第20話 鵺
廊下の壁にすっと四本の線が入って、その部分の石がくりぬかれた。空いた小さな穴から中に溜まった水が押し出され、ユダの体が地面に転がり落ちてくる。むせ返るようにして水を吐き出している。
「なんだ、あれで生きてるのか」
シェクリイは呆れたように呟く。しぶとい奴だ。いや、それだけでなく、注入した水が多すぎたのだろう。電流が散って電圧が下がりきってしまったみたいだ。
「やはり餅は餅屋だな……。ライブラ族なら、こんな詰まらんミスは犯さなかったろうに」
足場の上から、地面を這うユダを見てシェクリイは独りごちる。ユダは起き上がる気力も無いのか、大地に耳を付けるようにして腹ばいになり、刀身で地面を叩くようにしながらじりじりと進んだ。下方から、こちらを睨めつけて言葉を吐く。
「先人がいないってのは辛いっすね……。混血児」
シェクリイが眉をぴくりと震わせる。「……気付いていたか」
「そりゃもう」ユダが刀で石畳を鳴らして答える。「ここまで多様な物質、エネルギーの生成……、既存の12民族の能力では説明できない『魔法』の域だ。であれば考えられるのは、ドクター・リリパットの『異種間混淆手術』のような二つの能力の掛け合わせ……。タウロ族の現実改変能力にジェミナイア族の性質変化を組み合わせたってところっすか」
「やるな。だがそこまで見抜いたなら分かるだろう、彼我の差が。お前は私に遥かに劣る。投降すれば少しは寿命が延びるぞ」
「劣敗けっこうです。勝つよりも殺す方が向いてましてね」ユダがほくそ笑む。「それに、時間は充分稼いだ」
石畳の一地点で止まると、ユダは全身を細動させ始めた。
壁抜け……? 地表に対してそんなことをすれば地面に沈んで……。刹那にシェクリイは気づいた。ユダの姿が地中に消える。「しまった! 地下道か!」
石の足場を形成し、中空に議場までの最短ルートを創り出す。ユダのあの動き……、刀の先で床を打っていたのは、反響から真下に空間があることを確かめるため! 奴の本来の狙いは帝。敗北を悟り、地下から議場へ引き返すつもりだ……!
全速力で宙を駆け抜けていく。御所を塞いだ鉄壁を崩すため、シェクリイは青の雷を放った……。
その時、足元の死角からにゅっと白い腕が飛び出した。白刃が一閃し、シェクリイの首をぱくりと裂く。シェクリイの目が驚きに見開かれる。その横を緑の影が素早く通り過ぎた。
シェクリイは御所の屋根にもんどりうって頸を抑えた。血を吐き、切れ切れになった息で頭上を見上げる。
「見下ろされる気分はどうっすか?」
足場の上に着地し、脇差しの血を払ってユダが振り返る。シェクリイはぜいぜいと息を吐いた。
「……っ、議場へ……戻ると、見せかけて……。足場の下に、隠れたのか」
「焦り過ぎましたね。帝を護ろうという使命感に囚われて、足下への注意を疎かにした。それにあんた、これだけの規模で戦いながら、破壊してたのはほとんど自分が作った物体だけだった。御所を傷つけないように立ち回ってたんでしょう。私を殺すことに集中していれば、こうして格下に足を掬われることもなかったでしょうに」
「ふっ……。お前と違って私は……、殺すより、守る方が得意なんでね」
どろりとした液状の物体が、シェクリイの頸に絡みつく。石灰の塊が粘り付き、強引に傷口を塞いだ。
「!! まだ……!」
ユダが脇差しを構え直す。「遅い!!」シェクリイが掠れた声で叫び、頭上に巨大な磁石を生成させる。小刀ごとユダの手が張り付けられる。
脇差しを手放したが一瞬遅かった。磁石の大岩が彼女の身体を圧し潰し、シェクリイ諸共御所の一画を崩していった。
粉塵が立ち昇り、やがて晴れた。シェクリイはむくりと起き上がった。相討ち覚悟の一撃だったが、真上から少しずらしたお陰でどうにか潰されずに済んだ。
だがさすがに血を流し過ぎた。視界が霞む。……命令を遂行する前に気を失いそうだ。
磁石の下を見る。気絶したユダの両足が岩の下敷きになっていた。仮に意識を取り戻し、透過を使ったとしても、あの足では逃げられまい。
特別勅許十八號……。意識が保つうちに……。シェクリイは戦闘不能となったユダを無視し、もう一つの命令の遂行を優先した。よろめきながら岩肌を下り、近衛兵長は剥き出しになった地下通路へと降りていった。
〇
野風の犬歯を剥き出しにしたモルグが、白鵺に突撃した。モルグの長い爪を回避した白鵺の先に、棘の大きな蔓が待っている。
ひらりと跳躍しながら白鵺は蔓を弾く。
「そうか人猿……、ヒト族の能力も使えるんだったな」
重たい膝蹴りを束ねた蔓でガードする。しかしそれを上回る膂力にモルグは弾き飛ばされる。素早く動いたユーメルヴィルが彼を受け止める。
「猿化はリリに解除されたんじゃなかったか⁉」
「たしかに、野風細胞の支配権は緑衣の鬼から離れました……。ですがボアソナードさんがそうであったように、当人に手放す気が無ければ、野風細胞は消滅せず残り続ける」
モルグは身を起こしながら続ける。
「……俺はおそらく、心のどこかで野風を拒絶することを否んでいたのでしょう。ほんの一欠片ですが……、俺の細胞と癒合したまま、残っていた。一度解除した以上、完全な野風状態にはなれませんが、あの時のアテネさんの半獣状態を参考に、ヒト型に留めたまま野風の力を引き出すことに成功しました」
アテネの半獣状態……、そういえば彼女も、猿化手術の元被害者だったな。ユーメルヴィルは思い返す。見た目は完全にヒトだったが、あの頃のアテネの身体能力は野風のそれだった。
「面白そうな話だな。俺も混ぜてくれよ!」
白鵺が詰め寄る。細くたなびく炎がその行く手を遮る。
「……!」白鵺がブレーキを駆ける。彼の周りを警察隊が取り囲む。
「囲め! 敵は近接だ。遠距離射撃で確実に仕留めろ!」
風弾や火炎、水流の放射が一斉に白鵺を襲う。白鵺は姿勢を低く保ち、憐れむような眼で彼らを見返した。「確実に仕留めろだァ?」
全員の視界から、彼の姿が消える。土を殴ったような鈍い音が響いて、包囲網の一画が崩れる。船の壁に吸い付くように着地した白鵺の後ろに、首をへし折られた隊員たちの骸がそこに頽れていた。
「分かってねえみたいだな。テメエらは狩られる側だよ」
壁を蹴って、目にも止まらぬ速さで白鵺が動く。次々と隊員たちの急所を抉りとり、周囲の者を体当たりで海へ突き飛ばしていく。スペクトラを彷彿とさせる勘所の鋭さと、レオニア族並の怪力……、そして並の野風を遥かに凌駕する凄まじいバネだった。
モルグが唸り声を上げて人垣に突っこんでいく。「待てモルグ、無茶だ!」ユーメルヴィルの制止も意に介さず、蜘蛛の巣のように広げた蔓で白鵺を捕捉する。「捕えたぞ!」
「テメエがな!!」
蔓を掴んだまま砲丸投げのように体を数回転させる。遠心力で逆に振り回されたモルグの身体を、白鵺は勢いのまま甲板に叩きつけた。
床板が弾け、下の部屋にまで突き抜ける。華麗に着地した白鵺が退屈そうに首を鳴らす。
「所詮『擬き』だな。『野性』も暴力も中途半端。野風の動きじゃねえよ」
「なぜ人猿を狙う?」
白鵺に向かいながらユーメルヴィルが問う。足蹴を片腕で受け止めながら、白鵺が反撃する。ユーメルヴィルはそのまま空中で身を捻り、床板を掴んで地面に体を引きつけた。白鵺の返しの裏拳が宙を切る。
「それが噂に聞く這神楽か。魔境出の野風は面白い体技を使うな」
白鵺が軽快に声を放つ。「なぜ人猿を狙うかと聞いたな。答えは単純だ。己の親父の細胞を持ってる奴が居るからだ」
「銀将門か。リリと因縁があるのか?」
「ああとも。10年ほど前、西国の南方に化物を放った鬼は、それを狩りに派遣された己の親父の片腕を奪った。新しい実験の材料にすると言ってな。どの人猿にそれが使われたかは分からねえ。白毛のましらが怪しいと睨んだが、獣化の性質上偶然白化した可能性もある。結局はしらみつぶしさ」
「てめえの鬼への恨みは分かっが……、それが人猿を殺す理由になるか?」
素早く拳を闘わせて、ユーメルヴィルが問い詰める。
「親父はその後、帝に反旗を翻して殺された。だがその細胞がどこかで使われ続けている以上、ちゃんと死に切れてねえ」
白鵺は高速の打撃を浴びせながら答える。「己は親父を安らかに眠らせたいだけだ。『最強』の血を引く者はこの世に一人で十分なんだよ!」
重い一撃がユーメルヴィルの腕を軋ませる。背後に飛んで衝撃を逃がしたが、それでも骨を痛めつける強力な一打だった。「っ重い……。それにこの異常な『野性』……。種があるんだろ」
ユーメルヴィルが腕を抑えながら敵を見つめる。
「感じ取ったか。お前の『野性』もそれなりだな」白鵺はほくそ笑み、手袋を噛んで脱ぎ捨てた。
「……! お前、その腕は……」
白鵺の両腕は琥珀色と黒の毛に覆われ、肉球と鉤爪の付いた虎の手をしていた。
白鵺はそのまま袈裟を剥ぎ取ると、猛虎の四肢のついた狸の胴と、そこに巻き付け隠していた太い蛇の尾を露わにした。「獏鸚……、緑衣の鬼の残した化物を参考にしてなあ。鬼を追って大陸に渡った折、向こうの闇医者たちの手を借りて再現した」
「もはや猿の身を捨てたか……。てめえも充分怪物じみてるぜ」
ユーメルヴィルが頬の汗を拭い、甲板の下に向かって叫ぶ。「モルグ! 変身の時間は終わりか?」
「待たせました。ちょうど済ませた所ですよ」
真下から、モルグの答えが返ってくる。
荷室から陰を縫うように、茶色の葉鎧が現れた。
「『偽鬼鎧装弐式』……。これよりご覧にいれましょう」




