしているのです」
「見て分からないっすか? 脱獄っすよ、脱獄」
やっと手を止めたユダが煉瓦壁をこつんと叩いた。「念のため一通り反響を調べてみたんすけど、この壁だけやけに薄いんす。どうも後ろに『空洞』があるみたいなんすよ」
「空洞? この地下深くに?」
「そう。通気口か下水道か……。構造的に通路ではないと思うんすけど、人が通れるくらいのサイズ感はありそうっすね」
「見上げた根性ですな。収監されて三時間でもう牢破りの準備とは」
「脱獄の先輩に言われたくないっすよ」
ユダが肩を竦めて作業を再開する。額に汗を溜めて、熱心に煉瓦を削っている。掌には血が滲んでいるが、お構いなしに黙々と鉄管をぶつけ続ける。
「穴を開けるのは良いですが……、その脚でどうやって逃げるつもりです?」
ボアソナードは彼女の脚を指さした。ユダの両足は添え木と包帯ががちがちに巻かれており、回復に向こう二ヶ月はかかりそうな骨折の様相だった。
「そりゃお爺ちゃんに負ぶってもらうっすよ。御老体でも野風っすからね」
「私は同伴前提ですか」
ボアソナードはやれやれと溜息を吐いて立ち上がった。
「なら、私は見張りに立つとしましょうかね」
「さっすがボア翁、話が分かるっす」
ユダが朗らかに言った。
「しかし引っ掛かりますな」
ガツン。ユダが鉄をぶつける力を強める。ボアソナードは独りごちる。
「そのようなダクトの類が通っているならば、そこに面した壁は分厚くなっているはず。他の牢屋ならいざ知らず、ここは三大監獄の一つ……。そのような初歩的な過誤を犯すでしょうか?」
ガツンッ。反響が高くなった。ぽろぽろと砂が零れてくる。
「あるいは空洞は天然のもの? ……いや、だとしても工事の折に地質調査は済ませてあるはず……。……まさか、監獄ができた後に掘られて……?」
ひときわ高い音がして、景気よく崩れる煉瓦の響きとユダの歓声が続いた。「空いたっすよー!」
ボアソナードはユダの横にかがみこんで穴を見つめた。小さいがどうにか通り抜けられそうな穴が壁に開き、真っ暗な洞の中に口を開いている。「驚きましたな、本当にこんな空間が……」
ボアソナードは虚穴をくぐって、空洞の中に降り立った。洞壁に触れ、獄室から漏れる僅かな明かりを頼りに先を見通す。
「この構造……、土が落ちて崩れないように整備されている。床は特に踏み固めたようにならされていて……、これは穴と言うよりまるで……」ボアは困惑したように呟く。「……『路』?」
ばつん、と綱の切れるような音がしてボアソナードの姿が消えた。
「ボア翁?」
足でも滑らせたのだろうかと、ユダは穴に向かって呼びかけた。
自身の声が谺するばかりで返事はない。ユダは眉を顰め、穴の淵に手をかけ、ゆっくりと空洞の中に顔を出した。
猿。
……の、ような何かが目の前にいた。「それら」は斑模様の毛を纏い、横たわったボアソナードの体を取り囲んでいた。無眼の真っ黒な顔をこちらに向け、異様に大きな口を開けてにたりと笑みのようなものを浮かべた。
「あー……」
ユダは口角をひくつかせて呟く。
「もしかして私、やっちゃったすかね?」
それが彼女の末期の言葉となった。
〇
夜を間近にする夕映えの港に、幾艘もの船が到着した。水かきのついた野風のような集団の牽引する船や筏に乗って、疲れきった顔の警察隊たちが上陸する。
「一悶着あったみたいだな」
カミラタやモルグに連行されていく白鵺たちを眺めながら、俺はひどくげっそりしたメルに話しかけた。遠くにユーメルヴィルの姿もあった。潮の流れの関係か、行よりも遥かに早い時間で戻ってきたみたいだ。「顔色悪いな、船酔いか?」
「黙れ、一生分の大病を患ったんだ、死の淵を見たぞ」
「? それは、えっと、平気か……?」
「もう治った」
意味不明な返答をしてメルが俺の隣を見る。それから仰天したように叫ぶ。「緑衣の鬼? なぜここに……」
「その通り名は過去のものですよー、メルさん。今はただのドクターとしてここにいるんです」
「釈放されたんだ」
俺は手短に補足する。メルはぽかんとした顔で俺たちの顔を見比べ、片手で頭を押さえた。
「やりきれん、今日は色々なことがありすぎた」
「一応俺らは帝の命でここに居るんだ。帰船した警察隊の治療と、ある人物の護送を頼まれてる。カプリチオの屋敷も気になるんだが、滝口入道も今は来るなと言うばかりだし……」
「それは当然。こちらの任務を優先すべき」
浜に砂音を立てながら、ネヴァモアが現れた。彼女の一瞥が向くと、メルが何故かぎくりとして後退る。
「ネヴァモア卿、あんたは院の側に付いたはずでは?」
俺は尋ねる。彼女は瞳をこちらに戻した。
「付いたけど、サガの合意のもと。勝った方の下に残り、中つ國を支えてくれと頼まれた。これはヘルダーリンの願いでもある」
「船に院陥落の報が届いた途端、敵味方全員、急に血を吐いてダウンしたんだ。その後彼女の口から戦闘の終了が宣言され、よく分からないままにここへ着いた。全員、既にその症状は寛解しているが……、何かされたのは確か」
メルが困惑した表情でネヴァモアを眺める。リリが興味深げに視線を注ぐ。
「さすがはアリエスタの長……。病を癒すアリエスタ族の加護も、翻れば疫病という名の厄災の種に……、ですか」
「そうね。あなた達の免疫操作とはわけが違う」ネヴァモアがじとりとした目でリリを見返した。「あまりアリエスタの名で暴れないように。あなたに市民権を与えたのは私なのだから」
「あはは……、その節はどうもー」
リリが弱ったように微笑む。ネヴァモアが小さく溜息を吐く。
「では真白雪を借りていく。春宮を御所までお連れするのが、私に与えられた任務」
「春宮(皇子)?」俺は聞き返す。ネヴァモアの後ろに隠れるようにしてひょっこりと幼い子供が顔を出した。ネヴァモアが彼の手をとる。
「春宮……、エックハルトは獄門院の一人息子。サガの跡継ぎとして御所で育てる」
「ネヴァモア卿、皇族の真名をそう軽々と……。それに今回の件だってそうだ、あなたは帝や院とどういう関係なのです?」
「平たく言えば、師弟」メルの質問にネヴァモアは素っ気なく答えた。「私が2人に狂花帯の使い方を教えた。その両親も、そのまた両親も私の弟子。皇族は代々私の指南を受ける」
「……⁉ ……貴方は一体……」
当惑し調子を外したメルの声を、幻燈のノイズ音が遮った。
「……お話し中すみません。ましら伯、ご報告に上がりました」
滝口入道の幻影が浜の上に現れる。俺はネヴァモアの話を深堀りしたい気持ちをぐっと抑えて、彼の言葉を促した。「ありがとう、入道。ずいぶん遅かったけど、何かあったのか?」
「申し訳ありません。現場の混乱が凄まじく……、状況把握と事後処理に大幅な時間をとられ……」
滝口入道が口ごもる。
「……詳細な報告は後日文書で公表します。今は手短に……。どうかそのまま、落ち着いてお聞きください」
「何があった?」
俺は嫌な予感に背筋が寒くなるのを覚えながら、彼の言葉を待った。
滝口入道の宣告が、長い影の落ちた浜辺に響き渡る。
「カプリチオの邸宅を何者かが襲撃、集まっていたカプリチオ貴族及び使用人は、アマルティア=カプリチオと他一名を除き全員が死亡。生存者は両名とも意識不明の重体……」




