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人獣見聞録-猿の転生 Ⅳ・半獣神たちの午後  作者: 蓑谷 春泥
第3章 キル ユア ダーリン
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第24話 谷間の百合

 二人を守るように兵が動き、武器を構えた。攻撃の指示を待つようにラバスティーユを見る。

「海中監獄の典獄がお見えとは、ずいぶん分厚い警備ですねー」

 目前の敵を意に介した様子もなく、リリが雪を踏み進む。ラバスティーユは険しく顔をしかめたまま返す。「八虐の一人を解放するとは……、帝は乱心したか」

「まだ仮釈放ですけどね。叢雲を無事回収して持ち帰ることが、正式の釈放の条件。思ったより簡単なお仕事でした」

 きっと典獄が睨みつける。「()れるな……」片手を前に着き出し、攻撃の合図を出す。

「殺せ」

 一斉に兵が駆けだす。剛腕の兵が鎖のついた鉄球を振り回し、真っ直ぐに投擲する。リリは片手で受け止め、そのまま倍の速度で投げ返す。鎧ごと鎖兵は吹き飛んだ。次いで繰り出された二兵の太刀をメスで受け止め、空中で捻った体から両方向へ足蹴を放った。頭蓋のへこむ激しい音が響き、雪の中に兵たちが沈む。音もなく忍び寄った兵が長槍を繰り出す。相手の腕が捥げるほどの勢いで刃を弾き、着地と共に組み敷いた。

 足を何かに掴まれる感触があった。リリは下を見る。雪の下から伸びた木の根が絡みついていた。阿吽の呼吸で、素早く回り込む兵士。リリの拳を躱し、目にも止まらぬ速度でナイフの連撃を繰り出す。回避の暇を与えず、無数の刺し傷を創り出す。

「ライブラ族の反射強化……。さすがに速いですね」

 刺された瞬間に筋肉をぐっと引き締める。ライブラ兵の手からナイフが抜ける。血滑りと筋肉の握力にナイフを持っていかれたのだ。

 ぐらりとバランスを崩したライブラ兵の両手両足の腱を、奪ったナイフで素早く切断する。背後をとっていた兵が足蹴でリリのナイフを弾く。

「こっちは心肺強化のドーピング……。ヴァルゴー族ですか」

 ぶちぶちと音を立てて、足元を掴んでいた根を引き抜くと、そのまま爪先でヴァルゴー兵の胸を突いた。あばらの粉砕する音がしてヴァルゴー兵が倒れる。

「典獄、だめです! 肉弾戦では敵いません!!」

「狼狽えるな、分かっている。総員掃射用意! 儂の準備も整った」

 リリが雪を散らして突進する。と、その視界が急にぐらついた。ずしん、と押さえつけられるような力を感じて、地面に膝を付く。

 ラバスティーユの手が振り下ろされていた。全身に凄まじい圧力とGを感じる。雪の下で地面が勢いよく割れていく。「……っ! 重力操作……っ!」

「儂の加重容量はイクテュエス族の中でも最大級……。潰れていないだけ大したものだ」

 ラバスティーユが地面に向けてさらに手を押し下げる。「っ……! ……」リリが歯を食いしばる。

「ほう、まだ耐えるか……」ラバスティーユがもう片方の手でサインを出す。「掃射ッ」

 種子の弾丸が雨あられと降りそそぎ、火炎放射とかまいたちの刃がリリを覆う。

「……⁉」

 ラバスティーユの眼が驚愕に見開かれる。炎の中でリリのシルエットが少しずつ姿勢を起こしていくように見えた。見間違いか? 瞼をこすって見直すと、リリの体は重力に抗うように立ち上がりつつあった。「馬鹿なッ! 地球の17倍の重力だぞ!!」

 地響きさえ聴こえるかのような重い足どりでリリが一歩踏み出す。大地を割りながら、踵をひび割れさせながら、リリが一歩ずつ近づいていく。

「火力を上げろ!!」

 リリの周囲の雪が一斉に解けていく。種を焼き払い、風を飲みこむような焔の波が体を包む。

「駄目です! 止まりません!!」

「援射止め!! 防護壁用意ッ!」

 雪の壁がラバスティーユの前に形成される。巨人の足音が速度を上げて近づいてくる。

「このォ、化け物が!!!」

 雪壁が弾けて拳が突き出る。ラバスティーユの体が吹き飛んで六間先の積雪にのめり込んだ。

 隊員たちは唖然として後退りした。焼け焦げた若草色のコートの下で、煙をたなびかせた鬼の肉体がみるみる再生していく。刺し傷が塞がり、火傷にめくれた肌が跡も残さず修繕されていく。

 メスを腕に突き刺して彼女は種を抉り出した。「埋め込んだまま再生すると、厄介ですからね」

「鬼だ……」みるみる腕を覆っていく筋肉を見て、アクアライムの兵が尻餅をついた。その額にリリの指弾で飛ばした種子がめり込み、気絶する。

「こっ……」後に残ったスコルピオ兵たちがざわめく。「こんなんどうやって止めろって言うんだ! 規格外だ、次元が違い過ぎる……」

「喚くな、若造共」

 雪の山が爆発するように弾けて宙に舞った。宙を漂う粉雪の中を、肋骨を押さえたラバスティーユが戻ってくる。「相手はザフラ(クラス)の化け物だ。あるいはそれ以上の……。見てみろ、倒された兵全員にまだ息がある。八虐の中でも間違いなく上位の怪物だ」

「この状況で加減する余裕があったと……⁉」兵たちが目を剥く。

「一応医者ですからねー」リリが重さの加減を確かめるように手を握り開く。「重力操作……、無重力化もできるようですね。インパクトの瞬間に拳を軽くされた……」

 四散して宙に浮かんでいた雪が落下する。「持続時間は僅かですか」リリが観察して言う。

「聞け……、緑衣の(グリーン・ゴブリン)」典獄が額に汗を浮かべて話しかける。「我々の利害は一致している……。八虐のお前の心臓には、血の楔が仕掛けられているはずだ。身柄を自由にされようと、帝はいつでもお前を殺せる。同系統の能力を持つ院なら外せる。どうだ……、我らの仲間にならないか」

「良い提案ですね。しかしこの戦い、院は敗けるでしょう。共倒れは御免です」

「……どうしてそう思う?」

 ラバスティーユの問いに、リリは軽く微笑んだ。「ましら君を敵に回したからです」

「真白雪……、稀人の小僧(ガキ)か」ラバスティーユは溜息をついた。「なるほど……、貴様は奴の側につくというわけだ。奴の排除を進言したのはこの儂……。見誤ったか。以前獄で奴の姿を見た時は、それほどの器には見えなかったが」

「ああ、そういえば王都の監獄長でもありましたね、ラバスティーユさん」

 リリが思い出したように言った。

「あなたたちの時代は終わったんですよ、ラバスティーユさん。この国は既に新しい波を迎えようとしている。過去に縋るのは()めにしましょう」

「変化が常に前進とは限らん。帝の築いた貴族社会……、その歪は必ずどこかで爆発する。その先に待つのは破滅だけだ」

 警帽を深く下げて目を伏せた典獄が、小さく呟く。「しかし儂の役目は、たしかにここまでかもしれないな」

 ラバスティーユが兵隊たちの名前を呼ぶ。僅か三名にまで減った隊員たちは、彼の檄にはっとしたように身を引き締めた。「……お前たちに叢雲を託す。這ってでも院の元へ送り届けろ」

「しかし、それでは典獄殿は……」

「お前らは未来ある若者だ。だが儂は先の時代の亡霊、ここで朽ちるとも本望……。たとえ四肢を捥がれようとも奴を食い止める」典獄が両手を突き出して叫ぶ。「お前たちは行けッ! ここは俺に任せろ!!」

「なりません」

 典獄の喉元に、白い指が絡みついた。朱く塗った長い爪が食い込み、微かに典獄の血が滲む。「……⁉ 紅喰い殿、何を……」

 黒髪の女は、笠に下げた布の隙間からラバスティーユの耳に囁いた。『私に、従え』

 典獄の眼が胡乱に微睡み、虚ろに光を失う。「仰せのままに、我が君」

「さて、お前たちもだ。天叢雲剣を渡してもらおう」

 ぱちりと女が指を弾くと、三人の兵は直立し、夢遊状態のように荷の包みを解いた。

 封を解き、恭しく彼女の前に差し出す。女が笠を外す。艶やかな長い黒髪の下に、血のようなストロベリーピンクの瞳がぎらつく。

「バフォメット=カプリチオ」リリがその名を呼んで顔を顰める。「あなたでしたか。また会う日が来るとは思いませんでしたよ」

「寂しいことを言うな、悪友。私はお前に逢いに来たんだぜ」

 赫い傘のような剣の柄を握り、バフォメットが地面に切っ先を突き立てる。剣が光り、朱い光線が街に向かって放射状に広がる。

「天叢雲剣……! 催眠の遠隔発動を……?」

 リリが叫び、口から血を吐き出す。「おや」バフォメットが興味深げにそれを眺めた。

「舌を噛んで催眠を防いだか。だが安心しろ。もとよりお前がやすやすと洗脳に掛かるとは思っていない。私の狙いは別にある」

 崖中に造られた家という家の扉が開き、血走った目をした住人たちが飛び出して来た。雪原が黒く染まって見えるほど、夥しい数の狂人たちが群れをなし、雪崩さえ起こす勢いで駆け下りてくる。バフォメットは掌を(おもて)にあてがい、冷たい目でこちらを見た。

「さあ、第二ラウンドと行こうか」


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