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人獣見聞録-猿の転生 Ⅳ・半獣神たちの午後  作者: 蓑谷 春泥
第3章 キル ユア ダーリン
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第23話 解放

 半円のドームの天井のようにせり出した崖が、雪原の上に大きな陰を作っている。王都近郊、谷合を要塞のようにして隠れる、城下町最大人口の金融都市に、足跡が重なった。崖の中に無数の家々の灯りが埋め込まれている。

「……氷の滝か。崖の下に街とは、面白い地形だ」

 笠を傾けて頭上の崖を眺めながら、女が言った。粉雪がちらちらとあたりを舞っている。ラバスティーユはちらりと彼女を見て、雪の混じった栗色の髭の隙間から答えた。「この辺りには凍結した大きな湖畔もあります。雪で普通の道と見分けがつかなくなっていますから、足跡の上をお通りください」

 後ろの兵たちにも声をかける。規律正しいよく揃った返事が返ってきた。

「私は本体じゃないんだ、気遣いはいらないよ」女は黒髪をかき上げ、複製(レプリカ)の聖痕を見せて言った。

「いえ、そういうわけには。貴女は『(ハン)』からの賓客です。失礼があってはいけない」

 ラバスティーユは淀んだ黒い瞳を御所の方角に向けて続ける。

「今日、この国は再び、院のものになる。院は大陸との友好関係をお望みだ。まさに超大陸戦争を治めようとしつつある貴国『汎』とは、今後とも懇ろに付き合いたい」

「それはこちらとしても望ましいこと」

 女は雪を踏み固めた足跡の上を辿りながらその先を目で追った。「時に典獄殿……。我々の前には先行隊が派兵されていたはずだが?」

「ええ、先発で一個中隊を派遣しております。仮に王都が検問を敷いていたとしても、既に彼奴等が崩していることでしょう」

「……その一個中隊というのは、彼らのことかな?」

 ラバスティーユが前方を振り向き、声を詰まらせる。先行したはずの二百名の精鋭たちが、ずらりと雪の上に転がって気絶している。その中央に、鶯色のレインコートを着た一人の女が佇んでいた。

「あれは……」

 コートの女が、こちらの声に振り返る。舞い散る雪の下にその顔が露わになる。汎の黒髪は紅の瞳を見張った。



 解き放たれた本能がぞわりと何かに反応する。俺は王都の北の方角を見た。一瞬だが、強烈な別の『野性』を感じた。

 しかし注意を逸らしている暇は無かった。光速度で背後に立ったザフラフスカが、サバイバルナイフを振り下ろした。

 考えるより先に拳を振り抜いていた。肌で空間を知覚する。掌が空を掴む。掌底が空間ごとザフラの胴を打ち抜き、奴の光の躰を吹き飛ばしていた。

 俺は空間に空いた(ひび)を、それから自分の手をまじまじと見る。これが『野性』……。世界の解像度が段違いだ。今なら時空間能力を120%使いこなせる。人が失った獣の力、噂には聞いていたが、今になってやっと……。

 がらがらと石垣を崩して、ザフラがこちらを見る。俺を指さし、顎をなぞる素振をする。俺の肉体の変化を尋ねているらしい。「ああ、これか」俺は彼に向き直る。

「ボアから聞いてるかもしれないが、俺は以前野風の細胞を移植されていてな。一時半人半獣の状態になっていたんだ。一度は解除した力だが……」

 俺は言葉を切って奴が立ち上がるのを確認した。俺は額に手をやる。あの「声」……。あれに導かれて力を取り戻した。もう聞こえてこない。

 ただの幻聴だったのか? しかし、どこかで聞いたことのあるような声だった。そう、ちょうどこの世界で垣間見た「女神」の声のような……。

 俺は頭を振る。

「……完全に捨て去る気がなかったからか、肉体の奥底に細胞が残っていたらしい」

 俺は気を取り直して説明に戻る。

「再びこの状態に変身できる可能性を指摘したのは、帝だ。彼女は俺の遺伝情報を一度読み取っている。この半年、野風の力を呼び出す方法が無いか試してはいたが……、成功したのはこれが初めてだ。……意識を落とす寸前まで追い込まれたからだろう。理性の働きの低下と、生存本能の高まり。それが俺を内なる獣の力へと導いてくれた」

 腹部に痛みが走る。俺は傷口を押さえて顔を顰めた。野風細胞は増殖したが、止血効果止まりで傷までは塞がらなかった。少し期待したが、やはり変身による再生は見込めないようだ。

 だが勝ち得た効果もある。俺は低く『這神楽(はいかぐら)』の姿勢をとった。野風伝統の戦闘スタイル……。硬く大きな爪としなやかな猿族の身体を利用した体術だ。人間の肉体に戻ってからこっち、あまり使えなくなっていた。今なら十全に扱える。

 俺は殺気を前面に押し出す。戦闘再開だ。

 波になったゼブラが襲い掛かる。一滴の水滴も浴びず、俺は地面を踊り跳ねる。己の力で野風の血に目覚めたからだろうか、予知頼りのせいで以前は未発達だった『野性』が、開花している。予知との同時併用によってこの数秒間の未来が体感するように分かる。五感が予知に開かれ、最適な動きを直感的に理解し、完璧に再現している。肉体を思い描いた理想通りに使役できる感覚があった。

 固体に戻ったザフラの腕を破壊する。鋼鉄の硬さだったが、こちらの膂力が上回った。一度人間の肉体に戻っていた副次的効果なのか、俺の肉体は改造手術による強化に野風の肉体の強度が上乗せされた状態になっていた。以前には無かったことだ。この一年人間として過ごしたことで、改造体に躰が馴染んだのが幸いしたらしい。

 光速の攻撃ももはや関係なかった。瞬間移動を使うまでもなく、本能的予知と反射で全てを回避することができた。光になって逃げ、ザフラが距離をとる。俺は予知と空間転移で先回りし、奴が人間体に戻った瞬間を捕えた。

 周囲の光景が一変し、煌きの中に俺たちは降り立った。空間移動の道連れに奴は一瞬同様したが、俺の攻撃が到達する直前で光へと成り代わった。もう一度距離をとろうと逃げる。しかし光があちこちに反射し、狙った所に飛べないようだった。それもそのはずだ。ここは色硝子の(ギヤマン)樹海。朽ちて消えた樹々とそれをかたどったまま硬化した樹液によってできた、幻想的な硝子(ガラス)細工の森だ。光が屈折し、乱反射するこの樹海の中では、光になった体は拡散しばらけ、やがて集合できなくなる。

 奴もそのリスクに気づいたのか、一回り小さくなった体で人間に戻った。宝珠の追撃。液化で攻撃をいなす。俺はさらに接近し、回転数を上げた最速の猛ラッシュで奴の液状化した肉体を叩き続けた。

全体を保てないほどの速度の連撃、奴に移動の隙を与えない。変身の時間制限が来るまで、乱打でこの場に抑え続ける。

 奴は飛び散った水滴を集め、空中に自身の肉片を再出させた。次いで本体が人間体に戻ると同時に、空中に散布させた肉片を光線に変化させる。

 その手は一度喰らっている。どこにどう動けばいいかも今は直感できる。俺は狙った位置に体を動かした。

 閃光が放たれる。レーザーが通り過ぎ、奴の眼に首を刎ねられた俺の身体が映った。ほんの一瞬、瞬きにも満たない刹那の瞬間、奴は警戒を緩めた。それと殆ど同時に、屈折し反射して樹海を一周してきたレーザー光線が、奴の生身の肉体を撃ち抜いた。

 ぐらりと奴の体が揺れ、仰向けに倒れる。穴の開いた胴の一部を、奴は押さえた。

 苦痛の中に微かな安堵の表情を浮かべ、ザフラは首の無い俺の身体を眺めた。

「さすが『首斬りザフラ』だ。獄門(うちくび)の執行人に相応しい精確さだったよ」

 俺はザフラの顔の横から声をかける。声を発した生首に、奴はびくりと体を震わせた。

「そう驚くなよ。傷に障るぞ」

 俺は生首状態のまま言って、それから首の付け根に繋げた空間の断面を解除した。

 元の体の位置に顔が戻る。五体満足だ。奴は声もなくこちらを見上げた。信じられないものを見る目だった。「ちょっとした手品だよ。あんたの一瞬の隙を、確実に作るためのな」

 俺は首の付け根をとんとんと叩く。「ここに空間の断面を作り、地面の一部と繋げた。分かってしまえば種は簡単だ。普通の戦闘ならすぐに見破られるようなトリックだが、乱打によって余裕を奪われたことと、閃光の眩しさが仇になったな」

 俺の説明を聞いて、奴は無念そうに目を閉じた。敗北を認め、死を受け入れた表情だ。俺は言葉を添える。

「待てよ。殺すつもりは無い。その傷だ、もう戦えないだろうが、止血をすれば命は助かる」

 ふるふると奴は首を振った。それから大儀そうに腕を伸ばし、胸に下げた銀の首飾りを握りしめた。朝廷の紋章がそこに刻まれていた。

 ドクン、と心臓の音が響き、奴の体が撥ねた。そのままどさりと地面に落ち、静寂が訪れた。色硝子を透かして降りそそぐ太陽の光が、虹色に彼の顔を染める。俺は脈をとる。ザフラフスカの肉体は、既に死の骸へと変わっていた。



ヘルダーリンは小さく呻き、玉座の上で己の心臓を押さえた。数秒、鼓動が止まる。死の淵と隣り合わせの一時だ。

「……陛下?」

ボアソナードが怪訝な顔でこちらを窺う。……院の心臓はようやくリズムを取り戻した。

ザフラ……。逝ったか……。

ヘルダーリンは胸の首飾りに触れた。王家の首飾り。この片割れを与えたのはお前だけだ。この獄門院の一番の臣下であり友であった男、ザフラフスカよ。

「その様子ですと、誰かが誓を破ったようですな」(サガ)が冷たい眼でこちらを見上げる。他の者と違い拘束されてこそいないが、元老院たちと並ぶ椅子に座を落とされている。しかし近衛兵たちに囲まれている以上、こちらとしてもそれ以上手は出せない。

「血の誓……、契を犯した者の心臓を破壊する代わりに、貴方自身の心臓も数刻、拍動を止める。強力だが、無暗に契約を増やせば命取りとなる能力だ。さて、誰が裏切ったのか……」

「裏切りではないよ、サガ。ただ彼には、敗北と死を重ねる覚悟があっただけだ」

 ヘルダーリンは静かに答える。悼むようなその表情に、サガは事態を察したようだった。「無敗の男、ザフラフスカ……。叔父上のために勝利し続けることが、奴の交わした契りでしたか」

「そうだよ。彼をアクアライム族より引き取った時からの、ね」

 院は懐かしく思い返す。二つの一族の血を引いた混血児。忌子の首を刎ねようとする領主の手を止め、彼を拾った日のことを。混血(ハイブリッド)特有の先天的な障碍故に、彼の声を聞くことは叶わなかったが、ザフラフスカは常に行動でその心を示し続けてくれた。

「痛い損失をしましたね。これであなたの切り札は失われた。もっとも、彼と交戦した以上、ましらの継戦も期待できませんが」

「彼は充分に役目を果たしてくれたよ。……それに、私の切り札は他にある」

 慌ただしく近衛兵の一人が戸を開けて入ってきた。「帝、報告いたします! 定海沖での戦闘において、徒刑(ずけい)の白鵺、水軍団長バックゲェル両名の拘束に成功した模様! さらにユダ=カルキノスの身柄を確保! シェクリイ近衛兵長も戦闘不能ですが命に別状はありません」

「ご苦労。……随分と手駒が減りましたな、叔父上」サガが優美に微笑む。「我々を拘禁しているように見えて……。追い込まれているのは貴方の方だ。事実、こうして私は自由に近衛兵たちを出入りさせられている。(じき)付近の警察隊の応援も駆け付けるでしょう。カプリチオに遣いも向かわせた。催眠を使えるものがいれば、貴方に勾玉の解除コードを割らせることも可能です」

帝は冷笑を浮かべる。「叔父上がまだ私に契りを迫らないのは、私に血を奪われるのを恐れて、といったところですか。血を与えれば、院は私の力で記憶を覗かれることになる。そうなればカプリチオを待たずして、勾玉の解除コードも貴方の計画も、全て私の知る所となる。私の譲位を漕ぎつけても、その場で近衛兵に殺されては意味が無い」

 サガは再びヘルダーリンを見つめた。

「叔父上の切り札は、天叢雲剣(あまのむらくも)でしょう」

 ボアソナードの頬がぴくりと動いた。帝が薄く笑う。

「あの神器の力は、狂花帯能力の遠隔発動と効果範囲の広域拡張だ。あれを使えば、私に触れることなく契約を押し付けることができる。先の訪問以来、王都に探知結界を張り巡らせていることは調査済みのはず。おそらく王都近郊に叢雲を移動させておき、ここを占拠したタイミングを見計らって輸送を再開させる計画だったのでしょう。なぜか戦闘地帯でもない富士五湖周辺に、ジャミングが掛かっていたのがその証拠。私が手を打っていないとでも?」

「さすがの慧眼だね。しかしサガ、今の王都の戦力でそれを止められるかな。真白雪は元八虐・ザフラとの戦闘で消耗している。他の主力は海の上だ。対して護送に付いているのは五刑の副将、流刑のラバスティーユ。それに西の警察隊の精鋭部隊だよ」

「采配としては妥当ですね。たしかに、今の王都に彼を止められる味方はいないでしょう」

 ヘルダーリンが肯くように首を傾ける。サガは冷たく瞳を光らせる。

「……ですので、我々の敵を使うことにしました」

「……⁉ まさか……!」

ボアソナードが狼狽える。

「そのまさかだ、ボアソナード。戦局も大詰め……、こちらも切り札を切らせてもらう」

サガは背もたれに身を預け、頬杖を突いた。「八虐の駒があるのはそちらだけではない。……『彼女』を解放した」


「……あの瞳と白銀の髪、子供のような背丈……! 隊長、奴は……」

 兵隊たちの動揺に震えた声が谷間に響く。倒れ伏した先兵たちの中で、雪の野に溶け込むような白い髪が若草色のコートの上に流れ、雪明りに照らされた瞳が緑に光る。

「ようやく本隊のお出ましですか。……ここは冷えますねー、手早く済ませましょう」

「……リリパット=レオンブラッド」黒髪の女が口角を上げて、白い息を漏らす。

 ラバスティーユが眉を顰めて呟く。「緑衣の(グリーン・)ゴブリン)……!」


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