第11話 虚実
「獄門院だって?」ユーメルヴィルが顔を上げる。
「どういうつもりだよ、ボア。霊長教會と院が今どういう関係か、分からないお前じゃないよな。東国の野風は帝への支持を表明してる……。宗派や人種は違えど、お前は長く教會に尽くしてきた魔境の仲間じゃなかったのか?」
「ああ、ユーメルヴィル殿。私とてあなた方と敵対するのは本意ではありません。であるからこうして、教會の長たるましら殿に誘いをかけているのです」
ボアソナードは敬虔な信徒の顔で答えた。
「……たしか……、ボアが魔境に流れ着いたそもそものきっかけは、朝廷の政争に巻き込まれたからだったな。お前の本来の主君が、獄門院その人だったというわけか? なるほど、同族のイタロにも警戒されるわけだ」
「ええ。しかし信じていただきたい、ましら殿。私はあなた方を騙すつもりなど微塵も無かった。しかしこの場では忠義が勝る。せめて約束しましょう、ましら殿がこちらについて下されば、東国地方には手を出さないと」
「ボアソナード。それは密約か? それとも脅しか?」
ユーメルヴィルが剣呑な表情で割って入る。
「それを決めるのは、ましら殿というわけです。ユーメルヴィル殿」
「……」
二人の間に、無言の視線が交錯する。気まずい時間だ。俺は両者の間に足を踏みこんだ。
「二人とも、仲間同士での諍いが無益なことは、よく知っているだろう。ひとまず院には会いに行く。それで文句ないだろう? ボア」
「しかし、ましらさん……」咎めるようにモルグが声をかける。
「話を聞くだけだ。院の口車に乗るつもりはない。なんならこの接触を、帝に報告してくれてもかまわない」
モルグとユーメルヴィルはまだ少し不服そうだったが、この場で争うべきではないと判断したのかそれ以上は何も言わなかった。
「決まったのなら早く。彼が待ちかねてる」
抑揚の無い声でネヴァモアが言う。催促するように手を差しだした。俺はボアソナードの背中に腕を回し、無言でネヴァモアの手をとった。微かに少女の指が反応する。
「夕飯までには帰るよ」
俺はユーメルヴィルに言い残し、西へ飛んだ。
〇
ざらついた砂の扉がゆっくりと開き、薄暗い部屋に光が差した。こつこつとヒールの音が響き、刑務官の示した格子の前に落ち着かぬ様子で立ちどまる。謝意を示し、立ち去ってよいと伝えると、刑務官は恭しく礼をして彼女を独り残した。
檻の中で鎖の跳ねる音がする。「やっと来たの」「思ったより遅かったんだよ。アテネお姉様」
アテネは重々しく目を上げた。視線の先では仲良く並んで座り込んだ双子が薄汚れた格好で鎖を弄んでいる。
「忙しいのによく来たんだよ。記憶違いでなければ、今日は親族投票の前日のはずだよ? アテネ様」
「ええ。だからこそ来たわ。仮に明日卿家が落選すれば、私たちは元老院の資格を失う。あなたたちに面会することもかなわなくなるわ」アテネは努めて冷静に振舞おうとするかのように静かに答えた。「本当はもっと早くに来たかったのだけど、三大監獄に立ち入るには色々と手続きが必要でね。それにしても、さすがは院の五刑といったところかしら。地下回廊に収容されているなんて」
「ゆーたちも出世したものだよ」「みーは海中監獄の方が良かったの。陛下と同じ場所に入りたかったのに」
2人は暢気そうに不平を口にして笑いあった。アテネは真剣な眼差しで二人を見下ろした。「……ねえ、ふたりとも。どうしてあの二人を狙ったの。ましらはともかく、アマルや四季家は院と敵対関係にない。もしも卿家に対する忠義から行ったのだとしたら、あんなやり方は……」
アテネは哀しそうな目で二人を見つめた。双子はアテネの言葉をぽかんとしたような顔で受け止めた。それから姉妹で顔を見合わせ、同じタイミングで吹き出した。
「……? 何が可笑しいの。あなた達をここから出してあげるために訊いているのよ」
およそ獄中に相応しくない明るさで笑い転げる双子を見て、アテネが困惑したように尋ねた。ユードラが目に溜まった涙を拭いながら答える。
「いや……、やっぱりアテネお姉様はお嬢様なんだな、と思って」「私達のことを芯から使用人として見てるの」
ミーグルは急に愉快そうな笑顔を引っ込め、ぞっとするような低い声で囁いた。「ねえ、アテネ様……? 私たちのことを対等な目で見たことが、今までにどれくらいある?」
「……そんなの、私はあなたちを家族のように思ってるわ」
ユードラがアテネを見上げて言った。「アテネ様は嘘つきなんだよ。貴族は上っ面ばかりのクソやろーどもの集まりだ。あんた達はそうやって他人を見下ろすことが当たり前になっていて、しゃがみ込んで同じ目線に立つことを考えもしない。ドレスの裾が汚れてしまうからね。……アテネお姉様の優しさは偽善だよ。全ては高貴な存在としての義務で、施しを与えているにすぎないんだよ」
「陛下はあなたたちとは違う。あの人は泥をすすり地を這う苦しみを知っている人なの。雨に濡れた地面に膝を付いて手を差し伸べてくれる……。卿家への忠義? 笑わせるの。私たちを捨てたあなたの家に、今更なんの情もあるわけがない。全ては私達がカプリチオの頂点に立つためなんだよ」ミーグルが冷たく瞳を光らせる。
「カプリチオの頂点?」
アテネは当惑した表情で問う。
「……それは無理よ。あなたたちは貴族ではない。どの家が当家に選ばれたとしても、あなたたちが後を継ぐことはできないわ。たとえ当主に嫁入りや養子縁組をしたとしても、血統の濃い兄弟親族が次の座を奪う」
「あー、まだ分かってないみたいだね。私達はちゃんと貴族の血を引いてるの」
「! あなたたちの両親は二人とも、卿家の使用人のはずじゃ?」
「サテュロス・ド・カプリチオ」
突如現れた父親の名に、アテネの瞳が揺れる。「私たちのパパの名前なんだよ」ユードラが三日月のように口角を上げる。「アテネお姉様。お姉様は、私たちの本当のお姉ちゃんなんだよ」
アテネが目を見張る。水を打ったような静寂が、三人の間を支配する。遠くから囚人たちの唸り声や叫び声が、遠吠えのように微かに聞こえた。
「腹違いなの」ミーグルが沈黙を破る。目を細め語り出す。「……私達のママとサテュロスパパが不倫して生まれた、隠し子なの。私たちが四歳になった頃、ママは私達の父親がサテュロスであることを、パパに打ち明けた。サテュロスパパは私たちを守るどころか、事実を隠蔽するために放り出したの。私達家族はあいつに捨てられたの」
「気付かなかったとは言わせないんだよ。たしかに私達が妹だとは思わなかったかもしれない。でもあなたのパパの火遊びくらい、一緒に暮らしてるアテネ様が気付かないはずはない。何度もあったでしょう? 他の女の匂いを付けて朝帰りする父親とすれ違ったことが……」
「やめて!!」
アテネは掻き消すように叫んで後退りした。その反応が全てを物語っていた。証拠はなかった。しかし限りなく黒に近い灰色の疑惑がアテネの胸に渦巻いたことは確かだった。
アテネは牢獄の壁にもたれて息を吸った。呼吸を整えるために時間をかけて、それから胸の黒いブローチをぎゅっと握りしめた。
「……っ、それが仮に事実だとしても……。あなたたちが私にとって大切なことに変わりないわ」
「……。アテネお姉様……」
「家族が増えるのは、素敵なことだわ。私、ずっと姉妹が欲しかったの。お父様のことだって皆で謝れば、きっとお母様もお許しになるわ。大丈夫。お母様は優しい人だから、怒鳴ったりしないわ」
そこまで言ってアテネはふと、己の声を自分から離れて聞いている感覚を覚えた。まるで別人の言葉のように、言葉がすらすらと口をついて出ていた。昔みたいに五人で暮らしましょう? お母様もきっとあなたたちを愛してくださるわ。お母様は慈悲深い人だから。冷たく見えるけれど、本当はとてもとても温かい人なの。私はそれを知っているわ。誰よりも知っているわ。私はお母様に愛されているから。
「アテネ様は嘘つきなんだよ」
アテネの肩がびくりと震える。ユードラとミーグルが、哀しい顔でこちらを見つめていた。「私たちはこのカプリチオ一族に復讐する。そのために卿家を親族投票で勝たせ、それから跡継ぎの座を奪うことにしたの。だからアテネ様には死んでもらわなければいけない。当家の娘は三人もいらないから。アマルも邪魔になるし、アテネ様を護るましらも消しておく必要があった」
「もうあの頃には帰れないんだよ、アテネ様。恨むなら血を恨んでね。私達、アテネ様を殺すのになんの躊躇いも感じないくらい、汚れちゃったんだ」