第1話 廃帝
東国の深雪が太陽を反射してきらりと瞬いた。王都と違ってまだ桜は咲いておらず、早咲きの梅がちらりと蕾を覗かせているばかりだった。わずかなピンクの染みを除いて、一面見渡す限り白一色だ。目の前に聳える金色の城だけが文字通り異色の輝きを放っている。
俺は門を固める衛兵たちに挨拶して、金色殿の敷居をまたいだ。奥まで歩いていくと掘り炬燵を囲んで、野風の長たちがのんびりと足を延ばしている。
「おいおい、会議の円卓も随分と和やかになったもんだな」
俺は色眼鏡をかけたオールバックの野風の隣に腰を下ろし、炬燵の中に足を入れる。さすがに熱操作のスコルピオ一族が治めていた領地だけあって、暖房用の宝具も充実している。両脚をじんわりと熱が包んでいく。
「東国地方の冬は厳寒なんだ。全員が効率的に暖をとりつつ顔を合わせられる形……、合理性を追求した結果、こうなった」
色眼鏡の野風……ニニギニミリが寝そべりながら解説する。会議中だよな? と俺は自分の認識を確認する。
「農耕も進められないからねえ。街ぐるみで引越してまだ一年も経ってない、決めることも山ほどあって、会議の連続さ。こう談合続きとなると、集中力を持続するためにも負担の少ない形態をとるのは必然的だね」
年増の女の野風、外道法師が蜜柑のような水色の果実を剥きながら言う。ご丁寧に白い筋を全て取ろうとしている。集中力の方向性を間違えているとしか思えない。
「お前たちは緊張感に欠けすぎだ。いくら我々野風がこの肥沃な新天地を手に入れたからと言って、争いの火種が無くなったわけではない。俺たちはこの中つ國の正式な住人として認められた分、兵役の義務も負わされているんだからな。たとえ野風の土地が平和でも、朝廷が内外で揉め事を起こせば火の粉は容赦なく降りかかるぞ」
黒い毛に片眼鏡の野風、ドストスペクトラが厳粛に告げるが、どてらを着て背を丸めている姿では威厳が無い。
「外は凍えましたでしょう、座主殿も温まりなされ」
赤毛の置いた野風が湯呑に茶を注いで渡してくれる。「ああ、すまないね長老。大丈夫、俺は空間移動で殆ど直通みたいなもんだから、冷えてないよ。あとはこっちに任せて、座ってて」
俺は彼を座らせて、茶菓子と急須を卓の上に移動させる。
「いやはや、孫が増えたようでございますなあ。ところでユーメルヴィルのやつはどうしています。王都で元気にやっとりますかな」
「うん。警察隊に混じってカミラタの下で修業中だ。俺ともよく手合わせをする。熱心なやつだよ」
ユーメルヴィルは長老の孫だ。かつて貧民街の当面の若手を率いていた実力者で、今も東国に渡らず修行に励んでいる。
「孫が王都に残ると言った時は驚きましたがなあ。貧民街も焼け落ちて住む場所もなかろうて……。座主殿が住まいを供してくださって助かりましたわ。ご迷惑をおかけしていないか……」
「彼は良い同居人だよ。それに俺も城下町の方に越すところだったし、一人で済むには広すぎる家だったからね。丁度良かったんだ」
「ましらクンの新居ってどこだっけ? あの辺にそんな広い空き家なんてあったかな」
「ドクターの診療所だよ」蜜柑を咀嚼しながら、法師がニミリの疑問に答える。「ああ、リリちゃんの家か。診療所兼自宅だったから広いよね、そりゃ。んで、本人は現在投獄中で空き家状態、と」
「色々物騒なものも多い家だったから、押収した警察隊も売るに売れず困ってたんだ。んで、土地管理の名目で俺に譲り渡された。リリも快く後押ししてくれたしね」
「まあどうせ将来は一緒に住むわけだからね。むしろ土臭い野風の若頭クンにルームシェアさせて大丈夫?」
「悪い、若頭衆の方に顔を出してて遅くなった。今なんの議題だ?」
ニミリの言葉を遮って、戸を開けたユーメルヴィルが入ってくる。赤毛の上に薄っすら雪が残っている。
「若頭クンが土臭いって話」「おい」
ユーメルヴィルが座れるようスペースを開けて、スペクトラが詰める。「全員揃ったことだし、そろそろ本題に入ろう」
ユーメルヴィルが席に着き、ニミリが起き上がった。俺は改めて皆の顔を見て、頭を下げる。「まずは皆……、すまない。先の元老院会議、出席に至らなかった」
俺は貴族に昇格してから半年で、民族の代表として政治参加権を持つ公家、「元老院」の一角になりあがっていた。貴族の居ない野風たちの代表兼、絶滅し空席となっていたサジタリオ族の代表という枠に落ち着くことになったわけだが、前回は出席ままならなかったのであった。
「その件に関しては聞いている。アテネ嬢共々妨害にあったんだろう。他の元老院たちも同様に殆ど欠席と言うじゃないか、あんたの責任じゃないよ」
「法師の言うとおりだ」
スペクトラが肯く。
「どのみちましらが間に合っていたとて、その状況では今回の議題は通っていただろう。それだけ敵も本気というわけだ」
「議題を通すために、反対票を入れそうな相手を妨害するという工作は、しばしば行われていたようですが……、今回ほどの規模は珍しいですなぁ」
「やっぱり今回の議題が関係あるのか?」
ユーメルヴィルが確認する。「十中八九そうだろうね」ニミリが眼鏡を押し上げて答える。
「今回の議題は、先代の帝、廃帝・獄門院の出獄を認めるか否かというものだった。要望を出したのは親王ら、すなわち皇族だ。反帝派の皇族たちは院を擁立し、今の帝を引きずり降ろすつもりなんだろう」
「皇族ってのは帝の親類なわけだろ? なんで身内同士で争うんだ?」
ユーメルヴィルが首を傾げる。
「皇族も一枚岩ではないのだ。先の夷の姉妹同士の衝突然り、覇権の奪い合いで内紛などありふれた話。少し前までの我々も、行ってみれば野風という身内の中で争い合っていたようなものだしな」
なるほど、とユーメルヴィルが肯く。俺は彼女たちのことを想って少し顔を暗くした。朝廷に反乱を起こし、戦うこととなった夷の姉妹……。姉のクラマノドカは大罪人『八虐』として空中楼閣に収監され、妹のクロウホーガンは彼女の手で荼毘に付されたと推定されている。骸無きクロウの墓はこの東国の地に立っている。
「しかし、ましらを妨害したとなると相手も相当の輩だよな」
ユーメルヴィルが呟く。「話からするに皇族の手先ってことだから、警察隊か近衛兵の連中かな。どんな奴だったんだ?」
「白い野風だ」俺は奴の顔を思い出して言う。全員の顔にぴりっと緊張が走るのが分かった。俺は怪訝そうに彼らを見回す。
「……白い野風だって? 灰色ではなく?」
ニミリが色眼鏡を上げる。珍しく真剣な表情だ。俺は肯く。
「ああ。俺やユーメルヴィルより若い奴だった。そして俺が半獣人……人猿だった当時、リリが俺に移植した野風の細胞……、それが奴の父のものだった可能性があると奴は言っていた」
「……そうか息子……、有り得なくはないな」
法師がスペクトラと顔を見合わせる。「名の知れた奴なのか?」俺は問う。
「『銀将門』……。野風の中でも最強の呼び声高い戦士でございます」
長老が重々しく口を開く。
「今から九年ほど前でしょうか……西国地方の野風の群れを率い、朝廷に反旗を翻した。中つ國南部の島にある皇族の直轄領を襲撃し、『新皇』を自称したのです」
「新皇……。クラマと同じだな。そういえばあいつの語っていた称号の由来も、そんな話だった気がする」
「叛乱は最終的に西国の軍によって鎮圧され、ひと月ほどで事態は収束しました。しかし寡兵の群れで中つ國の精鋭部隊を半壊させた銀将門の戦いぶりは、今でも語り草になっております。野風の英雄として、この国の猿族で知らぬ者はいない」
「それほどか……。最強……、スペクトラ以上か?」
スペクトラが肯く。「彼は俺より少し上の世代だが……、若い頃、一度だけその戦いを見たことがある。手合わせこそしなかったが、彼の強さを肌身に感じた。俺を含め、グラムシや紅喰い……、数ある名うての野風も彼には及ぶまい。歴代最強の野風を議論する時に、必ず名前が上がるほどだ」
「俺も彼に憧れて闘いを覚えた。クーデターの咎で海中監獄に投獄され、病に斃れたと聞いてたが……、まさか息子が居たとはな」
「ましらクンに移植されたのが彼の細胞っていうのは、本当なのかい?」
ニミリが興味深そうに口を挟む。
「分からない。その息子がそう言っていただけだからな。そもそも白い野風自体それほど珍しいものなのか? たしかにここらで見たことはないけど……」
「白毛は自然発生しないのさ。ごく稀に個体やその子供に現れるくらいだね。突然変異、ってやつか……。私達北面の野風も色味は似ているけど、あくまで灰色だしね。例外は人工的に野風化したボアソナードくらい……」法師はふと言葉を切って辺りを見回した。「そういえばボアソナードがいないね」
「奴は今野暮用で王都にいる。ましら達と入れ違いでここを出たよ」
スペクトラが静かに捕捉する。「?」俺は彼の横顔に思いつめた雰囲気を感じて疑問に思ったが、口には出さなかった。
「……しかしましらとは修行で何度も手合わせしてきたが、正直身体的にそこまでずば抜けたものは感じなかった。ましらはたしかに武術に優れているが、それは予知能力と鍛錬によるものだ。強いて言えば、呑み込みの速さに目を見張るものがあるが……」
「ああ、それは心当たりがある。俺たち旧世界の……、23世紀の人間は教育プログラムお関係で、他の世代より学習能力が高いんだ。俺はそこからタイムスリップしてきた人間だからな……」
俺は説明を加える。
「ともかく彼が本当に銀将門の息子かどうかを含め、座主殿がその細胞を受け継いでいるかどうかは……、検討に値しますな」
「敵の情報だしね。しかしそいつが銀将門の息子だとすると、今の帝に恨みを持っているのは間違いない。やはり反帝派……、獄門院を指示する連中の手のものであることは疑いないね」
「それにしても、その獄門院というのはそこまで危険なやつなのか?」
俺は気になっていた話題が出てきたことに反応し、尋ねる。
「以前野風側の賛否を固めるために議題を示した時には、満場一致の反対で即決したから、詳しくは効かなかったが……」
「個人的には、恐怖政治って印象だったな。もう15、6年も前か。在任期間は一年程度で短かったけど、子供心に危いことが起ってるって空気を感じてたよ」
ニミリが過去を思い出して語る。当時を知る外道法師が口を挟んだ。
「いや、今の帝の方がよっぽど頭が切れるし、非情だ。それに比べて先帝の手腕は、いまいちパッとしなかった印象だがな」
「どちらの記憶も間違っておりますまい」長老がとりなす。「先帝は帝位を継ぐには若すぎたのです。当時若干二十歳。それにお優しい人でした。為政者としては、それが仇となった」
「仇?」
俺は先を促して尋ねる。
「当時は政争が苛烈を極めた時代、先帝は関白や皇族全員の意見を聞き入れようと必死でした。しかし陰謀渦巻く政治の世界、彼を利用しようとする周囲の人間に振り回され、かえって抗争は激化、暗殺が横行した。先帝は処刑によってそれらに対処する道をとり、結果多数の死者が出た」
「そこからついた二つ名が獄門院、というわけだ。今の帝に配流されてからだがな」
「廃帝は今の帝に追い落とされたってわけか。つまり院は帝に因縁がある」
「ああ。それに現帝は先帝の失敗を受け、慎重に皇族の介入を避けておられる。摂政も関白も置かない親政で、当時こそ親皇たちを納得させていたものの、蓋を開ければ元老院重視で民族主導の政治方針だ。公家や民衆からの支持は篤いが、元獄門院派の一部の親王たちの不満は大きいだろうな」
スペクトラが腕組みして説明した。廃帝が呼び戻されたいきさつは分かったが、当人自体の危険度はそこまで高くなさそうに思えるそこまで警戒すべき相手だろうか? 俺は疑問を口にしてみる。
「それは分からない。政治的混乱自体が危険だとも言えるし、そもそもあれから十年も経っている。彼が流された場所は政治犯の収容される水中監獄だ。獄内の勢力争いの過激さは浮世の比ではない。当時未熟だった院も、当然別人のように鍛えられているだろう」
「マジかよ……。じゃあやっぱり院の復活を阻止できなかったのは、痛いんじゃねえか?」
ユーメルヴィルが眉を顰める。「そうだな」スペクトラが重々しく肯く。「だからこそ、直接政治の場に出るましらやアテネには、一層の働きを願いたい。ここからの朝廷は、荒れるぞ」
「そういえば、そのアテネちゃんはどうしてるの?」
共に旅をした仲間でもあるニミリが、尋ねる。俺は答える。
「あいつは屋敷だよ。なんでも当主の跡目争いだとかで、てんやわんやだとか……」