第22話 大海戦
荒れ狂う海上の合戦を遠巻きに拝む位置に、数隻の船に囲まれた目立たない船があった。甲板に置かれた木の椅子に座ったネヴァモアが遠くの戦闘をじっと眺めている。その膝には五、六歳くらいの利発そうな少年がつくねんと腰掛けていて、利発そうな目を彼女に向けていた。
「ネヴァモア、中へ戻っては駄目か?」
「駄目」ネヴァモアは前を見たまま淡白に答えた。いくつかの軍艦は沈没を免れて粘っていたが、時間の問題に見えた。海中に引き込まれた隊長のカミラタも、水軍団長のバックゲェルの猛攻で、水面に這い上がることすらできないでいるようだった。
ネヴァモアは視線を少年に戻す。
「貴方にはこの戦いを見届ける責任がある。この船が安全なうちは、ここに居てもらう」
「なら、時間切れが来たようだ」
海面から声が飛んでくる。船の縁に蔦が巻き付き、甲板に眼帯の女が飛び込んでくる。褐色の肌に掛けた呼吸器のような形状の、葉で出来たマスクを外し、水を滴らせた紫の髪をかき上げてこちらを睨んだ。
「警察隊長官のヴィーメルボルンです。ネヴァモア卿、並びに院に下った公家・皇族の方々は、ここで投降していただきましょう」
「……もうこの船の存在に気付いた。警察隊にも鋭いのがいる」
ネヴァモアは少年を抱えて床に下ろし、立ち上がった。「前言撤回。若、中へ隠れて」
少年は戸惑ったようにネヴァモアとメルを交互に見たが、ネヴァモアが促すように視線を下ろすと、つたない足どりで船の中へ消えた。
「彼もどこかの貴族ですか。やはりこの船は、親院派のお偉方の護送船だったようですね」
「灯台下暗し、と思ったのだけど。さすがは長官、この戦況で周りが見えている。渡罪の包囲網も抜けてきた」
ネヴァモアは落ち着いた様子で甲板を歩いた。メルがするりと蔦を伸ばす。
「反帝派の皇族は西の宮に集まっていると聞いていましたが……。院に近しい何名かはこちらに避難させていたようですね。わざわざこんな危険なルートを選んだのは、我々の奇襲の情報を得てから充分な時間を確保できなかったということ。そちらも時間がなかったということですか」
「少し違う」波の音が静かに流れる。ネヴァモアはメルを無感情な瞳に写しながら答えた。「院が御所への攻撃を決めた時点で、院派の公家と皇族が移動することは決まっていた。検問の可能性を含め、安全に彼らを送り届けるには、西の本隊である水軍に紛れさせるのが最も効率的。あなたたち警察隊を迎え撃ったのは、あくまでついで」
「ついでだと……?」メルボルンが眉を顰める。「いや、それより今、御所への攻撃と……」
ネヴァモアが肯く。
「院とその近臣は、今王都にいる。帝を落とすつもりらしい。この水軍は護衛艦だけど、もう一つの役目は、陽動と足止め。あなたたち王都の主戦力を、帝から引き剥がしておくためのね」
メルは僅かに動揺する気配を見せたが、すぐに鞭で甲板を打って答えた。
「我々は嵌められたわけですか。しかしいずれにせよやる事は変わらない。この貴族船を落とせば、水軍も降伏せざるをえないでしょう。少々手荒ですが、貴女には大人しくしてもらいます」
床を蹴り出し、ネヴァモアに向かって飛び出す。
「無駄」
彼女の言葉とともに、メルの視界がぐらりと揺れた。
「⁉」状況を理解する間もなく膝を付き、咳き込む。苦し気に喉を鳴らしながら、目を見開く。掌に血が滲んでいた。
「安心して、私は元より大人しい性質」メルの頬にしゃがみ込んで手を添え、ネヴァモアが小さく呟く。「……お喋りは嫌い」
〇
「偽鬼鎧装だァ?」
白鵺が侮るように眉頭を下げる。モルグが腕を伸ばすと、肩口から数本の頑丈な蔓の束が飛び出した。マストの柱に巻き付けた蔓を収縮させ、モルグは甲板の上に跳び上がった。「それも改良型、弐式ですよ」
「前の緑のはどうしたんだ?」ユーメルヴィルが口を挟む。
「あれは一族外の人にも使えるよう、宝具化しているところです。防御に全振りしていた壱式と違い、今回はアクアライムの能力を活かした攻防一体の型になってます」
体に巻き付けていた鎧の一部が解け、木綿のような形状のしなやかで鋭利な葉がしゅらりと伸びる。
「それがお前の玩具か。やっぱヒトだな……。道具に頼るなんて発想がそもそも邪道だ。野風なら獣らしく素手で戦うもの……。そうだろう? ユーメルヴィルとやら」
「ちと古い考えではあるけどな」
ユーメルヴィルが素直に肯く。
「僕の尊敬する野風の先輩は」モルグがぐっと屈み溜めをつくる。「そうは考えていないようです」
突き出した腕から木綿状の葉の刃が幾枚も飛び出す。カッターナイフのように柱に切り傷を付けた。
白鵺が体を捻り刃を躱す。その勢いで歪んだ体勢のまま宙に飛び、モルグの足元に着地する。ユーメルヴィルが横から放ったブローを軽くいなし、そのままモルグの胴を殴りつける。背中から伸ばした葉刃をこよりのように捩じって床に突き立て、幾本ものアームで体を支えた。
「面白い感触だな。衝撃を吸収する植物か」
モルグのブレードをまとった突き技を避けつつ白鵺が呟く。ユーメルヴィルとモルグが白鵺を挟みこみ、拳と刺突のラッシュを浴びせるも、白鵺は人間離れしたスピードと体技で乱打を回避した。無数の刃を異常な反射で掻い潜り、雨のように降りそそぐ打撃を腕で弾く。鱗の生えた巨大な尾が強引に割って入り、ユーメルヴィルの躰を横ざまに弾き飛ばした。同時に目にも止まらぬ速さで腕を振り抜き偽鬼の鎧を裂く。虎の爪の跡が鎧の表面に刻まれる。
「モルグ、無事か?」
ユーメルヴィルが叫ぶ。
「外皮を削られただけです! 中には届いていない」
後ろに飛び退いて距離をとったモルグが叫び返す。ユーメルヴィルも素早く起き上がり体勢を立て直した。
「にしても化物じみた回避能力ですね……。ましらさんを相手にしてるみたいだ」
「獣の肉体の掛け合わせで『野性』が異常発達したんだろう。ほとんど予知と変わらないぞ」
「それだけじゃねえ!」虎の脚で床板を抉りつつ、弾丸のような速度で白鵺がタックルを繰り出す。自動車に撥ねられたような勢いでユーメルヴィルが吹き飛ばされる。船尾から船首まで一直線に弾き出され、操舵室に激突して止まった。「ユーメルヴィルさん!」思わず振り返ったモルグの横に瞬く間に移動し、その足を払うように掴んで壁際に投げつける。
船の横板を破ったモルグの身体が海上に投げ出される。水面に渡罪たちの顔が見える。「……っ!」素早く蔓を伸ばして縁を掴み、船上へ飛び戻る。海面から飛び出した数匹の渡罪がしがみつくようにしてついてきた。
船の上に着地した渡罪たちを葉刃で撫で切りにし、槍状に捩じり尖らせた刃の先端で胴を貫く。船の上に死体が転がった。
「ははっ、良いねえ。容赦ない攻撃だ。人を殺すのは初めてじゃないようだな」
「黙れ。お前もここに並べてやる」
槍を手足のように振り抜いて床板を蹴り上げ、空中に跳躍する。伸ばした蔓で倒れた敵兵たちを掴み、肉の弾丸を白鵺に投射する。
甲板を突き破ってあちこちに穴が空く。船上を縦横に駆け巡りながら白鵺は弾をすり抜けた。最後の肉弾を宙に跳んで躱すと、そのままその骸を尻尾でキャッチして、回転の勢いを付けて投げ返した。
空中で衝突し、モルグの体が乱れる。体勢を崩されたまま地面に向かったモルグの接地の瞬間を狙って、白鵺が裏拳を振り下ろす。床上にバウンドしたモルグの踝を突かんでもう一度床の上に叩きつける。木板が弾け船底が覗く。白鵺は足を手放さずさらに振りかぶる。
「!」
飛び出した葉のブレードを避けて手を離す。幾本もの蔓が取り囲むように伸びて白鵺の四肢を掴んだ。
タイミングを見計らったかのようにユーメルヴィルが飛び出してきて拳を放つ。尾の横薙ぎを潜り抜けて渾身の一撃を胴体に撃ち込んだ。
「!」拳が白鵺の腹にめり込んでいく。しかし予想した手応えは無く、水の入った袋を殴りつけたような手応えの無さだった。
「狸の腹の脂肪で衝撃が吸収されやがる! 胴は駄目だ、頭を狙え!」
「無駄ァッッ!!!」
爪牙が蔓を切り裂き、白鵺の身体が回転する。縦方向の回し蹴りがユーメルヴィルの脳天を撃ち抜き、床下へ彼を叩き落とした。「お前ら如きに俺は止められない! 俺は『最強』の後継者だ!!」
「そっちが野風最強なら……」モルグが海面に向かって蔓を射出する。綱を掴み、背負い投げるように引き寄せた。海中から蔓に掴まったカミラタが宙に舞い上がる。「——こっちは警察隊最強だ!!」
電光とともに稲妻が迸る。『野性』で察知した白鵺は一瞬早く回避に踏み出している。しかしモルグの意図を読んだユーメルヴィルがさらに早くその脚を掴んでいた。
白鵺の躰を容赦ない電撃が打ち抜く。
落雷の直撃を受けた白鵺は激しく痙攣し、その場に倒れ伏した。
「……感電は大丈夫か、ユーメルヴィル」
床下からユーメルヴィルを引き上げながら、カミラタが尋ねる。「問題ない」甲板の上に乗り上げて、ユーメルヴィルが掌を見せた。焼け焦げた茶色い葉刃が巻かれている。
「直前に奴が切り落とした鎧の一部を使わせてもらった。帯電性がありそうだったからな。もっとも、少しは浴びてしまったが」
床の上に座り込んでユーメルヴィルが言う。
「……殺しますか、隊長」
厳しく蔓で拘束された白鵺を見下ろして、疲弊した様子のモルグが確認をとった。カミラタは頭を振った。「無益な殺生はやめておけ。こいつは捕虜にする。幹部なら引き出せる情報も多いだろう」
「ところで、渡罪のリーダーはどうしたんだ?」
ユーメルヴィルが尋ねる。思い出したように植物の呼吸器を外してカミラタが答える。
「水中戦に持ち込まれたからな。アクアライム製の酸素マスクが無ければ、正直危うかった。だが奴の口に手をねじ込んで、体内に直接放電してやったよ。死なない程度に加減したが……、その辺に浮かんでるんじゃないか」
モルグが振り向くと、口から煙を吐いたバックゲェルが海面を漂っているところだった。白目をむいてぷかぷかと波に流されている。「まったく、相性最悪の相手だった。任務で死を覚悟したのは久しぶりだ」カミラタは疲れ切った様子で傷だらけの頬を押さえた。全身に打撲の痕跡があり、骨も折れているようだった。
「くく……。えらく消耗してるが、その様でここからの戦闘に耐えられるかな? 周りを見て見ろ。お前らの部隊が壊滅するのも時間の問題だぞ」
白鵺が苦々し気に声を漏らす。たしかに海戦の戦況は圧倒的に不利な状況にあった。渡罪の猛攻の前に残った僅かな警察隊が、虚しく防戦を試みていた。
「憎まれ口だな。幹部なんだろ、お前から戦闘停止を命じられないのか」
「するわけがないだろう、馬鹿が。いくら脅されようが部隊は……」
白鵺はぴたりと言葉を止めた。「?」ユーメルヴィルは彼が何かを察知した様子に気付いて首を傾げる。
「おい……、今カプリチオの屋敷にましらは居るか?」
白鵺が険しい表情で尋ねる。
「いや、分からんが別の場所だろう」思わずユーメルヴィルが答える。白鵺は東の空、遥か王都を睨む。
「感じないか? この強烈な気配、『野性』……。これは……」
白鵺の額に一筋の汗が流れた。「親父……?」




