第17話 三種の神器
海域を横断する船の上はざわめきに満ちていた。太陽は南中に上り、隊員たちの影が真下に小さく落ちている。そのどれもが動揺の素振を写していた。
「静まれ、皆」甲板に立ったカミラタが声を張り上げる。船上の騒ぎがたちまちに鎮火していった。
「此度の追討作戦、突然の発表になってしまったことを詫びたい。ここに率いている十隻余りの船団、他の船でも同様に、真の目的が明かされたところだろう。皆の困惑は分かる。しかしこれは帝と元老院の緊急勅命であり、間諜の跋扈するこの情勢下において完全なる奇襲を実現するために、極秘裏に進行していた作戦なのだ。直前まで作戦内容を伏せていた事情を、理解してもらいたい」
カミラタが一同を見渡す。急な指令に驚いた者が大半だったが、カミラタの声と説明を聞くうちに、次第に状況を受け入れつつあるようだった。カミラタは肯く。「お前たちは俺が厳選した精鋭だ。この事態急変に即座に適応する胆力と、いつでも死地に赴くだけの覚悟があり、困難な作戦を遂行することの出来る能力のある者を選んだつもりだ。死ねとは言わん、俺に命を預けろ」
気合の入った掛け声が、一同から返ってくる。カミラタは彼らを鼓舞するように強く肯き、部隊編成のために一時解散を命じた。
「さすがに軍警だな、これだけの重要な戦をいきなり任されたって言うのに、皆もう肚を括ってやがる」
ユーメルヴィルが遠巻きに彼らを眺めながら感心した。
「ここまで極端なことは稀ですが、任務の突然変更や急な出動は、よくあることですからね。それにここに居る隊員は皆、命懸けの任務をこなして来た人間です。いつ命令で戦場に派遣されても良いという覚悟で、職務に臨んでいる」
ユーメルヴィルは奇妙な表情で彼を見返した。「お前、変わったな」
「?」モルグがどこか疲れた目でユーメルヴィルを見た。
「以前のお前は、争いを好まない温和な性格だった。若いながらも良心的な接客で猿族を差別しない宿屋で、魔境でも好意的な評判が立っていた。お前たち夫婦が死んだという噂が流れた時は、真偽を確かめるためにあのスペクトラとボアが出向いたほどだ」
モルグはユーメルヴィルの視線を躱すかのように、水平線に瞳を戻した。ユーメルヴィルは彼の横顔を眺めながら眉を顰める。「なあモルグシュテット。お前がもし生き急いでるなら……」
ドォン、という衝撃が船底から足を揺らした。「何だ⁉」カミラタが叫ぶ。と同時に船体が斜めに傾き出した。
「座礁か!? 総舵手、状況を報告しろ!」
「座礁ではありません! 船体の底に何か居ます!」
舵を力いっぱい握った総舵手が叫び返す。
「魚群か何かか? 総員左翼に避難しろ! バランスを戻しつつ海中の生物を追い払うぞ!」
「隊長ォ!! 前方をご覧ください!!」
隊員たちが口々に騒ぎ立てる。カミラタが西の海原に伸ばした視線の先で、次々と艦隊が転覆していく。そのさらに向こう側に、数首の船と大量の魚影らしきものが押し寄せていた。
「おい、こりゃ魚なんてもんじゃないぞ!」
海中を覗き込んだユーメルヴィルが声を上げる。続けて水底を見下ろしたモルグが声を漏らした。
水掻きのついた猿族の群れが、船の底を押し出し、覆そうとしていた。
〇
半数ほどの席が埋まった議席の間に、近衛兵長のシェクリイボーンが慌ただしく駆け込む。
「帝、征西部隊から連絡が……。西国の水軍の急襲を受け、現在交戦中とのことです」
帝は跪いた近衛兵長を玉座から見下ろした。
「奴らめ、勘づいたか。それにしても随分初動が早いな」
「予め水軍を前線に配備し、こちらの奇襲に備えていたのでは?」議席から声を上げたイタロ=ヴァルゴーが、帝の片腕らしい洞察を見せる。周囲の元老院たちも納得の素振を見せる。
「それにしても、ずいぶん空席の目立つ議席じゃねえか。野風代表のましら、カプリチオ族にジェミナイア族、カルキノス族、ネヴァモア卿まで居ない。半分しか集まらないとはよ」
レオンブラッド族の族長が不満げに漏らす。椅子の上にどっかりと構え、豊かな顎髭を捩じる。「ゴングジョード」イタロが窘めるように彼の名を呼ぶ。「院の魔手は元老院にまで及んでいる。彼と接触のあった疑いのある者は、この緊急招集から外すべきだ。既に話し合ったことだろう。今さら蒸し返すな」
「そう睨むなよ。確認したまでだ」
ゴングジョードはその巨躯を揺するようにして肩をすくめた。
「しかし、奇襲が発覚したとなると、作戦の継続は困難ですよ。撤退を命じますか、帝」
議場の一人が判断を仰ぐ。反対側の席から不満の声が上がる。
「イクテュエス族は弱腰だな。反帝派の皇族連中が西の宮入りしたことは確認できてるんだ。今日の祇園には間違いなく院の要人が勢揃いしている。叩くなら今しかない」
「タウロの言うとおりだ」
言い返そうとしたイクテュエス族を諫めるように、帝が重々しく口を挟む。
「こちらの主力部隊が封じられていることもまた事実。いかに強力な警察隊と言えども、水上戦では圧倒的に不利だ。足止めされている内に、敵の内陸部隊が攻め上ってくる可能性もある。もともとリスクのある作戦だ。今日ここで勝敗を決さなくてはならない」
「野風聯隊を動かしますか」イタロが眼鏡を押し上げて確認する。
「東国からでは間に合わないだろう。ボアソナードが手を回している可能性も否定できない。もっと確実で簡単な方法がある」帝が顔の前で手を組む。「八尺瓊勾玉を発動する」
「お気は確かですか! 帝」スコルピオの族長が叫ぶ。「勾玉は三種の神器でも最も凶悪な殺戮兵器です。宣戦布告もなしに撃ち込むなど……」
「宣戦布告? 勘違いするな、これは断じて戦争などではない。我々は自国の土地に自国の兵器を使用するだけだ。それも廃墟となっているはずの場所にな」
帝はライブラ族の族長に目を据えた。「発動にはライブラ族の電力がいる。行けるか」
「元老院の総意とあらば、いつでも」彼は恭しく頭を下げた。
帝は肯く。「ではこの場にいる者で決を採る」